アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

コルカタ街歩き

2025-02-23 | インド映画

「街歩き」と書きましたが、インドでは「歩き」が本当に難しくなってきました。歩くのが結構好きな私は、日本はもちろん、香港やバンコクでもよくウロウロと街歩きをするのですが、ここインドはまず歩ける道がなくて、乗り物に乗る前と後に少し道を歩く、という程度になります。一応車道とは別に歩道があるものの、レンガを敷いていた歩道ではそのレンガがはずれたりしてでこぼこで歩きにくく、また平らな道になっていたところも、穴ができていたり、砂がいっぱいだったりと、本当に歩くのがつらいのです。スニーカーとかを履いている学生たちならいいのですが、サリーにサンダルだとすっすと進めずもうイライラ。街歩きはストレスがたまります。で、昨日もジャガンナート寺院にお参りするのに、まずはウーバー・カーを呼びました。なかなか来てくれないし、一度引き受けてもすぐキャンセルしたりして、どうも運転手さんにとってはあまり行きたくない所のようです。

 

で、ホテルから南西に30分あまり走ったところにあるジャガンナート寺院は、割と最近建てられた寺院のようでした。周囲にもいくつか寺院があり、その中心となっているようで、地元の人が次々と、グループや家族でお参りしていました。みんな観光気分でスマホでバチバチ写真を撮っています。というわけで私もスマホでたくさんの神様を撮ったのですが、ちょっとひょうきんなジャガンナート様3兄弟妹のお顔はさすがに遠慮して撮りませんでした。我が家にあるジャガンナート神がいつも守って下さっていることにお礼を言って、そこからまたウーバーで地下鉄のネータージー・バワン駅へ。

途中では、ヤシュの出演する広告を見かけました。さすが、『K.G.F』の人気はすごい。また、通り道には、ドゥルガー女神の像を造ったりする職人の店が並ぶ一角もあり、写真を撮ったのですが、何とそこに労働者マークのついた赤旗が。さすが左翼運動の強いコルカタです。しかし、ドゥルガー女神様、結構太鼓腹に形成するのね。

 

ネータージーはご存じのように、日本軍を巻き込んだ独立運動を画策した当時の指導者チャンドラ・ボースのことですね。地上の駅入り口の壁面には、こんなレリーフが。

 

バワン(建物)、と言うからには記念館みたいなものがあるのでしょうが、地図には載っていなかったのでパスしてちょっと周りを歩いてみました。道にはサブジー・マンディー(野菜市場)が大展開、ほかにもいろんな露天が出ています。神様絵の露天も出ていたので、ついつい大判ポスターを買ってしまいました。ムンバイまでどうやって運ぶのよ!? でも、いつか役に立つかも知れないから、ね? 葉書大のかわいいジャガンナートのも買ったりしたのですが、大判は30ルピー、小型のは10ルピーで、ラメ飾りが付いていたら20ルピーとかなので、おじさん、それで食べていけるの?

 

道を反対側に渡り、小路を入ったらそこは文字通りの市場でした。

反対側の道にはリキシャが停まっていて、たくさんお買い物した人を運べるようになっています。コルカタは今でも、文字通りの人力車なのですね。

きれいな鉢植えを売っているお店も裏通りにありましたが、若いお兄さんが店主だというのでびっくり。いい人のお宅に飾られるといいね。

で、どこかでお昼を食べようと思ったのですが、食堂らしきものがない。皆さん自宅で食べるのでしょうか。表通りに戻り、私と同じ年頃のおばあさんが入っていった食堂があったので、ついて行って相席させてもらいました。いかにも労働者食堂、という感じで、ご飯に何かカレーを1品、あと頼めば塩も持ってきてくれる、という貧しい感じの食堂です。「何のカレーがいいですか?」と聞かれ、困っていたら、前のおばあさん客に野菜カレーを出すのを見せながら、「チキンやマトンもありますよ」というので、「じゃ、マトンカレー」と頼んでしまいました。出てきたのがこれ。

タマネギぐらい付けてくれればいいのに、と思ったのですが、スプーンも持ってきてくれ、親切です。他の客は皆手で食べていました。おいしいマトンカレーでしたが、お勘定の時に200ルピーと聞いてびっくり。「えー、そんなに高いの?」前の席のおばあさんは100ルピー出しておつりを貰っていましたが、庶民の物価もたかくなっているんですね。この店でした。「ホテル」とあるのは、インドでは食堂のことを「ホテル」と呼ぶのでこうなっているのです。

で、やっと初の地下鉄乗車へ。ここではトークンをもらいましたが、同じ路線でもその後に乗ったギリーシュ・パーク駅では、QRコードを印刷した紙チケットでした。1回の乗車が15ルピーとかなので、ウーバーの10分の1ぐらいです。

コルカタの地下鉄は、開通した当初の1990年だったかに乗ったことがあり、地方から出て来たご一家が座席に座らず金属の床にべたっと座って乗っていたのを思い出します。今回は女性専用席のある両端車両のうち、後の方に乗ったのですが、結構満員でした。すると、降りるギリーシュ・パーク駅まであと2駅か3駅、というところで少し車内がすきました。その時中年の女性が私の腕を掴んで、座っている若い女性たちに向かって、「ちょっとあなたたち、席を譲りなさい」と声を掛けてくれたのです。「いえいえ、あと3駅ほどで降りるので、大丈夫ですよ。ありがとうございます」とお断りしたものの、若いお嬢さんたちはバツの悪そうな顔をしていました。確かに、他の都市、ハイダラーバードとかムンバイに比べると、譲って貰う率が低かったです、コルカタ。

ギリーシュ・パーク駅で降りたのは、タゴールが住んでいた家が彼の記念館になっている、とホテルのフロントマン、ビッショスさんに教えて貰ったから。地図には一応出てているのですが、どの通りを曲がればいいのかわかりません。お巡りさんがいたので聞いてみたら、「その向こうにある道を右に曲がりなさい」と教えて貰ったものの、たどり着けるのか、という感じ。途中延々とあるいて、何度も人に聞いてやっとたどり着けたのは、立派な建物のここでした。

入館料は何と外国人は500ルピー。インド人の10倍です。先頃かまびすしい姫路城の入場料問題じゃないけど、外国人はつらいよ、ですね。

履き物を脱いで入る記念館の中は、上手に見学路が作ってあり、タゴールの生涯を辿ることができます。タゴールは訪日もし、日本との縁も深い人なのですが、日本からの寄付で日本関係の展示には複数の部屋が使われており、日本旅行でタゴールが持ち帰ったものなども展示してあって、充実していてやれよかった、という感じです。しかしものすごく広い家で、全部の展示を見て回ると2時間はゆうに経ってしまいます。途中でサリー姿の私を見て話しかけてくれる人もあり、中にはシャンティニケトンのタゴールが作った大学ヴィッショバラティの卒業生だという女性の方もいらしたりして、途中にどこか、座って話せる休憩室のところがあればいいのに、とか思いました。

この記念館への曲がり角も神像屋さん。地下鉄の駅からの途中には楽器のお店もあったりして、店主とお客が話し込んでいました。

さらに、先ほどの仕立てさんじゃないけど、アイロン屋さんもいて、今、アイロンに困っている(持ってきた旅行用アイロンをおしゃかにしてしまい、ハイダラーバードでラーフルさんに始末をお願いしてきた)私としては、ホテルの近くにこういう人がいてくれたらいいのに、と思うことしきり。後ろの自動車の前に見えるのが、アイロンを温めるコークスか何かの炉です。皆さん、相手になって下さってありがとうございました。

というわけで、ギリーシュ・パーク駅からマイダーン駅まで地下鉄に乗り、珍しくあったエスカレーターに乗って改札をでて、階段を上ってまた歩きにくい道を辿り、ホテルの前まで来て食堂「グプタ・ブラザース」の灯が見えた時にはホッとしました。

結構歩いて疲れ果て、シャワーを浴びてちょっと寝てからブログを、と思ったのですが、真夜中までぐっすり。真夜中は「サタデーナイト・フィーバー」でホテルの全クラブがアゲアゲ状態だったらしく、低音サウンドもいつもよりうるさかったものの、なぜか3時頃電話がかかってきて(空気を切り裂くような音が出るんです、ここの電話)起こされ、また眠るとまたかかってきてと悪夢のような夜でした。でも余りに疲れすぎていたのか、4時頃から8時頃まで再びぐっすり。これで「オススメできないホテル」の方に傾いてしまいましたが、まずまず面白いコルカタ滞在なのでした。


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