アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

楽しいオマケ「トークの時間」

2012-10-13 | アジア映画全般

今週は、「トークの週」とでも名付けたい1週間でした。まず、アテネ・フランセ文化センターで開かれていた「アジア映画の森」の「香港ノワールの魅力」という上映で、『エグザイル/絆』 (2006)の上映が終わったあとの、宇田川幸洋さんと野崎歓さんの香港映画に関するトーク。それから、オーディトリウム渋谷で上映中の『ビラルの世界』 (2008)での、村山真弓さんのトーク。そして最後は本日やはり「アジア映画の森」の『オーム・シャンティ・オーム』 (2007)上映後の野崎歓さんと自分のトーク。自分のトークはちょっと棚に上げておいて、宇田川&野崎ご両氏のトークと村山さんのトークをご紹介したいと思います。

★「アジア映画の森/香港ノワールの魅力」@アテネ・フランセ文化センター

10月10日(水) 宇田川幸洋(映画評論家)×野崎歓(フランス文学者)

ちょっと遅れて入ったのですが、私が行った時はちょうど、「”香港ノワール”って、”ノワール映画”ではないよね」というお話が進行していました。”香港ノワール”というネーミングは、日本で『男たちの挽歌』 (1986)が公開された時に日本の宣伝会社が呼び始めた言い方で、地元香港はもちろん、他の国では使っていない言い方なのだとか。香港では『男たちの挽歌』のような作品は”英雄片”と呼ぶし、英語では”ギャングスター・ムービー”でしょう、と宇田川さん。

私もそのあたりコロッと誤解していたのですが、お二人の解説をうかがって、”ノワール映画”というのは暗ーい映画、特にファム・ファタル(運命の女性)が登場して彼女のせいで主人公が身を滅ぼす、といった映画を指す、ということがわかった次第です。”ノワール(黒)”はフランス語ですが、アメリカ映画の1940~50年代の一連の作品を指してこう呼ぶのだそうで、野崎さんはファム・ファタルのイメージとして、ローレン・バコールを挙げていました。”香港ノワール”というネーミングから、”ノワール映画”をヤクザ映画と思いこんでいたのは、中国語でヤクザを表す言葉”黒社会”の”黒”が、”ノワール”とシンクロしてしまったせいかも知れません。

そのほか、「王家衛(ウォン・カーワイ)監督の出現で、香港映画は行儀がよくなってしまった」とか、「杜[王其]峯(ジョニー・トー)監督は黒社会の儀礼的なものをよく取り入れる」「『奪命金』は金融の話を面白く映画に仕立てている」等のジョニー・トー監督の話題の中で、集団映画製作の秘密が明かされたり、「林超賢(ダンテ・ラム)監督はサスペンスの作り方がうまいが、ちょっとワンパターン。ジョニー・トーほど引き出しがない」とか、ほほう、へえ~、なるほど、なお話がいっぱい聞けました。録音して、全部を採録したいぐらい面白かったです。どこかのサイトで活字にしてくれないかしら? ブックレットのような形での出版でもいいんですが。

『ビラルの世界』@オーディトリウム渋谷

10月12日(金)村山真弓(アジア経済研究所・南アジア地域研究)

村山さんはさすが研究者だけあって、インド亜大陸の歴史や現状をしっかりと解説して下さったのが印象的でした。その解説の合間に、その都度映画のシーンに立ち返って観客の記憶を刺激する、というトークは、「この手法、いつか盗もう!」と思わせられたぐらいです。

まず、首都デリー、この映画の舞台コルカタ、そして隣国バングラデシュの首都ダッカの紹介を簡単にしたあと、「南アジアは、民族・宗教・文化が多様な世界」ということで、ビラルの両親の話になります。ビラルのお父さんはイスラーム教徒、お母さんはヒンドゥー教徒なので、2人とも目が見えないという共通点はあるものの、宗教が違う者同士の結婚なのです。

それから、言語も多様であるという話になり、それぞれ違う言語を話す各州では人々の気質も違うと見なされている、ということから、『ドナーはヴィッキー』 (2012)に描かれたパンジャーブ人とベンガル人の違いの話になりました。主人公のヴィッキーはパンジャーブ人で、パンジャーブ人は派手好きで保守的。ガールフレンドの方はベンガル人で、ベンガル人は質を重んじ、モダンな思想を持っている。その両者の結婚なので、互いの家庭では相手方の悪口をさんざん言う展開になるのです。

ビラルの両親も、宗教の違いの他に、お父さんはビラルとヒンディー語、あるいはウルドゥ語(この両者は話し言葉としてはほぼ同じ)で話し、お母さんはベンガル語で話していることから、お父さんはベンガル地方以外の出身らしいことがわかります。宗教も出身地も違う結婚なので、恋愛結婚と思われるが、それが可能になったのは、2人とも盲学校に通ってきちんと教育を受けたからでは、という分析はさすがでした。

インドにおける障害者の割合は、人口のほぼ1割で、そのうち視覚障害者が半数を占めるとか。もちろん就学率はあまり高くなく、50%弱で、特に視覚障害者は30%強だそうです。ビラルの両親は8年生(中学2年)まで行ったので、子育てや商売といった生きるための知恵も、目が見える人と比べても遜色がない。また、息子のビラルも学校に通わせている上、家庭教師も付けている。今のインドでは、貧しい家庭も、学校以外に塾に通わせたり、家庭教師を付けたりすることが普通だそうです。こうしてビラルも、ラストに出てくる姿のように、立派に成長しているわけですね。

こんな感じで映画の理解が深まる、とてもいいトークでした。ビラルの世界は、本日から1日2回上映となっています。まだご覧になってない方は、お早めにオーディトリウム渋谷にお出かけ下さい。

で、本日ですが、「アジア映画の森」の『オーム・シャンティ・オーム』上映は、190名強という大入り満員でした。お越し下さった皆様、ありがとうごさいました! 床に座ってご覧いただいた方や、後ろでお立ち見となった皆様、すみませんでした。映画には皆さん満足して下さったようで、最後には拍手が起きていました。アテネ常連観客のある方は、開放的な観客席の雰囲気や反応にぴっくりしたそうです。”インド映画の至福”が伝染していくといいですねー。

トークの方は、映画のネタもと映像もお見せしたりしながら、野崎さんがどんどん聞いて下さるので調子に乗って答えていたら、結局1時間10分ぐらいになってしまいました。野崎さんは「いろんなシーンの元ネタがあるだろうな、とは最初見て思ったけれど、そんなのを知らなくても十分に楽しめる」と言い、意外なところで泣いてしまうことも告白。後半、過去の記憶がフラッシュバックで出てくるのですが、その荒い映像というか、それを見ただけでグッときてしまうそうです。

今日の上映には、この映画の宣伝を担当するアップリンクの社長始め、社員の方も総出で来て下さっていました。間もなく配給会社との宣伝企画会議があるらしいのですが、日本語タイトルをどうするか、まだ検討中だそうです。「オーム・シャンティ・オーム」のままでは、インドもインド映画も知らない一般の人には浸透していかないかも(外国語は憶えにくいし言いにくい)、ということから、映画のイメージが具体的に伝わる邦題に変更されるかも知れません。さてさて、この先も楽しみです~。

 


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