それがものすごい音、ヒューヒユーと木枯らしの吹く音である。
「成人の日」は明日8日である。
7日か8日かわからなくなってしまう。
明日だった。が、京都在住の在日韓国人の新成人式である。お祝いは今日、京都市内のホテルで行なう。今日、民族団体の成人式に参加して明日、地域の日本の成人式に参加する。勇気のある女性は今日、参加した晴れ着、韓国の民族衣装で参加する新成人もいる。
成人の日、河原町を民族衣装で歩いている光景をときどき見かける。本来なら当たり前だが私だったらちょっと考えてしまう。
私が在日韓国人の日刊紙の新聞記者になったころは1987年の夏だった。1988年か1989年の新成人式、大阪の韓国系民族団体主催の「成人式」の現場に入った。それは圧巻である。民族衣装に着飾った新成人と真新しい背広を着込んだ男性の新成人、600人前後の出席者に私は始めて見る光景で驚いた。
1990年代に入って大阪は着物で出席する姿が目立ち始めた。日本人と結婚した重国籍の新成人、母親が用意した衣装を韓国系の民族団体の成人式に着てくるようになった。最初、回りはとまどうが重国籍の現実をつきつられて在日韓国人の国際結婚の実態を理解をしていく。
在日同胞の国際結婚が10人に8人という数字を現実にして日本社会のあり様にまた手探りでタブー視されていたものに視点をおからざるおえなくなった。
2000年に入ると大阪の出席者も少子化の影響と帰化同胞の増加で150人前後になった。しかし民族衣装の勢ぞろいは圧巻であり年々出席者の民族衣装が豪華でセンスのいいものが見られる。男性も何人か民族衣装を着ている。
「新成人式」のために韓国に行って購入してこられる若き新成人たち、世の中の変わりように私の世代はいつも目を丸くして驚いている。
そして京都の新成人たちの女性は誰1人、着物を着る人はいない。日本国籍の人もいる。重国籍の子どももいるが京都はみんな色鮮やかな民族衣装を着ている。
この日のために揃えた民族衣装が素晴らしい。
新成人の声をとると「成人式に新しいチマ・チョゴリを買ってもらうのでこの日を楽しみにしていました」と堂々と民族衣装のす晴らしさを話す。
1944年に生まれた私は地域の成人式にもお呼びがかからなかった。招待状が来るようになったのは3歳下の妹からだった。
私の家はどの民族団体にも所属していなかったので祭日だった私は自宅で過ごしていた。
今日の在日同胞の新成人たちがうらやましい。
日本の地域の成人式にも参加して民族団体の成人式にも参加して2回、お祝いをしてもらっている。
民族団体の成人式で男女問わず、友だち作っている。ふだんおとなしい子もここにくると顔がほころんで話している。何がそうさせるのだろうか。同胞という安心感なのだろうか。飾らないでありのまま話せるDNAなのだろうか。
私が経験したことのない打ち解けた新成人の若者たちである。
そしてどの新成人も日本のような騒がしさはない。式典の間、どの子も静かにして式典の進行を見ている。ちゃんと秩序が保たれている。
日本の行政の方、1度今後の参考のために見学してみてもいいと思う。
煙草を吸う若者たち、この日ばかりは年輩者の前では吸わない。場所を変えて吸っていますから。
今日、京都の新成人、京都国際学校を卒業した子どもたちが多く参加する。打ち解けない同胞をいつのまにか仲間にいれて話している。京都国際学校の卒業生かなと思ったら日本公立学校の卒業生である。
リーダーシップを発揮している光景に民族学校のあり方に考えさせられる。民族のアイデンテイテイは家庭もそうだが民族学校の民族教育から培われるとまた知ることになる。
京都国際学校は1条校になって日本の子弟も多く入学している。
国際理解教育が自然の中で行なわれている。この子たちが新成人になって成人式に参加すると物怖じしない堂々とした風格を出している。そしてすこし気恥ずかしそうにしている仲間をひっぱりこんで一緒に成人式を楽しんでいる。仲間づくりに拍車をかけている。
日本に住んでいる在日韓国人、帰化者もいる。重国籍もいる。しかし3・4世は2世のように前にでることを躊躇しないで民族衣装のまま日本社会で自己表現をしている。けっして廃れることのない在日同胞の姿である・
DNAを持って日本社会でどう生きていくのか。力強く模索している。
「成人の日」は明日8日である。
7日か8日かわからなくなってしまう。
明日だった。が、京都在住の在日韓国人の新成人式である。お祝いは今日、京都市内のホテルで行なう。今日、民族団体の成人式に参加して明日、地域の日本の成人式に参加する。勇気のある女性は今日、参加した晴れ着、韓国の民族衣装で参加する新成人もいる。
成人の日、河原町を民族衣装で歩いている光景をときどき見かける。本来なら当たり前だが私だったらちょっと考えてしまう。
私が在日韓国人の日刊紙の新聞記者になったころは1987年の夏だった。1988年か1989年の新成人式、大阪の韓国系民族団体主催の「成人式」の現場に入った。それは圧巻である。民族衣装に着飾った新成人と真新しい背広を着込んだ男性の新成人、600人前後の出席者に私は始めて見る光景で驚いた。
1990年代に入って大阪は着物で出席する姿が目立ち始めた。日本人と結婚した重国籍の新成人、母親が用意した衣装を韓国系の民族団体の成人式に着てくるようになった。最初、回りはとまどうが重国籍の現実をつきつられて在日韓国人の国際結婚の実態を理解をしていく。
在日同胞の国際結婚が10人に8人という数字を現実にして日本社会のあり様にまた手探りでタブー視されていたものに視点をおからざるおえなくなった。
2000年に入ると大阪の出席者も少子化の影響と帰化同胞の増加で150人前後になった。しかし民族衣装の勢ぞろいは圧巻であり年々出席者の民族衣装が豪華でセンスのいいものが見られる。男性も何人か民族衣装を着ている。
「新成人式」のために韓国に行って購入してこられる若き新成人たち、世の中の変わりように私の世代はいつも目を丸くして驚いている。
そして京都の新成人たちの女性は誰1人、着物を着る人はいない。日本国籍の人もいる。重国籍の子どももいるが京都はみんな色鮮やかな民族衣装を着ている。
この日のために揃えた民族衣装が素晴らしい。
新成人の声をとると「成人式に新しいチマ・チョゴリを買ってもらうのでこの日を楽しみにしていました」と堂々と民族衣装のす晴らしさを話す。
1944年に生まれた私は地域の成人式にもお呼びがかからなかった。招待状が来るようになったのは3歳下の妹からだった。
私の家はどの民族団体にも所属していなかったので祭日だった私は自宅で過ごしていた。
今日の在日同胞の新成人たちがうらやましい。
日本の地域の成人式にも参加して民族団体の成人式にも参加して2回、お祝いをしてもらっている。
民族団体の成人式で男女問わず、友だち作っている。ふだんおとなしい子もここにくると顔がほころんで話している。何がそうさせるのだろうか。同胞という安心感なのだろうか。飾らないでありのまま話せるDNAなのだろうか。
私が経験したことのない打ち解けた新成人の若者たちである。
そしてどの新成人も日本のような騒がしさはない。式典の間、どの子も静かにして式典の進行を見ている。ちゃんと秩序が保たれている。
日本の行政の方、1度今後の参考のために見学してみてもいいと思う。
煙草を吸う若者たち、この日ばかりは年輩者の前では吸わない。場所を変えて吸っていますから。
今日、京都の新成人、京都国際学校を卒業した子どもたちが多く参加する。打ち解けない同胞をいつのまにか仲間にいれて話している。京都国際学校の卒業生かなと思ったら日本公立学校の卒業生である。
リーダーシップを発揮している光景に民族学校のあり方に考えさせられる。民族のアイデンテイテイは家庭もそうだが民族学校の民族教育から培われるとまた知ることになる。
京都国際学校は1条校になって日本の子弟も多く入学している。
国際理解教育が自然の中で行なわれている。この子たちが新成人になって成人式に参加すると物怖じしない堂々とした風格を出している。そしてすこし気恥ずかしそうにしている仲間をひっぱりこんで一緒に成人式を楽しんでいる。仲間づくりに拍車をかけている。
日本に住んでいる在日韓国人、帰化者もいる。重国籍もいる。しかし3・4世は2世のように前にでることを躊躇しないで民族衣装のまま日本社会で自己表現をしている。けっして廃れることのない在日同胞の姿である・
DNAを持って日本社会でどう生きていくのか。力強く模索している。
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