アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

非常事態宣言

2016-10-12 | 日常

介護をしていた従兄が亡くなりました。誰も身寄りがいなくて、首都圏に住んでいる親族は私だけだったため、これまで4年間、ほぼ月1回の割合で訪問していた人です。まだ70代半ばだったのですが、認知症の症状が5年ほど前から現れ、4年半前に20年ぶりぐらいで会ってみると、当時住んでいたマンションがゴミ屋敷状態になっていました。さすがに本人もこれではダメだと思ったのか、その後近所の不動産屋さんに自ら出向いて近くの公団賃貸住宅を紹介してもらい、マンションも売却してもらって引っ越ししました。


場所は江戸川区で、引っ越す前に私が地域包括支援センターの方と連絡を取り、介護認定をしてもらったため、しばらくしてヘルパーさんも頼むようになりました。週1回来て下さっていたのですが、重い買い物などを引き受けて下さり、また話し相手にもなって下さっていたので、よく手紙に「ヘルパーはよくやってくれる」と書いてきていました。そのヘルパーさんが、定例訪問だった先週の木曜日、チャイムを鳴らしても出ないし、ドアポストに新聞が溜まっているのを不審に思い、金曜日の午前中にも再度確認、同じ状態だったため、地域包括支援センターのケア・マネージャーさんに連絡して下さいました。そのケアマネさんから、鍵を持っている私に電話が入って2人でかけつけたところ、室内で倒れているのを発見した、というわけでした。ケアマネさんの大声の呼びかけに答えて、手を動かしてくれた時には本当にホッとしたものです。


新聞のたまり具合から、どうやら4日ほど前に倒れたまま起き上がれなかったらしく、脱水症状と低体温症を起こしていたのではと思います。失禁もしていたのですが、ケアマネさんはそんなことに構わずすぐ傍らに飛んでいって励まして下さり、ふとんを掛けるなど適切な処置をしてから救急車を呼んで下さいました。病院も、普段かかっている病院にうまく受け入れてもらえて、途中救急隊員の問いかけにうなずいたり、小さな声で「ごめん」と言ったり、車中では不安だったのか私の手をぎゅっと握ったりしていました。病院に到着後先生がすぐ頭のCTスキャンを撮って下さったのですが、「比較的新しい、小さな脳梗塞はあるが、これで倒れたとはちょっと考えられない」とのこと。ともかく点滴して、暖かくして寝かせて体力を回復させ、あとはリハビリで合計2週間ぐらい入院でしょうか、というお話で、安心して帰宅したのでした。


入院したのはSCUという耳慣れない病棟で、看護師さんに聞くと「Stroke Care Unit」だとのこと。「脳卒中ケア・ユニット」と訳されるようです。ところが次の日に面会に行ってみると、一転して呼吸が苦しそうです。どうしたんだろう、と思いつつ、約束していたケアマネさんに会いに地域包括支援センターに行くと、そこへ主治医の先生から電話が入り、病状説明をして下さいました。「実は、今日全身のCTを撮ってみたら、肺炎を少し起こしているのと、腸閉塞があり、しかも出口に向かってだいぶ腫れているのがわかった。それから、腎臓がかなりダメージを受けている。なぜそうなったのかはわからないのだが、かなり厳しい状況だ。今日、明日が山場かもしれない」とのことで、びっくりしました。本人がしゃべれないため、いつから腎臓が悪くなったのか判断するすべがないようで、また、腎臓が原因での腸閉塞なのか、あるいは腸閉塞が原因での腎臓のダメージなのか、それも不明とのことでした。でも、病院に戻っても何もできないので、「何か変化があったらお電話しますから」という先生のお言葉に甘えて、いったん家に帰りました。


幸いなことに、その夜も翌朝も電話はなく、午前11時頃電話してみると、容体は少し安定してきた、とのお返事が。「よかった」と買い物に行っていたりしたら、午後4時過ぎに病院から電話があり、「容体があまりよくない」との連絡が入りました。いつでも病院に行けるよう準備して待っていたところ、6時半頃、「呼吸が止まった」との連絡が来たので、あわてて出かけました。でも、わが家から病院までは、2時間ほどかかります。着いた時には、もう遺体となって、空いていた個室に寝かされていました。その後は病院出入りの葬儀店に連絡が行き、その人たちがかけつけてくれて退去、ということになるのは、お身内を病院で亡くされた方は皆さんご存じだと思います。なぜかその病院出入りの葬儀店は、病院から車で30分あまりかかる所にある大きな所で、結局この日は遺体を運んで保管してもらい、ざっと打ち合わせをしてそこを出たのが午後11時半でした。


でも、とてもありがたかったのは、病院でも葬儀店でも本当に行き届いたお世話をして下さったことでした。病院ではまず霊安室に安置されるのですが、その時に担当の先生と2名の看護師さんがお参りして下さり、寝台車に乗せた遺体が病院を出るまで、外に出て見送って下さいました。毎回そうなさっているらしいのですが、頭が下がる思いがしました。着いた葬儀店では簡単な打ち合わせをして、あとは明日又来て本格的な打ち合わせを、ということで、夜間担当の方と30分ぐらいお話しました。その後、「遅くなりましたので、最寄り駅までお送りしましょう」とその方がお車で送って下さいました。初めて行った町だったので、徒歩で行くと迷ったかも知れず、大いに助かりました。


というわけで、今は土曜日の葬儀を待ちつつ、様々な手続きをしているのですが、これが本当に大変です。まず、私と本人との関係が従兄&従妹であることがネックになってきます。しかも、母親同士が姉妹なので、姓が違います。このため各所で不審がられているのですが、公団の退去届けの場合は、「二人がいとこであると証明できる戸籍謄本を取ってほしい」と言われました。私と母、従兄とその母親、という戸籍謄本に加え、母親同士が姉妹であることがわかる戸籍謄本を取らないとダメなんですね。うう、もう40年も前に亡くなった叔母や、22年前に亡くなっている母の本籍地をどうやって捜せばいいのか...。しかも、その書類が揃ってからでないと退去届けは出せず、出してから15日経たないと退去が出来ない(つまり、退去する日の15日前までに届け出ること、という規定があるのです)ため、必要書類を取っている間にどんどん家賃がかさみます。最初に2ヶ月分敷金を入れているので、それの払い戻しとかが関係してくることから、こんなに厳密なのでしょうか。


それから葬儀も、お骨壺の関係で遠く離れた所の斎場になりました。実は、従兄の菩提寺は大阪市にあり、あとで私が遺骨を運んでいくのですが、関東のお骨壺はすべてのお骨が入るようになっているバカでかいものです。それを5寸の分骨用のお骨壺にしてもらったため、入りきれないお骨の始末をして下さる斎場を選ぶ必要があったのでした。お葬式は私が見送るだけの、「直葬」とか「火葬式」と呼ばれる形のものにしました。菩提寺のご住職が従兄の父方の従弟であるため、あとでたっぷりとありがたいお経も読んで下さるし、というわけで、最低限のお葬式で勘弁してもらうことにしました。

それで今週は、毎日従兄の家に通っては、亡くなった通知を各種の機関や事業所にしているのですが、銀行口座の凍結にもあれこれ問題が派生し、もうくたくたです。そんなわけで、ブログ更新も、書きかけの記事が2つほどそのままになっています。それに、インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン(IFFJ)のオープニングにご招待いただいたのに行けなかったりと、あちこちにご迷惑もお掛けしているところから、目下の「非常事態」をちょっとお知らせしようと思ったのでした。今後、部屋の片付け(業者さんに頼むものの、冷蔵庫の生ゴミの始末や、あとで通知を出すために従兄の交友関係がわかるものを捜したりと、山ほど仕事があります)等々で、またほぼ毎日従兄の住居に通う日が続きそうです。


それにしても幸いだったのは、従兄が倒れたまま数日間生きていてくれたこと。亡くなっていたら、警察にごやっかいになることになって、もっともっと大変だったに違いありません。それから、例年なら今頃はTIFFの字幕で唸っている時なのに、今年は字幕の仕事がやってこず、時間の自由がきいたこと。神様はきっと、こういう従兄の後始末ができるよう、ヒマな時間を与えて下さったのだと思います。それに、私も独り暮らしなので、「独り暮らしの終活」に関してのインターンシップをさせてもらったような気もします。それにしても、人生、いろいろありますねー。


今はただ、従兄の冥福を祈るばかりです。きっと、先に亡くなった叔父(戦争中、韓国の木浦沖で、軍艦に乗ったまま撃沈された)と叔母に迎えられて、70数年ぶりに家族団らんをしていることでしょう。



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6 コメント

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お悔み申し上げます (玻璃)
2016-10-13 22:52:57
5年前に義父を亡くした時のことがまざまざと思いだされました。

義父は同居していたのに亡くなったことに気づかなかったのです。前夜まで元気だっただけに、刑事さんが来たり、検死があったりしました。
その後の手続きも、ヨメという立場ではできないことが多すぎました。従兄ということならさらに大変だと思います。

いつもばりばりご活躍なので大丈夫だと思いますが、さまざまな手続きが終わってほっとした頃にどっとお疲れが出るかもしれません。
好きなことに邁進するのとは違う苦労があると思いますので、できるだけ無理をされませんように。

最後にきちんとしていただけて従兄の方もほっとしておられることと思います。
心よりお悔み申し上げます。
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玻璃様 (cinetama)
2016-10-13 23:19:53
暖かいコメント、ありがとうございました。

玻璃さんも、そういうご経験をなさったのですね。
私も以前結婚していた時に、やはり義父が眠っている間に亡くなってしまい、結局解剖に付される、ということがありました。
ですので、今回は入院した時に従兄に、「ようがんばったやんか~。えらかったね~」と言ったりしたのでした。

お言葉に従い、あまり無理しすぎないように気をつけます。
従兄の家財の始末も良心的な業者さんに頼むことができ、何とかうまく行きそうです。
東京都の場合、廃棄物は家電リサイクル品などを除くと、すべてキロいくらで手数料を取られると言われ、目からウロコでした。
断捨離はまず、重い物から、ですねー。
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このたびは (りからん)
2016-10-15 09:26:44
大変なことで、お悔やみ申し上げます。
cinetamaさんのお疲れが出ませんように、どうぞお気をつけ下さい。
取り急ぎで失礼いたします。
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お体に気を付けて (Jaan)
2016-10-15 15:05:25
cinetamaさん、こんにちは。
従兄さんのこと、心からお悔やみ申し上げます。

以前、医療従事者として私も多くの方をお見送りし、ご家族の方とも関わってきました。
唯一の身内であるcinetamaさんが従兄さんのためにケアされたこと、とても大変だったと思いますが、従兄さんにとっては、cinetamaさんの存在は大きく、そして心強く、安心して天国にいかれたのではないかと思います。
本当、神様が従兄さんために、お優しいcinetamaさんを導くために、いろいろ準備してくださったのでしょうね。

玻璃もおっしゃられていますが、手続きなどいろいろ終わった後に、どっと悲しみや疲れがやってきますから、
お体に気を付けて下さいね。

私も一人暮らしなので、終活のこと考えたりします。
cinetamaさんと住んでる市がもしかして同じかなと思うのですが・・・わりと近いところにいると思うので、cinetamaさんも何かお困りの時、手を貸してほしい時などありましたら、遠慮なく、お声かけ下さいね。
その時は、喜んで駆けつけ、お手伝いさせていただきますので。
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りからん様、Jaan様 (cinetama)
2016-10-15 20:48:54
お二人からの暖かいお言葉、ありがとうございました。

今日は、市川市の斎場で葬儀を行ってきました。
一人だけの参列者なのに、大きな控え室を使わせて下さったりして、ありがたかったです。

納骨まで、しばらく同居です。
生きていたら、ひと言文句を言わずには済まなかっただろうと思いますが、仏様は静かです(笑)。

JaanさんもK市ですか?
今度、講座に来て下さったら、また教えて下さいね。
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私も・・・ (Jaan)
2016-10-15 22:38:44
無事に、葬儀を終えられたのですね。
お疲れ様でした。

cintamaさんもK市でしたか!?
私もK市でTM区(なんだかDAIGOさんみたいですね・・・笑)です。
是非、講座の時に!
お話しできるの楽しみにしております♪
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