昨日、タウンジャケットを着なかったら寒かった。今日はセーターの下に薄いインナーを1枚着ないといけない。
阪神電車と直通になった近鉄線、近鉄奈良からは乗り場も変わって人がいっぱい。駅構内からホームに行くのも人をかき分けていかなければならない。
そして近鉄難波駅に改札口近く、夕方5時半なのにいっぱい。この時間はいっぱいだがまたもっといっぱいになった。
奈良に行く人、たぶん帰る人なのだろう。
そして5時40分の特急電車にも多く乗車、4両車両が6両車両になっているのに----。
そんなわけで昨日は堺東の現場に入った。
会議が終ったら後で皆で本館ビルの最上階のラウンジの喫茶に集ることにしたが1人の報道記者が先に帰ると行ったら「俺も帰る」「俺も帰る」と2人の男性が言う。だったら私も「帰る」と言って急ぎ足で堺東駅に向かった。
トイレはしたいが難波でしょうと考えた。
女性のトイレは男性より時間がかかる。待たせたては悪いと考えて難波ですることにした。
先にエレベーターでホームに降りて彼らたちを待った。
同じ電車で在日韓国人の記者4人が帰るのは久しぶりである。
彼らたちの話す言葉の中にひさしぶりに「記者仲間」の会話の醍醐味に浸っていた。それぞれに持ち合わせている情報交換(出せる範囲で話し合う)をしている。
かつて私も若いときはこれからちょっと寄って帰ろうか。ということで居酒屋に立寄って40分から1時間、ワイワイといろんなことを話し合った。
そしてこんな時はなぜかしら、誘ったものがお金を払っていた。
そんなときはポケットにカンパしてもらった飲み代を入れていた。誰かが「飲み代、カンパしてもらった」と言ってはまたここからカラオケににもよく行ったが私はこのあとほとんど自宅に戻った。年に数回カラオケにも付き合っていたがほとんどここで皆と別れた。
当時の在日韓国人の記者は10人近くいた。
在日韓国人の記者はたいてい割り勘だった。日本スタイルの文化に合っている。
しかし韓国生まれの記者は割り勘というのが性にあわないらしい。
今日は飲みにいくなと思ったら韓国から来ている記者は誰かに「飲み代」をカンパしてもらってくる。
もう何年も前に済州道に帰国した記者もよくその手を使った。
「カンパ」の「飲み代」に皆、遠慮なく居酒屋に行った。
バブルがはじけて新聞社も人材カットしていく。辞めていく人もいた。
いろんな浮き沈みの中で仕事をしてきたことに今、私は感謝している。
この頃、仕事も猛烈に忙しかったのにまたこんな付き合いにも1ヶ月に1・2度顔を出して夜遅く帰っていた。ものすごく夫に不自由をかけた。
年月が経って寂しがりだった夫がよく辛抱してくれたと思うようになって夜の外出は控えるようになった。
そうしたら今度は私が寄る年端に夜の外出が苦手になった。
夜の外出があるときは前の日に夫の夕食を1品でも作って出かけることにしている。
そんなことで昨日は久しぶりに4人が揃ったので久しぶりに電車を一緒に乗った。20分程度の電車の中だが昔なつかしい仲間の会話が弾んだ。
2人は新今宮で下車して環状線に乗換えた。
2人は難波に出たが彼は高島屋に寄って夕食の惣菜を購入しに行った。
私は急いで近鉄難波駅に行った。5時35分の奈良行特急、時計は31分、特急券を買わないでそのまま飛び乗ろうとしたら阪神三宮直通になって特急が40分になっていた。ホームの自動販売機で特急券を買って特急電車に乗った。
トイレはもちろん特急電車になった。
自宅に戻ると昨日に湯がいてあった筋肉を韓国風に炒めて夫のビールの肴、私がもっと遅くなると思って刺身を買ってきていた。
貝割れ大根を洗って皿に盛りつけた。そして私は豆腐と麩の味噌汁を作った。
今夜の夕食はこれで終った。保存食2品出してこれで今日は終わり。
しかしせっかく堺市の最上階で待っておられた方に申し訳ない。
が、久しぶりに4人で帰り久しぶりの記者仲間の会話が弾んだ。
今日は10時に外出の支度をしないといけない。
少しでも昨日の原稿を作っておこう。
阪神電車と直通になった近鉄線、近鉄奈良からは乗り場も変わって人がいっぱい。駅構内からホームに行くのも人をかき分けていかなければならない。
そして近鉄難波駅に改札口近く、夕方5時半なのにいっぱい。この時間はいっぱいだがまたもっといっぱいになった。
奈良に行く人、たぶん帰る人なのだろう。
そして5時40分の特急電車にも多く乗車、4両車両が6両車両になっているのに----。
そんなわけで昨日は堺東の現場に入った。
会議が終ったら後で皆で本館ビルの最上階のラウンジの喫茶に集ることにしたが1人の報道記者が先に帰ると行ったら「俺も帰る」「俺も帰る」と2人の男性が言う。だったら私も「帰る」と言って急ぎ足で堺東駅に向かった。
トイレはしたいが難波でしょうと考えた。
女性のトイレは男性より時間がかかる。待たせたては悪いと考えて難波ですることにした。
先にエレベーターでホームに降りて彼らたちを待った。
同じ電車で在日韓国人の記者4人が帰るのは久しぶりである。
彼らたちの話す言葉の中にひさしぶりに「記者仲間」の会話の醍醐味に浸っていた。それぞれに持ち合わせている情報交換(出せる範囲で話し合う)をしている。
かつて私も若いときはこれからちょっと寄って帰ろうか。ということで居酒屋に立寄って40分から1時間、ワイワイといろんなことを話し合った。
そしてこんな時はなぜかしら、誘ったものがお金を払っていた。
そんなときはポケットにカンパしてもらった飲み代を入れていた。誰かが「飲み代、カンパしてもらった」と言ってはまたここからカラオケににもよく行ったが私はこのあとほとんど自宅に戻った。年に数回カラオケにも付き合っていたがほとんどここで皆と別れた。
当時の在日韓国人の記者は10人近くいた。
在日韓国人の記者はたいてい割り勘だった。日本スタイルの文化に合っている。
しかし韓国生まれの記者は割り勘というのが性にあわないらしい。
今日は飲みにいくなと思ったら韓国から来ている記者は誰かに「飲み代」をカンパしてもらってくる。
もう何年も前に済州道に帰国した記者もよくその手を使った。
「カンパ」の「飲み代」に皆、遠慮なく居酒屋に行った。
バブルがはじけて新聞社も人材カットしていく。辞めていく人もいた。
いろんな浮き沈みの中で仕事をしてきたことに今、私は感謝している。
この頃、仕事も猛烈に忙しかったのにまたこんな付き合いにも1ヶ月に1・2度顔を出して夜遅く帰っていた。ものすごく夫に不自由をかけた。
年月が経って寂しがりだった夫がよく辛抱してくれたと思うようになって夜の外出は控えるようになった。
そうしたら今度は私が寄る年端に夜の外出が苦手になった。
夜の外出があるときは前の日に夫の夕食を1品でも作って出かけることにしている。
そんなことで昨日は久しぶりに4人が揃ったので久しぶりに電車を一緒に乗った。20分程度の電車の中だが昔なつかしい仲間の会話が弾んだ。
2人は新今宮で下車して環状線に乗換えた。
2人は難波に出たが彼は高島屋に寄って夕食の惣菜を購入しに行った。
私は急いで近鉄難波駅に行った。5時35分の奈良行特急、時計は31分、特急券を買わないでそのまま飛び乗ろうとしたら阪神三宮直通になって特急が40分になっていた。ホームの自動販売機で特急券を買って特急電車に乗った。
トイレはもちろん特急電車になった。
自宅に戻ると昨日に湯がいてあった筋肉を韓国風に炒めて夫のビールの肴、私がもっと遅くなると思って刺身を買ってきていた。
貝割れ大根を洗って皿に盛りつけた。そして私は豆腐と麩の味噌汁を作った。
今夜の夕食はこれで終った。保存食2品出してこれで今日は終わり。
しかしせっかく堺市の最上階で待っておられた方に申し訳ない。
が、久しぶりに4人で帰り久しぶりの記者仲間の会話が弾んだ。
今日は10時に外出の支度をしないといけない。
少しでも昨日の原稿を作っておこう。
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