大阪アジアン映画祭の上映作品、『神さまがくれた娘』の字幕翻訳作業がようやく終わりました。前回書いたように厳しいチェックを経て、上がってきた山ほどのダメだしをひとつひとつ解決していく、という作業がここ2日間ほど続いてもうヘトヘト。字幕制作会社アテネフランセ文化センターの担当者のご指摘はさすがで、ヘンな日本語がだいぶ読みやすい日本語になりました。
その中で、ちょっと議論になったのが主人公の服装について。『神さまがくれた娘』の主人公クリシュナ(ヴィクラム)のトレードマークは毛糸で編んだチョッキ。インドで毛糸の服? と疑問に思われるでしょうが、主人公たちが暮らしているのは、タミルナードゥ州の北西側、ニールギリ丘陵にあるウータカムンドに近いアヴァランチという村なのです。ニールギリは、紅茶の産地としても有名ですね。
ウータカムンドはタミル語の発音だとウタカマンダラムと言い、略称ウッティー。ウーティーかと思っていたら、F先生に”ウッティー”と直されました。こちらが正しいようです。このウッティーですでに標高2300メートルぐらいあり、アヴァランチはそこよりさらに高所にあるらしいので、インドと言っても涼しいんですね。そもそもアヴァランチという名前は、フランス語で雪崩という意味の"avalanche"から付けられたのだとか。19世紀の初め頃、平地の熱さを逃れてここにやってきた西洋人たちが切り開いたヒル・ステーション(山の避暑地)がウッティーであり、その近くにあるのがアヴァランチなのです。
ですので、クリシュナは上のような服装をしているのですが、このチョッキを私は字幕では「セーター」と訳しています。ご覧になると必ず、「あれはセーターではなくてチョッキ、ベストでは?」と疑問に思われると思います。ただ、この作品中では、「チェンナイ(州都。暑い、どころか、熱い!)にいるのに、暖かい毛糸の衣服を着ている」というのが鍵になっているセリフがいくつかあるんですね。それが、「チョッキ/ベスト」では布製も多いので、「真夏に毛糸の服」という感じが出ません。「セーター」は綿糸で編んだのもあったりしますが、イメージなら断然「毛糸のセーター」です。というわけで、原語でも「セーター」と言っていることもあって、「セーター」という字幕になっています。
アヴァランチは涼しいので、クリシュナの友人たちは目出し帽に近い毛糸の帽子や、マフラーを着用しています。
こんな風に字幕に関して弁明をするのは、あまりいいことではないかも知れません。映画と共に皆さんがご覧になる字幕がすべて、あとは言い訳なし!というのが、正しい態度だと思います。とはいえ、ちょっと言い訳したかったりもするんですよね....。
たとえば、『家族の四季』 (2001)の中に出てくる早口言葉の訳。ラーフル(シャー・ルク・カーン)とアンジャリー(カージョル)がデリーの下町チャーンドニー・チョウクで出会うシーンなのですが、兄ラーフルに付いていったローハン(この頃はまだ子役が演じている太っちょ団子坊や。長じてからはリティク・ローシャン)が地元の子供たちに囲まれてしまうシーンがあります。そのリーダー格がアンジャリーの妹プージャー(これも子役。長じてからはカリーナー・カプール)で、プージャーはローハンに早口言葉を強要します。
(提供:Dharma Production)
チャンドゥー・ケー・チャーチャー・ネー チャンドゥーのおじさんが
チャンドゥー・キー・チャーチー・コー チャンドゥーのおばさんに
チャーンドニー・ラート・メーン 月夜の晩に
チャーンドニー・チョウク・メーン チャーンドニー・チョウクで
チャーンディー・ケー・チャンマチ・セー 銀のスプーンを使って
チャトニー・チャターイー チャトニーをなめさせた
実際のシーンをご覧になりたい方は、こちらの映像をどうぞ。ちょうど真ん中あたり、5分を過ぎた頃に出てきます。これを私は「となりの客はよく柿食う客だ」にしたのですが、それでお叱りを受けたことがありまして。ヒンディー語のできる方だったらしく、元の音や意味を生かさんのはけしからん、的な論調だったと思います。しかし、ここのプージャーが一気に言う早口言葉の時間はたった5秒弱。最大20文字しか使えません。いっぱいはしょって、「チャンドゥのおじさん/おばさんにチャトニを」でもう20文字。どないせえっちゅーんじゃ、の世界です。どういじくってみてもムリですね。それがわかって下さる観客ばかりではないんだな、と思った次第です。
(提供:Dharma Production)
こんなこともあるので、字幕の仕組みはなるべく多くの人に知っておいてもらおうと、大学の授業でマスメディア論などを担当する時は、字幕作成という演習を1時間設けています。こちらでセリフの全訳をした文章を、字数に従って学生諸君に縮めてもらうのです。私の教えている大学は、どこも結構日本語センスのある学生が多く、これをやってもらうとなかなか面白い訳をしてきてくれます。
よく使う教材は香港映画の20年ぐらい前の作品で、周星馳(チャウ・シンチー)と張學友(ジャッキー・チョン)が主演する刑事もの。と言えば、香港映画ファンの皆さんにはすぐピンと来ると思いますが、字幕作成教材としてぴったりのシーンがあるのです。ほんの30秒ほどなのですが、まず「コマネチ」という言葉が出てきます。ほとんどの人が「コマネチ」を知らない現在、これをどう字幕にするか。1990年代生まれなのに「コマネチ」を知っている学生がいたりもしますが、観客は知らないものとして工夫してごらん、というと、みんな上手な訳を出してきます。
ここは、追っていた犯人を海際の回廊に追いつめ、「ここから飛び込んだら見逃してやるよ」と刑事たちが言ったところ、犯人は本当に飛び込んでしまい、泳げないのでアップアップ。それを助けようと2人が飛び込むのですが、チャウ・シンチーはズルして飛び込まず、きれいなフォームで飛び込んだジャッキー・チョンに対して、「コマネチか、お前は」と言う、というシーンです。学生たちは、「お前 飛び込み選手か」とか、「そのフォーム 10点満点」とか、「金メダル級だな」とか、思わず二重丸をあげたくなる訳をしてきます。
また、最後に「Fuck you!」「Shut up!」を言い合うところがあるのですが、罵り言葉の貧弱な日本語、どんな訳をこの4文字言葉に出してくるのかと思えば、「クサレ外道!」なんていうのもあって、大笑いしてしまいました。字幕作成をやってみることで、字幕には「、」や「。」は付かないこととか、いかに文章のエッセンスを抽出して縮めて字幕は作られているか、といったことなどを学習してもらうと、次に映画館で洋画を見た時の字幕に対する印象が違うのではと思います。学生たちには、「就職して、宣伝部に行ったりすると役に立つよ~」と言ってるんですが、さて、実際に役に立った人はいるのかな?
何やかや、しんどいながらも楽しい字幕作成作業なのでした。というわけで、「キサス・キサス・キサス」のメロディーで、♪ 字幕・じまく・ジマク ♪.....。