鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

もう夕方の6時半、夕食は5時半にすんだ。

2009-10-07 19:00:07 | 直言!
今日はうどんが食べたいというのでうどんの煮込みをした。
土鍋に出汁を入れて鶏肉とかまぼこと薄油揚げに葱とわかめを入れた煮込みうどんをした。それで今日の夕食にした。
そして台所の後片付けをして6時30分にパソコンに座った。
今日はまだ新聞も読んでいない。
朝からもネットの画面の原稿、短文1本作ってその後は仕事の原稿、2本を仕上げた。もう1本残っている。明日作らないといけない。
台風が来ているとかで夫はテレビのチャンネルをクルクル変えて台風のニュースばかり見ている。なんと忙しい夫のテレビの見方である。
そんな私はそんな夫を横で見ながら仕事の原稿を作った。

そのテレビを見ている夫は言う。
「大阪府内が今、波浪警報が発令されました」と言っている。
何かと台風のニュース番組を見ている。
テレビの台風の予想では今回の台風は伊勢湾台風に良く似ているという。
伊勢湾台風の時、私は中学3年だった。
この後、東京に修学旅行に行っている。
東京に行く列車の中から愛知県を通る時、伊勢湾台風の被害を見た。
伊勢湾台風が強烈に印象に残っている人が多いのだろう。
私は小学校3年の時に体験した山城水害の大雨が怖かったことを今も記憶している。木津川の橋の欄干から手を洗うことができたという。
木津川が氾濫寸前で母親と私と妹は近所にある祇園神社の前に集った。
そして地元の人たちは堤防が切れたら一気に水が町の中に入ってくるという。とにかく高台の木津駅に逃げる準備をしていた。
母親は柳行李を肩に担いでいた。
そんなことを記憶にしている。
そして夜中の3時前後だっただろうか。
消防団員たちが町をまわって「木津川の水が少し引きました。堤防が切れる心配はなくなりました」と言ってまわられた。
そして家に戻ったことを記憶している。
父親は京都の会社に勤めていた。列車は不通になり京都から自宅に戻れなかったので母親と妹と私の3人が町の神社の前に行ったことを覚えている。
そして今度は高校生の時だっただろうか。
台風が近畿を直撃した。
裏の縁側は板を打ち付けていなかった。
風が家に入ると家が吹っ飛んでしまう。
母親の直感だったのだろうか。
午後2時か3時だったのか。台風が通過するときに畳を上げて裏の縁側のところに持って来て縁側のガラス戸を押さえた。
風が通りすぎるまで押さえていた。
この台風の被害で木津川にかかっていた木の橋、旧橋は真ん中からおれていた。
そんなことを思い出した。
高校に行くと中庭にあった下駄箱の入った建物はペシャンコになっていた。台風のものすごさを知ったものだった。

今はマンションに住んでいるので風がきても戸をしっかり閉めていればいい。
しかし前に住んでいた佐紀町の借家、裏も横も雑木林、風のあおりはきつかった。いつも心配していた。
私はもう記憶になかったが夫は覚えていた。
「お前は家が気になったので板を打ち付けていたな」と言っていた。
あれから何十年も過ぎた。
生活環境は変わった。
そんなことを思っていると外は雨が激しく降っている。
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