それから昨日の現場の記事を作った。
原稿と写真を送るともう12時半、昼食をして新聞を読んだのが1時。30分ほどで1紙読んだがもう1紙が読めない。眠たい。トロトロと寝てしまった。
起きると3時前、急いで起きてパソコンの前でライフワークの作業したが1つしかできなかった。しかたがない。明日は現場がないので今夜またしていこう。
いつもこうして慌しく過ぎていく。
12時半ごろ少し雨が上って外を見ると向かいの家の屋根に鳩が1羽とまっていた。チビの羽根の色と同じである。
双眼鏡で見ると羽根に赤い線が横に入っているのが見える。
これではないと思ったが成長していく段階でかわるのだろうか。
1昨日、電線の上にとまっていたときはこんな羽根ではなかった。
違う鳩かもしれない。
夕方になると雨がやんだ。
鳩やヒナたちは餌を取りに行ったのか。広告塔のところには1羽もとまっていない。向かいの大型マンションの屋上に3羽とまっている。
ヒナではなさそうだ。
そしてよく見ると鳩たちがねぐらにしていたマンションの住人が今日はおられる。カーテンが開いている。何日ぶりかに開いた。
これでは鳩たちは冷房機器の裏側をねぐらにできないだろう。
このごろニュースは資料調べないと書けないニュースばかりだ。
先日は元外務省の職員、もう90歳を越えている人が沖縄の基地問題に機密があったことを証言された。そのことにずっと闘ってこられた西山さんの主張がようやく世間に認められた。西山さんはジャーナリスト・ネットで公演して頂いたことがあった。
私の息子が沖縄に住んでいるが米軍基地問題は遠巻きにして見てきたので文章にするのには私の認識不足で書くことができない。
ほかにニュースは事件性が多いのと毎日、鳩山首相の母親からの相続問題、これもどこまでが真実でどこからが本当によくないのか。私は分からないので文章にすることなくきている。
沖縄県の海は紺碧で青々としている。
この海をみていると何事もなかったように波は浜辺に打ち寄せている。
しかし沖縄県の真ん中に位置する米軍基地、頭上にはたえまなく米軍機が飛びかっている。田畑を取られた沖縄県民の気持ちにいかほどか。胸が痛む。
そんな時、横で夫が「米軍基地で働いている人もいる。基地が移転するここで働く人の生活に問題がでてくる。全部移転してしまうことも慎重に考えないといけない」と言う。
はたして夫の言うことが正しいのか。いや間違っているのか。本当に分からない。これこそ沖縄県民に本音を語ってもらわないといけない。
現場に足を踏み入れて住民の声を聞いて行くことこそが記事にできるものと考えてこの問題に認識のない私は遠巻きに見ている。
沖縄県に行って真剣に資料を探したのは韓国人犠牲者が祭られている韓国人慰霊碑のあるところを訪問してからだった。ここは私が統一日報大阪支社で勤務しているとき、民団京都本部が沖縄県研修旅行企画、団員たちの沖縄県研修旅行に同行取材した。息子がまだ沖縄県で大学生活を送っているときだった。
国際通りにあるホテルに泊まった。3泊4日の旅でバス4台貸しきって沖縄半島を見学した。このとき初めて私は沖縄に入った。私が沖縄県に行く費用があればまだ大学生だった息子の仕送りにと考えて行くことがなかった。
そんなことを知っていた当時の団長さん、親の故郷が同じということで大事にしてもらった。そんなこともあって私を沖縄県研修旅行に連れて行って下さった。少しでも大きい記事にしないといけないと私なりに気迫に満ちた同行の旅だった。研修旅行の1つの目的が韓国人犠牲者が祭られている韓国人慰霊碑がある摩文の丘を訪問することだった。慰霊は朴正煕元大統領が書かれた筆跡が慰霊碑に刻まれていた。
ここから見た海も青く綺麗だった。
しかしここに韓国人犠牲者の慰霊碑があった。このとき資料で摩文の丘について調べたことがあったがもうかれこれ20年と少し過ぎてすべて忘れてしまった。また日本海軍がいたといいわれている地下壕も見学した。長い長い階段を降りての見学だった。当時、私はまだ45歳前後、若かった。階段を中ヒールで駆け下りて見学したものだった。当時60歳を越えた婦人会のオモニ(お母さん)たちは階段の上り下りが怖くて見学をしないでおられた人もいた。
今だったらその気持ちが分かる。今だったら見学もしないし旅行の同行もやめてしまっている。
やがてこの近くに平和記念公園が作られた。後日、何度かここに訪問しているが必ず坂道を登っていって韓国人の慰霊碑のところに行っている。
沖縄県というと京都の同胞たちと一緒に行った研修旅行を思い出す。
そのとき一緒に行った婦人会の人たちに先日、京都南区東九条のある所でお会いした。もう年齢は80歳を越えておられたが元気にしておられた。
ひさしぶりに会ってとても懐かしかった。
機会を見て1度訪ねてみたいとも思っている。
もう5時近くになってきた。風呂を入れながら夕食の支度をしないといけない。
遅くなった。
原稿と写真を送るともう12時半、昼食をして新聞を読んだのが1時。30分ほどで1紙読んだがもう1紙が読めない。眠たい。トロトロと寝てしまった。
起きると3時前、急いで起きてパソコンの前でライフワークの作業したが1つしかできなかった。しかたがない。明日は現場がないので今夜またしていこう。
いつもこうして慌しく過ぎていく。
12時半ごろ少し雨が上って外を見ると向かいの家の屋根に鳩が1羽とまっていた。チビの羽根の色と同じである。
双眼鏡で見ると羽根に赤い線が横に入っているのが見える。
これではないと思ったが成長していく段階でかわるのだろうか。
1昨日、電線の上にとまっていたときはこんな羽根ではなかった。
違う鳩かもしれない。
夕方になると雨がやんだ。
鳩やヒナたちは餌を取りに行ったのか。広告塔のところには1羽もとまっていない。向かいの大型マンションの屋上に3羽とまっている。
ヒナではなさそうだ。
そしてよく見ると鳩たちがねぐらにしていたマンションの住人が今日はおられる。カーテンが開いている。何日ぶりかに開いた。
これでは鳩たちは冷房機器の裏側をねぐらにできないだろう。
このごろニュースは資料調べないと書けないニュースばかりだ。
先日は元外務省の職員、もう90歳を越えている人が沖縄の基地問題に機密があったことを証言された。そのことにずっと闘ってこられた西山さんの主張がようやく世間に認められた。西山さんはジャーナリスト・ネットで公演して頂いたことがあった。
私の息子が沖縄に住んでいるが米軍基地問題は遠巻きにして見てきたので文章にするのには私の認識不足で書くことができない。
ほかにニュースは事件性が多いのと毎日、鳩山首相の母親からの相続問題、これもどこまでが真実でどこからが本当によくないのか。私は分からないので文章にすることなくきている。
沖縄県の海は紺碧で青々としている。
この海をみていると何事もなかったように波は浜辺に打ち寄せている。
しかし沖縄県の真ん中に位置する米軍基地、頭上にはたえまなく米軍機が飛びかっている。田畑を取られた沖縄県民の気持ちにいかほどか。胸が痛む。
そんな時、横で夫が「米軍基地で働いている人もいる。基地が移転するここで働く人の生活に問題がでてくる。全部移転してしまうことも慎重に考えないといけない」と言う。
はたして夫の言うことが正しいのか。いや間違っているのか。本当に分からない。これこそ沖縄県民に本音を語ってもらわないといけない。
現場に足を踏み入れて住民の声を聞いて行くことこそが記事にできるものと考えてこの問題に認識のない私は遠巻きに見ている。
沖縄県に行って真剣に資料を探したのは韓国人犠牲者が祭られている韓国人慰霊碑のあるところを訪問してからだった。ここは私が統一日報大阪支社で勤務しているとき、民団京都本部が沖縄県研修旅行企画、団員たちの沖縄県研修旅行に同行取材した。息子がまだ沖縄県で大学生活を送っているときだった。
国際通りにあるホテルに泊まった。3泊4日の旅でバス4台貸しきって沖縄半島を見学した。このとき初めて私は沖縄に入った。私が沖縄県に行く費用があればまだ大学生だった息子の仕送りにと考えて行くことがなかった。
そんなことを知っていた当時の団長さん、親の故郷が同じということで大事にしてもらった。そんなこともあって私を沖縄県研修旅行に連れて行って下さった。少しでも大きい記事にしないといけないと私なりに気迫に満ちた同行の旅だった。研修旅行の1つの目的が韓国人犠牲者が祭られている韓国人慰霊碑がある摩文の丘を訪問することだった。慰霊は朴正煕元大統領が書かれた筆跡が慰霊碑に刻まれていた。
ここから見た海も青く綺麗だった。
しかしここに韓国人犠牲者の慰霊碑があった。このとき資料で摩文の丘について調べたことがあったがもうかれこれ20年と少し過ぎてすべて忘れてしまった。また日本海軍がいたといいわれている地下壕も見学した。長い長い階段を降りての見学だった。当時、私はまだ45歳前後、若かった。階段を中ヒールで駆け下りて見学したものだった。当時60歳を越えた婦人会のオモニ(お母さん)たちは階段の上り下りが怖くて見学をしないでおられた人もいた。
今だったらその気持ちが分かる。今だったら見学もしないし旅行の同行もやめてしまっている。
やがてこの近くに平和記念公園が作られた。後日、何度かここに訪問しているが必ず坂道を登っていって韓国人の慰霊碑のところに行っている。
沖縄県というと京都の同胞たちと一緒に行った研修旅行を思い出す。
そのとき一緒に行った婦人会の人たちに先日、京都南区東九条のある所でお会いした。もう年齢は80歳を越えておられたが元気にしておられた。
ひさしぶりに会ってとても懐かしかった。
機会を見て1度訪ねてみたいとも思っている。
もう5時近くになってきた。風呂を入れながら夕食の支度をしないといけない。
遅くなった。
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