今、コルカタには、ドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』(2019)の監督、佐々木美佳さんが留学中です。インドには国立の映画学校が2校あるのですが、1960年に西インドのプネーに設立されたFilm and Terevison Institute of India(FTII)のあと久しぶりに作られた2校目が、1995年にコルカタに作られたSatyajit Ray Film and Television Institute(SRFTI/公式サイト)です。『大地のうた』(1955)等の監督として日本でもよく知られているサタジット・レイは、1992年4月23日に70歳で亡くなりますが、彼を記念して作られたのがこの映画大学と言っていいSRFTIなのでした。下はバイクタクシーに乗る佐々木さんです。『タゴール・ソングス』の公開時、マスコミのほかYouTubeや劇場での舞台挨拶等々に登場したので、佐々木さんの顔を覚えている人も多いでしょうし、あの映画と共にファンになった方もいるのでは、と思います。東京外大でヒンディー語を専攻し、同時にベンガル語も学んだ勉強家です。
佐々木さんは2年前に留学してこの研究所で学び始め、目下は課題として製作する映画『ブーゲンビリアの夢』に取り組んでいます。太平洋戦争時に出征した若い兵士とその妻が、手紙を通じて心の結びつきをさらに強くする姿を描いたもので、妻が残された日本の家をSRFTIキャンパス内にセットで作るなど、大変な苦労をしながら先日撮影を終了、現在はポスプロ(ポストプロダクション=音声や効果音、音楽を入れたり、色調を整えたりして、監督がイメージする作品に仕上げる工程)に取り組んでいます。日本家屋を作ったり、畳まで作る(!)のには支給された製作費では足らず、クラウド・ファンディングを行った佐々木さんですが、そのサイトでの報告がとっても面白くて、畳作りのところなど感心してしまいました。エッセイ集も出版している佐々木さん、文章もお上手です。この映画については、ネットの映画サイトでもこちらなどで報道されています。
で、この日はポスプロ中のラッシュ(編集前の映画)を佐々木さんの女子寮(上左が入り口。上右は向かいにある建物で、女子寮全体の写真を撮り忘れたのでご参考までに付けておきます)の部屋でちょこっと見せて貰ったのですが、主人公を演じる俳優たちは北東インド出身の人なのに、日本人としての雰囲気が出せる人を選び、着物や軍服に慣れてもらって撮影したらしく、違和感はほとんどありません。そして画面の色調が何とも言えず優しくて、どんなライティングで撮ったのだろう、インド映画では見たことのない感じだわ、と感心してしまいました。佐々木さんのドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』とも、全く違う世界が撮られていて興味深く、音が入り、編集がなされて完成した作品を早く見てみたいものだと思わせられました。
@Misaki Miyazaki
細かい点を言えば、兵士役の人たちの髪がちょっと長かったり(しかし、ギャラもほとんど出ない学生による短編映画のために丸坊主にしろ、と言うのは無理というもの)、妻役の人が畳に倒れ伏して嘆くシーンがあるのですが、普通は畳に座った状態から上体を倒すので、膝を折って上体が前向きに倒れ伏す、という形になるものの、ちょっと違う形になっているので「あれ?」と思わせられるなど、少し違和感を覚えるシーンもあります。しかし、音声が入って、物語が観る人を引き込めば、全然気にならないシーンになることでしょう。
その後、佐々木さんに緑豊かで大きな池もある広いキャンパスを案内してもらい、主任教授に当たる先生のオニルバン・ドット氏にも引き合わせてもらいました。私がインド映画史に関心があり、また日本でのベンガル語映画上映や研究がもっと進むようにしたい、という話をすると、ドット先生からは「コルカタはインドで最初に映画が作られた場所だからね」とヒララル・シェンの名前が。確かに、ダーダーサーヘブ・パールケーに先立って作ってはいるのですが、作品が失われてしまっているので、尺などもわからず、今のところ「インド映画の父」は1912年に『ハリシュチャンドラ王(Raja Harishchandra)』を作って1913年に公開したパールケーになっています。
また、ドット先生はサタジット・レイよりもムリナール・セーンの作品の方を評価してらっしゃるようで、私が『ソーム旦那の話(Bhuvan Shome)』(1969)を持ち出すと、我が意を得たり、という感じでいろいろ話して下さいました。ムリナール・セーンの監督作は、『飢饉を探して(Akaler Shandhaney)』〔1982〕も1985年の我々の映画祭で上映はしたけれど、きちんと日本語字幕がつけられなかったし、いつかまた、上映したいものです。面白い先生がいらして、いいですね。ドット先生の方も佐々木さんのことを、「優秀なので、将来を楽しみにしている」とおっしゃっていたので、これからも何かと助けて下さることと思います。
ここはSRFTIの事務棟玄関で、レイとその作品の写真がいろいろ飾られています。また、受付の背後には、何とシャーム・ベネガル監督とタルコフスキー監督の似顔絵が。つい先日亡くなってしまったシャーム。こんな所で会えるとは。
そこからまたコルカタ中心部に戻り、佐々木さん推薦のチベット料理店The Blue Poppy Thakaliで遅くなったお昼ご飯を。お腹が空いていたので、写真を撮るのもすっかり忘れ、チベット風餃子のモモや豚肉のカツレツ、ヌードルスープなどに飛びつきました。チンゲンサイ炒めもあり、青菜ににんにくなど久しぶりで、とてもおいしかったです。そしてその後が、サタジット・レイの旧居があり、現在は通りに彼の名前が冠されてSatyajit Ray Dharani になって、彼の映画ポスターなどが通りを飾っている、という旧Bishop Lefroy Roadへ。現在いるホテルから、4ブロックほど南へ行ったところです。
行ってみると、通りのポスターはすでに撤去されたらしく、何もなかったのですが、道路から見える建物は横に長い、古いけど立派な建物で、ここが記念館とかになっているのか、と見上げました。佐々木さんが門番の人に、「開館は何時までですか?」とかいろいろ聞いてくれます。でも、何だか話がかみ合いません。「30分ぐらいして来てくれたら」「今は閉まっているのですか?」「45分後ぐらいがいいかな」???
結局、その門番のおじいさんは、何か面倒になったらしく、「ついておいで」と中に連れて行ってくれました。で、2番目の入り口から中に入れてくれて、「あのエレベーターで3階に行きなさい」。え、3階が受付なの?
おじいさんは去って行ってしまい、我々2人は旧式のエレベーターに乗って3階へ。そして踊り場から出た所にある扉の横のベルを押すと、使用人のような感じの中年女性が出てきます。佐々木さんがベンガル語でいろいろ説明してくれて、彼女はいったん引っ込み、今度はきれいなサリーを着た恰幅のいい、60歳ぐらいの女性が顔を覗かせました。佐々木さんがまた丁寧に説明してくれますが、この頃になると、ここはひょっとして記念館などではなくて、ご子息のションディプ・ラエさんが今も住んでおられるのでは? と思い出し、冷や汗が流れます。そのご婦人に名前を聞くと、Lolita、ロリタと書いて下さいました。そして、「今、シャワーを浴びているので、45分ぐらい後にまた来て下さい」と丁寧に言って、我々を送り出して下さいました。
というわけで、1時間近く後に再訪したそのお宅では、ロリタさんが扉を開けて下さり、その前にWikiでションディプ・ラエさんの奥様に間違いない、と確認していた我々は、恐縮しながら中に入れていただいたのでした。ションディプ・ラエさんもこういう「突撃取材」に慣れていらっしゃるのか、「どなたかな?」という感じで対応して下さり、我々2人は謝ったり自己紹介をしたりと大わらわ。ションディプさんはとても物静かで、感じのいい方でした。
「父は、日本のマダム川喜多にはとてもよくしていただいてね。他にも大島渚監督や友人・知人がいるし、黒澤や小津など、好きな監督も多かったので、日本に行った時も喜んでいたよ」と亡きお父様のお話をいろいろ聞かせて下さいます。その後一緒にお写真を撮らせていただいてから失礼したのですが、勘違いもここまで来たらいろんな実を結んでくれました。ションディプさんと佐々木美佳さんとのツーショットです。
佐々木さんが我々のツーショットも撮ってくれ、それがステキだった(自分で言うのもアレですが)ので、今回もちょこっと顔出しを。
で、30分ぐらいして辞去したのですが、将来何かの折にお写真を使わせていただくことがあるかも知れない、と思い、お立ちになったお姿も撮らせていただきました。確かお年は71歳だと思うのですが、少年のような雰囲気を持った、やさしい方でした。ありがとうございました。
実はこの日、朝は晴れていたのですが、私のホテルまで佐々木さんが来てくれたちょうどその時雨が降り始め、SRFTIにウーバーで向かう時には土砂降りの雨に。雷も鳴って、それはひどい空模様になったのでした。ほとんど雨の降らない冬の時期だといいうのに、まるで突然サイクロンが来たみたいです。あとでニュースを見ると、時ならぬ大雨に雹が混じったりする、という注意報も出ていたようです。
車の中で、「何か神様連れてきちゃったかな? インドラ神とか」と冗談を言っていたのですが、降りてきて下さったのはサタジット・レイだったようで、名を冠した研究所でも、元のお住まいでも、我々2人を守って下さった、としか思えない1日でした。えー、今年は多分、サタジット・レイ監督に関連する仕事のお手伝いをすることになると思うので、それを誠心誠意務めようと思います。昔、コルカタ(当時はカルカッタ)であったインド国際映画祭で撮った、サタジット・レイ監督の写真を付けておきます。1990年の時かな?
というわけでステキなコルカタの思い出になりました。案内してくれた佐々木美佳さん、忙しい中、1日付き合って下さって本当にありがとう! ポスプロ、がんばってね。作品の完成を楽しみにしています。