鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

昨日は橿原神宮の駅構内で昼食をした。

2007-03-18 10:01:35 | 直言!
「かやく定食は」は600円、お「勧め定食」は天ぷらなどついて850円である。副菜も1品多いのだろう。私は煮炊き物が好きで「おでん定食」を食べた。
11時40分ごろだっただろうか。昼前なので1人ということで気を使ってカウンターに座った。カウンターの1番端に80歳を越えた高齢の男性が1人で座って何かを食べておられた。てっきりビールと思ったらチュウハイだった。そしておでんの筋肉を酒の肴に2本取って飲んでおられる。あれ、高齢者なのにチュウハイとは珍しいと考えた。
私は人が悪いのか高齢者男性の一杯飲み代を計算した。
筋肉1本130円、チュウハイ1杯260円である。一杯飲むのに1番安い飲み方と気がついた。ビールだと500円である。
1000円でおつりが少ない。500円前後で済ませて後のおつりをまた大事に残して次の楽しみに取っておられるのだろうと私は想像した。
なるほど生活をすることはこんなことなのだと気がついた。
私はふだん何気なしに昼食をコーヒー入れて1000円以内ならいいと思って食べているがこの高齢者の男性のお金の使い方に年寄りの知恵はすごいなあと1人で感心していた。
私が何度もメニーの値段と高齢者の皿をみているのでちよっと高齢者は恥ずかしいのか自分の皿を見ておられた。
もし私が高齢者の身内なら「上手なお金の使い方だけど筋肉を1本にしてあと1つはコンニャク、または大根かじゃがいもにしたほうがいいよ」といいたくなるがまったく知らない人にそんなこといえないので黙って心の中でそう思っていた。
高齢者は家族の誰にも邪魔されないで1人至福の時間を500円前後で楽しんでおられるように見えた。人生の生きていく知恵に感動した。

そして夕方、奈良に戻ってきて近鉄奈良駅近くのスーパーで買い物をした。5000円近く買った。大根、りんご、牛乳と重いものばかりなのにレジ袋を小さいのを3枚くれる。このごろこんなやりかたなのか時には「大きい袋下さい」というが前は大きい袋をくれたがこのごろは大きい袋といっても小さい袋である。大きい袋は2枚にしないとここのスーパーの袋は薄くてよく破れた。小さい袋でいくつも持って下さいということだが年寄りは1つの袋に入れて鞄を持ちたいのである。2つ3つの持ち方は働いていない主婦なら持てるが働いている物は鞄の中にはいろんな仕事道具が入っている。重いのである。
なんとか2つに入れて鞄を肩にかけて2つの袋を持ってバス停に向かった。
スーパーでも1人ぶつぶつ言って怒っていると籠からレジ袋に入れていた隣の人も「そうですね。大きいのがほしいですね」と言っている。
ちょっと気分が悪いのが直らないままバス停に来るとネットの書き込みをしている男性がバス停で待っていた。
とっさに私の無様な格好をみられていたのが恥ずかしくなったが主婦なので買出しも私の仕事と考えて心の中で割りきった。
重いレジ袋さげて無様な格好で歩いた姿、自分でも想像できるから。

そしてバスにのった。男性は横すわりの座席に座られたが私はこの横すわりが酔うので後ろの座席に行った。
そしたら高齢者の婦人と若い母親とその子ども3人がモタモタしている。
座る、座らないともめている。
私は一時も早くレジ袋を座席に起きたいので思わず「早くどいて下さいよ」ときつく言うと座る。座らないとゴタゴタしていた高齢者の婦人、60歳半ばの女性が孫の横に座った。おばあちゃんと一緒に座りたいという孫の横に座った。座席が高いのである。母親は段差のない座席に座っている。孫が少しでも高い座席にすわりたかったのだろうが-----3駅で降りていかれた。3駅なのにゴタゴタしていたのがまたもっと不愉快になった。
そしてバス3駅の間のことである。
その高齢者と小学生の孫が大きい声で「せっせ」の遊びをし出した。
1駅近くまで黙っていたがだんだん声が大きくなる。
私はそれを注意しない母親なら高齢者の婦人がバスの中で「せっせ」の遊びを孫がしだしたら「ここはバスの中だから家に帰ってから」と孫に言って聞かすのが普通だろう。一般の足として利用するバスの中である。長距離の旅行バスと違う。それなのにバスの中で物事の道徳がわかっている高齢者が孫に注意しないで一緒に遊んでいる。
私は2回「やかましい。ここはバスの中」と言ってもやめない。3回言ってもやめない。
そして若い母親は後ろ向いて私に横目で睨みをきかした。
なんという親子と思ったらまた不愉快になった。
それで私は前の座席にいた若い母親に小さな声で「いい大人がどうして注意しない」と言ったらその母親は即座に前に座っている孫に注意をした。やっとやめた。
また「せつせ」の遊びをする前は若い母親が孫に「小さな声で話すのよ」と言って携帯を貸してかけさせている。なんという人とおもったが黙った。携帯の後がこの遊びだった。
その親連れは私より先に降りた。知人の男性もその駅で降りた。
私の怒っている声は耳にしておられるだろう。
たぶん何も言わないで黙っていればと思っていたかもしれない。
なんか昨日は昼食では知恵と工夫で至福の時間を楽しんでいる1人の高齢者に少し気分がウキウキとしたのに夕方になるとまたいろんなことがあった。
人生1日の暮らしもいいことも悪いことも私の傍を通りすぎていく。

そうそう昨日、奈良から西大寺にでて11時34分か35分だったのか特急賢島行きが京都から入ってくる電車の予告をテレビで見た。次は急行橿原神宮行が50何分だった。これはずしたら待たなければならない。
西大寺駅の1番ホームに急いだ。
そしたら奈良行きホームに行くエレベーターの前で数人の若い男性がウロウロしている。
賢島行きの電車がホームに入る音が聞こえる。
2人連れ持ってエスカレーターの前にたつので私は思わず「すみません。どけて下さい」といったらすっと2人の男性が右側に移動した。そして数人いた中の1人の若い男性が言った「すみません。気がつかなくてすみません」と言ってくれた。
私は「ありがとう」という言葉をいうまもなくエスカレーターを駆け足で降りていった。こんなときは足の痛いことは忘れている。
そしたら賢島行きの電車の前に数人がまだ並んでいて車内に入るところだった。間に合った。たぶんこんな光景はエスカレーターにいた若い男性たちは気がついているだろう。私は心の中で「気がつかなくてすみません」と言った男性にありがとうと言っていた。
もちろん特急券は買っていない。八木まで15分なのに電車の中で特急券500円を払った。座れなくても15分、立つ覚悟だったが通路側があいていたので座ることができた。
そして八木駅では大阪から来た名古屋行き特急と連絡している。
賢島行きにのっていた乗客は前のホームに停車している名古屋行きに乗り換えまた名古屋行きに乗っていた乗客は賢島行きにのりかえた。
この光景にふっと旅行気分を味わうようだった。
そして私は心の中でこのホームに乗り換えて名古屋まで取材に行ったことがあった。蒲郡や榊原温泉にもよく行ったことを思い出していた。
今日私はこの電車にのらないが大和路の早春にふれる気持ちになって旅行気分になった。

1日の中でもあんなことこんなこに出会って強弱をつけて過ぎていった。
そうだ。もうすぐ幼稚園の卒園式になる。

卒園式では「思い出のアルバム」の歌を園児たちが歌う。この歌のメロデイーと歌詞でまた泣けてくる。
「思い出してごらん。あんなことこんなことあったでしよう---」と。
この歌は韓国語にも翻訳されて韓国系の民族学校の卒園式でも歌われている。
私の1日のことも思い出として過ぎ去っていく。
今日はそんな1日だった。

一期一会というものではないが高齢者が1人、カウンターでちびりちびり飲んでおられたあの光景に私が教わることがあった。これが一期一会なのだろうか。
なんて朝になって思い出している。
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