しかし動き回ると汗をかくので冷房を入れたままにしている。
今日は近鉄高の原駅からバスにのって京都府相楽郡精華町の現場にでかける。
奈良県で降りて現場は京都府、奈良県と京都府の西側の県境である。
こちらは昔、私が育ったころ地元の人は西木津と言っていた。
私はJR奈良と木津駅、つまりここも東側の県境である。
JR木津駅から歩いて7分のところに住んでいた。
今もここに弟家族が住んでいる。
町は東側から西に向かっていく地元はそんなに昔と変わっていないが西側は変わった。山また山という地域は住宅開発されて木津川台という新興住宅に開発された。この山また山は高校の時のマラソンコースだった。
行っても行っても山また山の道を走った。
その地域が開発されて今日はバスに乗ってマラソンで走った道を走る。車窓の景色は住宅また住宅である。
今朝は7時20分にパソコンの前に座って編集局と打ち合わせのメールを作成して送信する。今、1つ忘れていてまたメールで忘れていた取材情報を打ち込んでまた送信をした。
ライフワークの原稿、今日も現場、自宅にもどると慌しいので今朝、見直して予約投稿の画面構築そして30日も現場がある。夕方からだがまたバタバタしそうなので見直して予約投稿画面構築をした。これでほっとした。
忙しくしているとまた忘れそうになる。
ライフワークの原稿、今回の取材は慌しかったのでメモが少ない。とりあえずなんとか書き込んだがやはり物足りない。メールで補足取材をしてなんとか画面がイキイキとした。これでほっとした。また英語圏の言葉に私は自信がない。できたばかりの粗削りの原稿をとりあえず見てもらった。英語の見直しにほっとした。他に言葉足らずのところもしっかり見て下さった。
さすが教員免許を持っている人と感心している。
何かにつけて自分の特技を持っている人はうらやましいなと思って粗削りの原稿を見ていた。
今日は9時にパソコンを閉めて外出の支度です。
それにしても気になるニュースが連日報道されている。
中国の高速鉄道の衝突事故、事故後の対応に開いた口がふさがらない。
経済発展を猛烈に駆け抜けて行こうとする中国、張子のトラのように中身は空っぽで見栄えだけよければという感じがする。参った。
事故で列車の中に人がいて怪我をしていて助けを待っている人もいるはずだ。
それを列車ごと埋めてしまう中国のあり方に驚いた。
共産国とは独裁でも通るのか。どうりでテコでも動かない北朝鮮の指導者と相性が合うということはこんなことだったのだろうか。と、私はこんなことまで考えてしまった。
1985年の8月12日、午後6時56分、日本航空123便は群馬県多野郡上野村、御巣鷹の屋根で墜落した。この墜落事故は誰の脳裏にも記憶として残っている。墜落事故を素材にした小説は「沈まぬ太陽」、これを読むとまた詳細に事故の様子がよく分かる。
日本では初めて起きた大惨事の墜落事故、政治も関係者も右往左往した。
問題はたくさんあった。反省して改善しなければならないところもたくさんあった。しかし1人1人の遺体を収集して見せられないほどの傷められた遺体は専門家が繕って納棺するということまでした。
確認できない遺体はずっと保管された。
もちろん様々な問題があったにしてもこうした順序を踏んで事故解決に向かった。奈良県でも地元の関係者が被害にあわれたことで寝ずに徹夜で取材活動していた地元の新聞関係者のこともまだ私には記憶に新しく残っている。
こういうことを知っている在日韓国人2世の私はやはり日本の物事を運ぶ順序を見てきて今回の中国高速鉄道の対応はなんということか。驚いた。
昨日は堺市の現場、往復タクシーを使った。
運転手に中国高速鉄道事故に対応する中国のあり方を聞いてみた。
往復の運転手は「ひどいな。日本では考えられないことです。これが共産国ですか」「驚きました。事故の列車をすぐに埋めてしまう。びっくりしています」と言っていた。中国から留学している人たちにこのブログを書いて悪いがやはり誰が考えてもおかしい。中国は張子のトラのように経済格差を世界と広げるように突進しているがはたから見ているとまさに張子のトラである。
何をこんなに急いで突進しているのか。広大な土地を持つ中国、なぜそんなに急いでいるのか。私にはわからないがただ張子のトラが突進しているように思えてならない。
そして高速鉄道はあれだけの大惨事を起こしているのに38時間運休のあと動いている。信号機など技術的な不安があるのに改善されないままに動いているのだろうか。
やはり日本の新幹線の技術とそちらに関わる関係者の努力の賜物で今も新幹線は日本列島を貫いて走行している。大きい事故もなく来ている。
最初の形から新幹線の運転手をしていた高校時代の同級生(サバンナ八木さんのおとうさん)、中国の高速鉄道事故にどんな思い出でテレビニュースを聞いているのだろうか。多くの人の努力によって日本の新幹線は高度な技術を促進してきた。韓国のKTX、フランスの技術者だが----よく故障が起きている。
何がどうなっているのだろうか。韓国の地下鉄は日本の技術が導入されてソウルの町など走っている。そんなに大きい事故もなくこれまできている。
新幹線も日本の技術を導入すればよかったが時の大統領の思考によって違ってくる。日本の政治家が韓国に鉄道も作ったと日本植民地時代を美化して語るのことが多い。そんなことにも嫌気がさして日本の技術を取り入れなかったところもあるのだろう。日本が鉄道を敷いた日本植民地時代というより日本から受けた朝鮮半島の人々の心の傷が残っている。消えることができない。鉄道敷いた記憶より痛めつけられた傷、土地を奪われた傷などなど決して忘れることができない。
在日コリアンも1世から2世、2世から3世と語り継いでいる。在日コリアンの何パーセントかは日本国籍に切り替えて日本人気質になろうとしている。そして必死でもがいて日本人と主張する人、心のかたわがごくわずかだが現実にいる。出自を隠し通している人がいるがこれも滑稽な心のかたわの在日コリアン、日本で生きた在日コリアンの歴史である。心のかたわの出現に喜んでいるのが日本人であるこの現実を彼らたちは知っているのだろうか。
少しいろいろと書きすぎて時計は9時12分、身支度をしないといけない。
今日は近鉄高の原駅からバスにのって京都府相楽郡精華町の現場にでかける。
奈良県で降りて現場は京都府、奈良県と京都府の西側の県境である。
こちらは昔、私が育ったころ地元の人は西木津と言っていた。
私はJR奈良と木津駅、つまりここも東側の県境である。
JR木津駅から歩いて7分のところに住んでいた。
今もここに弟家族が住んでいる。
町は東側から西に向かっていく地元はそんなに昔と変わっていないが西側は変わった。山また山という地域は住宅開発されて木津川台という新興住宅に開発された。この山また山は高校の時のマラソンコースだった。
行っても行っても山また山の道を走った。
その地域が開発されて今日はバスに乗ってマラソンで走った道を走る。車窓の景色は住宅また住宅である。
今朝は7時20分にパソコンの前に座って編集局と打ち合わせのメールを作成して送信する。今、1つ忘れていてまたメールで忘れていた取材情報を打ち込んでまた送信をした。
ライフワークの原稿、今日も現場、自宅にもどると慌しいので今朝、見直して予約投稿の画面構築そして30日も現場がある。夕方からだがまたバタバタしそうなので見直して予約投稿画面構築をした。これでほっとした。
忙しくしているとまた忘れそうになる。
ライフワークの原稿、今回の取材は慌しかったのでメモが少ない。とりあえずなんとか書き込んだがやはり物足りない。メールで補足取材をしてなんとか画面がイキイキとした。これでほっとした。また英語圏の言葉に私は自信がない。できたばかりの粗削りの原稿をとりあえず見てもらった。英語の見直しにほっとした。他に言葉足らずのところもしっかり見て下さった。
さすが教員免許を持っている人と感心している。
何かにつけて自分の特技を持っている人はうらやましいなと思って粗削りの原稿を見ていた。
今日は9時にパソコンを閉めて外出の支度です。
それにしても気になるニュースが連日報道されている。
中国の高速鉄道の衝突事故、事故後の対応に開いた口がふさがらない。
経済発展を猛烈に駆け抜けて行こうとする中国、張子のトラのように中身は空っぽで見栄えだけよければという感じがする。参った。
事故で列車の中に人がいて怪我をしていて助けを待っている人もいるはずだ。
それを列車ごと埋めてしまう中国のあり方に驚いた。
共産国とは独裁でも通るのか。どうりでテコでも動かない北朝鮮の指導者と相性が合うということはこんなことだったのだろうか。と、私はこんなことまで考えてしまった。
1985年の8月12日、午後6時56分、日本航空123便は群馬県多野郡上野村、御巣鷹の屋根で墜落した。この墜落事故は誰の脳裏にも記憶として残っている。墜落事故を素材にした小説は「沈まぬ太陽」、これを読むとまた詳細に事故の様子がよく分かる。
日本では初めて起きた大惨事の墜落事故、政治も関係者も右往左往した。
問題はたくさんあった。反省して改善しなければならないところもたくさんあった。しかし1人1人の遺体を収集して見せられないほどの傷められた遺体は専門家が繕って納棺するということまでした。
確認できない遺体はずっと保管された。
もちろん様々な問題があったにしてもこうした順序を踏んで事故解決に向かった。奈良県でも地元の関係者が被害にあわれたことで寝ずに徹夜で取材活動していた地元の新聞関係者のこともまだ私には記憶に新しく残っている。
こういうことを知っている在日韓国人2世の私はやはり日本の物事を運ぶ順序を見てきて今回の中国高速鉄道の対応はなんということか。驚いた。
昨日は堺市の現場、往復タクシーを使った。
運転手に中国高速鉄道事故に対応する中国のあり方を聞いてみた。
往復の運転手は「ひどいな。日本では考えられないことです。これが共産国ですか」「驚きました。事故の列車をすぐに埋めてしまう。びっくりしています」と言っていた。中国から留学している人たちにこのブログを書いて悪いがやはり誰が考えてもおかしい。中国は張子のトラのように経済格差を世界と広げるように突進しているがはたから見ているとまさに張子のトラである。
何をこんなに急いで突進しているのか。広大な土地を持つ中国、なぜそんなに急いでいるのか。私にはわからないがただ張子のトラが突進しているように思えてならない。
そして高速鉄道はあれだけの大惨事を起こしているのに38時間運休のあと動いている。信号機など技術的な不安があるのに改善されないままに動いているのだろうか。
やはり日本の新幹線の技術とそちらに関わる関係者の努力の賜物で今も新幹線は日本列島を貫いて走行している。大きい事故もなく来ている。
最初の形から新幹線の運転手をしていた高校時代の同級生(サバンナ八木さんのおとうさん)、中国の高速鉄道事故にどんな思い出でテレビニュースを聞いているのだろうか。多くの人の努力によって日本の新幹線は高度な技術を促進してきた。韓国のKTX、フランスの技術者だが----よく故障が起きている。
何がどうなっているのだろうか。韓国の地下鉄は日本の技術が導入されてソウルの町など走っている。そんなに大きい事故もなくこれまできている。
新幹線も日本の技術を導入すればよかったが時の大統領の思考によって違ってくる。日本の政治家が韓国に鉄道も作ったと日本植民地時代を美化して語るのことが多い。そんなことにも嫌気がさして日本の技術を取り入れなかったところもあるのだろう。日本が鉄道を敷いた日本植民地時代というより日本から受けた朝鮮半島の人々の心の傷が残っている。消えることができない。鉄道敷いた記憶より痛めつけられた傷、土地を奪われた傷などなど決して忘れることができない。
在日コリアンも1世から2世、2世から3世と語り継いでいる。在日コリアンの何パーセントかは日本国籍に切り替えて日本人気質になろうとしている。そして必死でもがいて日本人と主張する人、心のかたわがごくわずかだが現実にいる。出自を隠し通している人がいるがこれも滑稽な心のかたわの在日コリアン、日本で生きた在日コリアンの歴史である。心のかたわの出現に喜んでいるのが日本人であるこの現実を彼らたちは知っているのだろうか。
少しいろいろと書きすぎて時計は9時12分、身支度をしないといけない。
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