アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

インドの映画大学

2011-04-15 | インド映画

素敵な雑誌を送っていただきました。「FULLSIZE」という小ぶりの雑誌です。タイトルに続けて「edited by ピクトアップ」と書いてあるのが読めますでしょうか。発行は日本映画大学(前身は日本映画学校)なのですが、編集は隔月刊の映画雑誌「ピクトアップ」の編集部が担当している、ということのようです。

「ピクトアップ」という雑誌、私は寡聞にして知らなかったのですが、編集部の方が「FULLSIZE」と一緒に送って下さった4月号を見ると、通しナンバーはすでに#69。偶数月に発行、とのことなのでもう10年選手なのですね。サイズはこちらも小ぶりですが、ヴィジュアルがきれいで、中身がぎゅっと詰まった感じの映画雑誌です。 興味がおありの方は、「ピクトアップ」のHPへどうぞ。

この2冊を編集部の方が送って下さった理由は、私が「FULLSIZE」の記事にほんのちょっぴり協力したからなのでした。

本年度より学生が入学し、大学としてのスタートを切った日本映画大学は、日本映画学校時代の校長佐藤忠男氏が学長に就任、新たな歩みを進めつつあります。佐藤忠男氏は以前、アジアフォーカス・福岡国際映画祭のディレクターを務めていらしたので、アジア映画ファンなら誰でもが知っているはず。その佐藤学長が「FULLSIZE」で、「世界の”映画大学”事情」という記事に登場し、アジアや欧米の映画大学について語っているのですが、その中にインド、プネー市にあるインド国立映画・テレビ研究所も登場するのです。この映画大学との連絡方法について、編集部の方から私に問い合わせがあり、それにお答えした、というわけなのでした。

プネーのインド国立映画・テレビ研究所(Film & Television Institute of India/略称FTII)は1960年の設立。上の写真はその正門で、2000年1月に行った時に撮ったものです。プネーはムンバイから南東に約120㎞の所にある古い町で、デカン高原の標高560mの所にあるため、気候が穏やかなことで知られています。プネーには昔から大学や研究所などが多く、またここに1933年から53年までプラバートという映画会社があったことから、FTIIもプネーに作られることになりました。プラバート社のスタジオ等がそのまま残っていたので、映画人の卵を育てるのに設備が使えたのです。

FTIIには以前は俳優コースもあったのですが、現在はスタッフを養成するコースのみ。監督、撮影、編集、録音等のコースで学生たちが学んでいます。学生たちはインド全土から学びにきており、また発展途上国の学生も受け入れているので、スリランカやマレーシアなどの外国人学生もいます。授業の邪魔になってはいけないという配慮からか、FTIIはなかなか見学を許可してくれず、私もずーっと昔に突然訪ねていった時は門前払い。2000年の時は、FTIIの校長が旧知の俳優モーハン・アーガーシェー(下)だったので、彼に頼んで見せてもらったのでした。

FTIIの設備は立派とは言い難く、プラバート社時代に使っていたのでは、と思われるような機材も多く残っていました。下の写真は、グル・ダットの監督・主演作『紙の花』 (1959)に出てきたような大型クレーンが置いてある、スタジオ内部です。

授業をしているところも恐縮しながら見せてもらったのですが、学生たちと討論していたらしき先生が私を見るなり聞いてきました。「リッティク・ゴトクの作品は見たことがあるかね?」うーん、何やらテストされているような...。日本映画大学に見学に来た外国人に、「小津安二郎の作品は見たことがあるかね?」と聞くようなもんですね。「以前私どもが大インド映画祭をやった時には、『雲のかげ星宿る』を上映しました。あと、『非機械的』『変ホ音』も見ましたが、私が一番好きなのは『黄金の河』ですね~」とお答えしたら合格ラインに達したようで、あとは自由に見学させてもらえました。

FTIIは映画技術だけでなくテレビ技術も教えているので、こういうブースもあります。

その近くの壁には、フロア・ディレクターが出すサインの一覧が貼ってありました。ちょっと写真が小さいのですが、日本と共通のサインがあったり、サリー姿の人が描かれていたりして面白いです。

FTII出身者は、20年ほど前までは芸術映画畑か国営テレビ局(ドゥールダルシャン)に行くものと相場が決まっていたのですが、今はいろんな場所で活躍しています。例えば、『医学生ムンナー・バーイー』 (2003/原題:Munna Bhai M.B.B.S.)、『その調子で、ムンナー・バーイー』 (2006/原題:Lage Raho Munna Bhai)、『3バカに乾杯!』 (2009)と立て続けにヒットを飛ばした、プロデューサーのヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー&監督のラージクマール・ヒラーニーというコンビも、2人ともFTII出身者です。

前述したピクトアップ編集部からのお問い合わせには、こんな詳しいことは何も話さず、ただFTIIのHPをお教えしただけだったのですが、ご丁寧に掲載誌を送ってきて下さってびっくりしました。こんな風に丁寧にアフターケアをして下さるマスコミの方は少ないです。我々も見習わなくちゃ、ですね。記事では表記ミスがちょっとあるのですが、(誤:ヒンドゥー語→正:ヒンディー語、誤:プラブハット映画会社→正:プラバート映画会社)、中国、インドネシア、韓国の映画大学も紹介されていますので、興味のある方は「FULLSIZE」発行元の日本映画大学(E-mail:info@eiga.ac.jp)までお問い合わせを。大学のHPも付けておきます。

最後にオマケ。「私も、演技コースがあった時代のFTII、当時はFII(Film Institute of India)出身です~」byジャヤー・バッチャン(旧姓バードゥリー)。

 

(1980年1月、ボンベイ(現ムンバイ)のアミターブ・バッチャン邸にて)

 

 


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2 コメント

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FTII (kubo)
2011-04-17 11:01:01
こんにちは。
いつも興味深く拝見しております。
著名俳優を輩出したプネーのFTIIには前々から関心があったので、こうして画像付きで紹介していただいて感謝感激です。
リッティク・ゴトクのくだりは、さすがcinetamaさんですね。素人は簡単には見学させてもらえないということがよく判りました(笑)。
ディレクターの出すサインは面白いですね。こういうのはやはり欧米式なのかそれともインド独自のサインもあるのか等、興味が尽きません。

ところで、FTIIは俳優コースを長く休止していましたが、2004年に募集を再開しており、現在のホームページにも定員26名の俳優コース(2年間)があると記載されています。
入学するのに大卒資格が必要なのは、いかにも学歴社会インドという気がします。再開後のFTII出身俳優も既にいるはずですが、ボリウッドで活躍している人もいるのでしょうか。
ご参考サイト:
www.ftiindia.com/courses_main.html
www.hindu.com/2004/02/28/stories/2004022808120400.htm

FTII出身俳優といえば、先日FTII優等卒業生のナヴィーン・ニスチョールが亡くなりましたね。
私が彼を初めて見たのは、『ラジュー出世する』でのシャールクが勤務する建設会社の悪徳社長役でしたが、70年代にはヒーローとしてかなりの作品に主演していたことを後に知りました。
古き良き時代(?)のボリウッドで活躍した俳優の訃報を目にする機会が増えてきたのは淋しいことです。

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kubo様 (cinetama)
2011-04-17 11:19:29
貴重なコメント、ありがとうございました。いつも私の抜けている点をご指摘いただき、本当にありがたいです~~~。

FTIIの俳優コースが復活していたとは思いもよらず、失礼しました。すでに卒業生が出ていると思うので、どんな人がいるのかまた調査してみます。

ナヴィーン・ニシュチャルは、サンジャイ・カーン、フィローズ・カーンあたりと同年代のスターで、甘い顔の二枚目として1970年ごろ結構人気がありました。『ラジュー出世する』で二重アゴになっている顔を見た時は、「あうぅ!」と思ったものです(笑)。

それから、実はいただいたコメントの後半、私個人宛の部分は、それだけを削除することができず、前半部分をコピペして私が再度投稿する、という形にしました。そんな手を使ったので、うまくkubo様のコメント通りになっているか心配です。

他の読者の方にもお願いなのですが、私個人宛のご連絡は、独立したコメントとして送って下されば幸いです。そうすると削除できますので。あるいは、「インド通信」に書いてある個人メールアドレスまで、「○○という名前で送ったコメントは私です」とかご連絡を下さいませ~。ご面倒ですが、どうぞよろしく。
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