美空ひばりが亡くなってテレビで昔の歌もいっぱい流されることが多くなった。他の歌手ではみられない声の質、歌の上手さが少しづつ分かるようになった。昔から美空ひばりファンが多かったが私は若いころ、その素晴らしさの意味が理解できなかった。私も年を重ねて今はなるほどと分かるようになった。私が美空ひばりの歌を覚えたのが小学校4年のころだと思う。そのとき流行った「湊町十三番地」である。私の家に遊びにきていた近所の1つ下の女の子がこの歌をよく歌っていた。この歌はまた覚えやすい歌で小学校4年の私もすぐに覚えた。
そして2曲目は「花笠道中」、中学2年のころだと思う。中学校から自宅まで一緒に帰ったMさんがこの歌を歌っていて教えてくれた。そして私は家に帰るとラジオから聞こえるこの歌を必死になってノートに書き取り覚えた。
それから何年も美空ひばりのことは忘れていた。高校に入って「柔」の歌がでてきた。メロデイーが歌いやすいので自然に覚えた。
今私の脳裏に浮かぶ美空ひばりは題名は少し忘れてしまったが「雪の〇七変化」だったかな。この写真は映画館の案内の看板で見たような気がする。
後は強烈なのはやはり小林旭との結婚・離婚だった。
それから長い間、日本の歌謡界は多くの人がデビューして消えていく人、活躍する人など悲喜こもごものドラマがあった。その間、でショックだったのは石原裕次郎の訃報、そして美空ひばりの訃報だった。昭和の時代が過去になっていく。20世紀が後ろにいく。
日本が20世紀に繰広げた侵略と戦争も後に引けていく。
こんな事を思い出す2人の訃報だった。
近年、歌番組をみるとすればNHKの日本のうたぐらいだがそれもどうかするとみることがそう多くない。
テレビ番組をみて1960年前後の歌の特集になると見ている。
そのとき私の青春だった。いろんな意味で悩んだ。民族の出自にも悩んだ。
どうして日本の親から生まれなかったのだろうと悩んだ。
そうこうしているうちに芸能界、スポーツ界で活躍する大方が朝鮮半島にルーツをもつ人が多いことも分かってきた。悩んだこと嘘みたいに消えたのは夫と結婚して恋することもなく隠す必要がなくなったからだった。
そんな青春を思い出し日本の戦後に育った私の子どものころを思い出して人生、長いこと生きていや生かされてまた素晴らしい美空ひばりの歌とであえた。
「愛燦燦」「川の流れに」に出会えた。
これは誠かそれともそうでないのか信憑性は不確かだが、在日同胞の間で仕事をするようになって1世から聞いた話である。美空ひばりは中国公演に何ども招待されながら行かなかった。それはなぜか。韓国公演を実現させてから行くと言っていたという。
この話がもし本当だったら、今もし健在で歌手生活をしていたら、韓流ブーム到来で美空ひばりは韓国公演を実現させていたのではと思ったりしてテレビを見ていた。
もし韓国公演が実現していれば舞台はどこだったただろうか。
韓国にも文化ホールがたくさんあるがいったいどこだっただろうか。
と、そんなことを想像して今夜も美空ひばりの歌に魅了していた。
「人生ひとすじ」「芸ひとすじ」この歌もいい。なんかやはり1960年代を思い出す歌にこだわっている。
高度成長の入口そして文明開化の入口だった。人々は倫理感も持ち合わせ地域社会のつながりがあった。みんな助けあっていきていたころを懐かしく思いだした。
日本の戦後の復興に元気をくれた美空ひばりだった。
そして2曲目は「花笠道中」、中学2年のころだと思う。中学校から自宅まで一緒に帰ったMさんがこの歌を歌っていて教えてくれた。そして私は家に帰るとラジオから聞こえるこの歌を必死になってノートに書き取り覚えた。
それから何年も美空ひばりのことは忘れていた。高校に入って「柔」の歌がでてきた。メロデイーが歌いやすいので自然に覚えた。
今私の脳裏に浮かぶ美空ひばりは題名は少し忘れてしまったが「雪の〇七変化」だったかな。この写真は映画館の案内の看板で見たような気がする。
後は強烈なのはやはり小林旭との結婚・離婚だった。
それから長い間、日本の歌謡界は多くの人がデビューして消えていく人、活躍する人など悲喜こもごものドラマがあった。その間、でショックだったのは石原裕次郎の訃報、そして美空ひばりの訃報だった。昭和の時代が過去になっていく。20世紀が後ろにいく。
日本が20世紀に繰広げた侵略と戦争も後に引けていく。
こんな事を思い出す2人の訃報だった。
近年、歌番組をみるとすればNHKの日本のうたぐらいだがそれもどうかするとみることがそう多くない。
テレビ番組をみて1960年前後の歌の特集になると見ている。
そのとき私の青春だった。いろんな意味で悩んだ。民族の出自にも悩んだ。
どうして日本の親から生まれなかったのだろうと悩んだ。
そうこうしているうちに芸能界、スポーツ界で活躍する大方が朝鮮半島にルーツをもつ人が多いことも分かってきた。悩んだこと嘘みたいに消えたのは夫と結婚して恋することもなく隠す必要がなくなったからだった。
そんな青春を思い出し日本の戦後に育った私の子どものころを思い出して人生、長いこと生きていや生かされてまた素晴らしい美空ひばりの歌とであえた。
「愛燦燦」「川の流れに」に出会えた。
これは誠かそれともそうでないのか信憑性は不確かだが、在日同胞の間で仕事をするようになって1世から聞いた話である。美空ひばりは中国公演に何ども招待されながら行かなかった。それはなぜか。韓国公演を実現させてから行くと言っていたという。
この話がもし本当だったら、今もし健在で歌手生活をしていたら、韓流ブーム到来で美空ひばりは韓国公演を実現させていたのではと思ったりしてテレビを見ていた。
もし韓国公演が実現していれば舞台はどこだったただろうか。
韓国にも文化ホールがたくさんあるがいったいどこだっただろうか。
と、そんなことを想像して今夜も美空ひばりの歌に魅了していた。
「人生ひとすじ」「芸ひとすじ」この歌もいい。なんかやはり1960年代を思い出す歌にこだわっている。
高度成長の入口そして文明開化の入口だった。人々は倫理感も持ち合わせ地域社会のつながりがあった。みんな助けあっていきていたころを懐かしく思いだした。
日本の戦後の復興に元気をくれた美空ひばりだった。
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