この3日間、何に振り回されたのだろうか。
あ、しんど。この3日間、弟の1本の電話から振り回された。
3月は20日からずっとぶっ通しで仕事、この中取材のない2日間は記事作成のため家で引きこもり、24日は大阪、京都と走り回って夜は記事を作って夜中に出稿、24日の朝、喫茶店で仕事に行く前にコーヒーを飲んで新聞一紙を読んでいると携帯がカバンの中から鳴った。
久しぶりの弟からの電話、13歳離れた弟だが早くに実家を離れたのできついことも言えない姉で普段はたいてい弟のいいようにしてきた。
それが今夜8時ごろ、家に行くという。今から仕事といったら電話がきれた。
大阪府庁で仕事をすませて昼食の後、また弟から電話が入る。
「今夜に行く」という。このときはさすが仕事を優先して「今夜はあかん」と言って25日の夜8時にしてもらった。
弟も仕事をしているので昼間にしてほしいと思うが仕事優先、それもいえなくて25日、夜8時になった。民団大阪本部の団長選、団長の決定したのは7時10分すぎだった。急いで7時15分に会館をでて灘波から奈良に戻ると8時過ぎ、あわてて服を着替えていると弟夫婦がきた。
何の用事と思ったら母名義になっていた土地・建物の名義変更で私の承諾書がいる。
だから印鑑証明書がいるという。
こんなこと会社員だった父、母の仕事だった廃品回収業の商いを次いだ弟の名義にすればいいのに父は母に少しの思いのかけらのあったのだろう。喧嘩ばかりしていたので愛情なんてかけらもないと思っていた。
母名義にすれば一緒に住んでいる弟夫婦は父が亡くなっても母親を最後まで面倒見てくれるだろうという母の資産のしたのだろう。母が亡くなってから分かった。私は弟夫婦が1世の頑固な親を最後まで面倒みてくれたことに感謝しているので資産放棄の判子は押すが、なんとその書類もややこしくて頭痛い。日本の行政はなんでもかんでもややこしくしている。対した資産でもない。猫の額ほどなのにである。
ややこしいことをするから私まであと振り回されることになった。
とうの昔に印鑑証明を作っていた。
そしたら印鑑証明の印鑑は欠けていなかった。それなのに私の持っている印鑑は長い年月の間に欠けていた。この欠けた印鑑はよくないと考えて新しいのに作り変えていたが印鑑証明のところまで切り替えの処理をしていなかった。
そしたら書類を作成している司法書士はこれはいけないという。そしたらどうするのか。印鑑証明の切り替えという。20日からずっと取材と原稿作成で休養している間もなかった。もう61歳の年齢には1週間に1度家でゆっくりする時間を作らないと後の仕事に支障をきたす。このことは自分が1番よく知っている。
弟に今回初めて「もうしんどいから、いかれへんから委任状をもって代理で処理して」と頼んだら弟の嫁が奈良市役所と我が家をいったりして処理してくれた。
まだ明日1日、弟の嫁は我が家と奈良市役所を行ったりきたりする。
これだけでも落ち着かない。
誰もこない時は体の休養のために午前中1時間から2時間、ぐっと布団の中で寝ることにしている。これで1週間の疲れが取れていく。なのにまた明日も落ち着かない。
弟の嫁といえどもやはり他人で気を使う。
コーヒーを作ったりお茶を出したりして気を使っている。
さてこんなことで振り回されていると気がついた。
日本人も韓国人も署名と印鑑の好きな民族であるとはすでに皆よくしっている。しかし日本の法律に在日韓国人がしっかりと括られて管理されている。そして本名を名のる私の印鑑証明の書類は通明が括弧で括られている。私がどちらなのだろうと一瞬とまどった。
そういえば印鑑証明を切り替えるとき本名の印鑑でしょうと一瞬思ったがもしものときにまたややこしいことになると考えて仕方なしに通名でした。
もしものことは夫にいえないが双方加齢、夫が5歳年上である。もし万が一何かあればもろもろの書類の処理のときにまた印鑑証明の書類に本名で名前が違うと行政からせっつかかれそうな気がした。
役所というところは本名と通名を記入しているのになにかあると通名優先だったり本名優先だったりする。この名前は1人だけの人物なのになにかミステリアスな小説の主人公みたいで変な気持になっていた。私は1人しかいないのに2人いる感覚、なんかへんである。名前は1つしかないのにへんだと思った。
こうして通名と本名の表記に相変わらず区別する日本法務省は在日韓国人の管理が徹底していると苦笑していた。
そのわりに私から見ればずさんともいえるのが重国籍の子どもたち、在日外国人と日本人と結婚した夫婦の子どもは日本のどちらかの親の住民基本台帳に記入され外国人登録証明書から外されている。だから朝鮮半島にルーツを持つ子どもたちは日本国籍になって見えない在日韓国・朝鮮人を作っている。こんなこと日本政府はなんとも思っていないのだろうか。
同化政策の一旦ならこれはおかしい。日本植民地支配と何ら変わりない。
こんなことを思い出し在日同胞の管理は未だに日本植民地支配に置かれている感覚になった。またしんどい話になったが、弟にふりまわされた3日間もしんどかった。しんどいと思うのは年のせいなのだろうか。気もしんどい。体もしんどい。
本名を名のって生きられる日本社会になることが在日同胞は括弧で縛られることはなくなるだろう。行政から解放されるのだろうがそれはいつ来るのか考えもできないぐらい日本は閉鎖的であると今回、弟にふりまわされてそう感じた。
あ、しんど。この3日間、弟の1本の電話から振り回された。
3月は20日からずっとぶっ通しで仕事、この中取材のない2日間は記事作成のため家で引きこもり、24日は大阪、京都と走り回って夜は記事を作って夜中に出稿、24日の朝、喫茶店で仕事に行く前にコーヒーを飲んで新聞一紙を読んでいると携帯がカバンの中から鳴った。
久しぶりの弟からの電話、13歳離れた弟だが早くに実家を離れたのできついことも言えない姉で普段はたいてい弟のいいようにしてきた。
それが今夜8時ごろ、家に行くという。今から仕事といったら電話がきれた。
大阪府庁で仕事をすませて昼食の後、また弟から電話が入る。
「今夜に行く」という。このときはさすが仕事を優先して「今夜はあかん」と言って25日の夜8時にしてもらった。
弟も仕事をしているので昼間にしてほしいと思うが仕事優先、それもいえなくて25日、夜8時になった。民団大阪本部の団長選、団長の決定したのは7時10分すぎだった。急いで7時15分に会館をでて灘波から奈良に戻ると8時過ぎ、あわてて服を着替えていると弟夫婦がきた。
何の用事と思ったら母名義になっていた土地・建物の名義変更で私の承諾書がいる。
だから印鑑証明書がいるという。
こんなこと会社員だった父、母の仕事だった廃品回収業の商いを次いだ弟の名義にすればいいのに父は母に少しの思いのかけらのあったのだろう。喧嘩ばかりしていたので愛情なんてかけらもないと思っていた。
母名義にすれば一緒に住んでいる弟夫婦は父が亡くなっても母親を最後まで面倒見てくれるだろうという母の資産のしたのだろう。母が亡くなってから分かった。私は弟夫婦が1世の頑固な親を最後まで面倒みてくれたことに感謝しているので資産放棄の判子は押すが、なんとその書類もややこしくて頭痛い。日本の行政はなんでもかんでもややこしくしている。対した資産でもない。猫の額ほどなのにである。
ややこしいことをするから私まであと振り回されることになった。
とうの昔に印鑑証明を作っていた。
そしたら印鑑証明の印鑑は欠けていなかった。それなのに私の持っている印鑑は長い年月の間に欠けていた。この欠けた印鑑はよくないと考えて新しいのに作り変えていたが印鑑証明のところまで切り替えの処理をしていなかった。
そしたら書類を作成している司法書士はこれはいけないという。そしたらどうするのか。印鑑証明の切り替えという。20日からずっと取材と原稿作成で休養している間もなかった。もう61歳の年齢には1週間に1度家でゆっくりする時間を作らないと後の仕事に支障をきたす。このことは自分が1番よく知っている。
弟に今回初めて「もうしんどいから、いかれへんから委任状をもって代理で処理して」と頼んだら弟の嫁が奈良市役所と我が家をいったりして処理してくれた。
まだ明日1日、弟の嫁は我が家と奈良市役所を行ったりきたりする。
これだけでも落ち着かない。
誰もこない時は体の休養のために午前中1時間から2時間、ぐっと布団の中で寝ることにしている。これで1週間の疲れが取れていく。なのにまた明日も落ち着かない。
弟の嫁といえどもやはり他人で気を使う。
コーヒーを作ったりお茶を出したりして気を使っている。
さてこんなことで振り回されていると気がついた。
日本人も韓国人も署名と印鑑の好きな民族であるとはすでに皆よくしっている。しかし日本の法律に在日韓国人がしっかりと括られて管理されている。そして本名を名のる私の印鑑証明の書類は通明が括弧で括られている。私がどちらなのだろうと一瞬とまどった。
そういえば印鑑証明を切り替えるとき本名の印鑑でしょうと一瞬思ったがもしものときにまたややこしいことになると考えて仕方なしに通名でした。
もしものことは夫にいえないが双方加齢、夫が5歳年上である。もし万が一何かあればもろもろの書類の処理のときにまた印鑑証明の書類に本名で名前が違うと行政からせっつかかれそうな気がした。
役所というところは本名と通名を記入しているのになにかあると通名優先だったり本名優先だったりする。この名前は1人だけの人物なのになにかミステリアスな小説の主人公みたいで変な気持になっていた。私は1人しかいないのに2人いる感覚、なんかへんである。名前は1つしかないのにへんだと思った。
こうして通名と本名の表記に相変わらず区別する日本法務省は在日韓国人の管理が徹底していると苦笑していた。
そのわりに私から見ればずさんともいえるのが重国籍の子どもたち、在日外国人と日本人と結婚した夫婦の子どもは日本のどちらかの親の住民基本台帳に記入され外国人登録証明書から外されている。だから朝鮮半島にルーツを持つ子どもたちは日本国籍になって見えない在日韓国・朝鮮人を作っている。こんなこと日本政府はなんとも思っていないのだろうか。
同化政策の一旦ならこれはおかしい。日本植民地支配と何ら変わりない。
こんなことを思い出し在日同胞の管理は未だに日本植民地支配に置かれている感覚になった。またしんどい話になったが、弟にふりまわされた3日間もしんどかった。しんどいと思うのは年のせいなのだろうか。気もしんどい。体もしんどい。
本名を名のって生きられる日本社会になることが在日同胞は括弧で縛られることはなくなるだろう。行政から解放されるのだろうがそれはいつ来るのか考えもできないぐらい日本は閉鎖的であると今回、弟にふりまわされてそう感じた。
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