鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

朝6時半、ベランダで洗濯をほしていた。

2006-09-16 08:38:35 | 直言!
昨日は少し暑かったもののしのぎやすかった。
それでも掃除機かけたりして動いていると汗が吹き出てくる。
3時半ごろから夕食の支度をして5時半ごろからパソコンに前に座った。
この1週間ほどの前のことを思うとかなりしのぎやすくなった。
と、考えながら昨日はうちのツートンの在りし日々を書いた。
マンションの下のガレージに車の入る音につい夫かなと思ってパソコン入力の手元が早くなる。
ブログに載って読んでみると誤字だらけ。
今日は「日は」に頻繁は「頻今繁」になっている。
見直すときも見過ごしていた。
また太陽が雲の中に隠れた。
今日はこんなことなのだろうか。
台風が接近しているので太陽は隠れてしまったままになるのだろうか。
太陽がでると洗濯はよく乾く。しかし仕事のないときは雨のほうが気持ちは落ち着く。晴れてくると何かをしなければと気持ちが落ち着かない。
と、いって若いころのように始終拭き掃除をしているわけではない。
何もしないでぼーとしているときも多い。
けれど心が落ち着かなくてざわざわしている。
雨がふるとしっとりした空気が心を落ち着かせるのか何もしなくてもいいという気分でゆったり過ごせる。
食材の買出しもしなければいけないがまだなんとか冷蔵庫のあるものでまにあう。
13日は夫の兄の家で祭祀があって供物をもらってきた。
魚の焼いた物は3切れぐらいに切って鍋にいれる。木綿豆腐を切っていれる。水を入れて薄口醤油と砂糖を少し入れる。韓国の青唐辛子をみじん切りにしてゴトゴト煮込むと1つのおかずができる。
ナムル(おひたし)は、かんぴょう、わらび、ほうれんそう、もやしを全部、ごま油をひいたフライパンに入れて炒める。少し炒めて韓国の青唐辛子をみじん切りにしていれて温まるまで炒めるとできあがり。いろんな野菜がまざっているがこれがまた美味しい。
チヂミは適当に切ってフライパンで温めてその上に溶き卵をかける。溶き卵を半熟ぐらいになったらできあがり。
冬はテンジャン(味噌料理)をつくるとここに細かく切っていれるとまた変わった味で美味しい。
若いころは祭祀のおかずは飽きて食べなかったが長い人生、山あり谷あり、財布の中が乏しいときに祭祀の供物を頂いて食材に工夫した。これはものすごく助かった。2・3日分の食材になった。
それから祭祀の供物は少しでも頂いてきてそれなりに我が家の食べ方で工夫して食べている。

たかまど山あたりに昇っていた太陽は今、雲の中に入ってしまった。
これから落ち着いて新聞を読むことにしよう。
気になる記事ばかりだ。
高松塚古墳の腐敗も気になる。
明日香村はもっと抗議してほしかった。
文化庁という力関係にどうにもならなかったのだろうか。
私は考古学のことは何もわからないので批判することに気がひけるが1読者としての感想として記述しておこう。
渡来文化の検証を位置づける高松塚古墳の壁画に韓国との関係が判明して在日同胞はこれで日本人から蔑視されないと希望をもった。しかし現実はそんなものではなかった。
しかし在日同胞の2世から3世、3世から4世に語り継いでいく古代の先祖は偉大で日本に文化の原型をもたらしたと話せると自負していた。
しかし壁画が腐敗した。
考古学のことに対して何も知らない夫でさえ「日本の考古学研究者はまだまだ未熟なんだ」と言って怒っている。
私は考古学の学者に申し訳ないが心の中でもっときつい言葉で批判している。
高松塚古墳の壁画は「けっきょく、考古学者の遊戯、遊びになってしまった。研究や調査といいながら渡来文化を弄ばれた。なんとか日本文化の源流にしょうと必死の調査で捜し求めようとしたのだろうか。高松塚古墳の壁画にかかれた貴婦人たちの魂が塚の中に浮遊している。弄ばれている貴婦人たち、これはいけないと調査が出来ないようにカビを生やすことで研究や調査に抗議していたように思える。壁画を開けたことに貴婦人たちは怒っているのだろう。
壁画を開けなくても外からどんなものかみられる高度な調査機器資材が必要なだろう。それとも保存の研究をしてから高松塚古墳の調査をするべきだった。

今、思い出した。
10年ほど前に駐大阪韓国総領事館に勤務しておられた領事の家族と一緒に、明日香村の高松塚古墳に行った。
そして領事は古墳の様子を見て私に話された。
「古墳は1度開けてしまった。このままの状態でいかないだろう。かならずいたんでくるはずだ」と言った。
私は日本の考古学者の技術は最先端と信じ込んでいたのでその言葉に心の中で不服だった。
しかしそれから数年して高松塚古墳の腐敗問題が出てきた。
その領事はまったく考古学と関係のない仕事をしておられたので他の領事たちに「そんな考古学のことがわかるのか」と半分、苦笑いをしておられた。
やはり考古学が好きで夫に高松塚古墳の案内を頼んだ意味がわかった。
仕事は違う分野だが好きな考古学なのだろう。それで韓国の文献と重ね合わせて研究をしておられたのだろう。
今、そのときの言葉がよみがえってきた。
高松塚古墳の腐敗の責任は大きい。学者たちは初めてのことで未知数の仕事だったと弁解されるだろうがフアンは納得しない。また明日香村に落ちがついてしまった。この責任も大きい。
これをどうして元通りにしていくのか。
気にかかる。
そんな気になる記事が今日は地方紙にカラー写真入りで問題提議をしている。
高松塚古墳の壁画に描かれた貴婦人の服装、明らかに渡来、古代朝鮮半島の服装である。

高松塚古墳の壁画の貴婦人を描いた緞帳がある。
前身京都韓国学校、現在の京都国際学校内にある体育館の緞帳は色鮮やかに貴婦人が織り込まれている。当時の理事長、よく形にして残して下さったと今、その理事長の感性に感動している。
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