アジア映画巡礼

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宿題フィルメックス(上):ロウ・イエ監督『シャドウプレイ』

2019-12-28 | 中国映画

1ヶ月遅れですが、第20回東京フィルメックス上映作品のQ&A記録を追加しておきます。本当は終了後1週間以内にやるはずが、こんなに遅くなってしまいました。まあ、宿題提出するだけマシと思っていただければ、というところです。今回は、オープニング・フィルムとなったロウ・イエ監督作品『シャドウプレイ』についてです。

 

『シャドウプレイ』
 2018/中国/中国語/125分/英語題:Shadow Play/原題:風中有朵雨做的雲
 監督:ロウ・イエ(婁燁)
 主演:ジン・ポーラン(井柏然)、ソン・ジア(宋佳)、チン・ハオ(秦昊)、ミシェル・チェン(陳妍希)、マー・スーチュン(馬思純)
 配給・宣伝:アップリンク
※2020年2月下旬よりアップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほかで公開予定

公式サイトもまだできていないようですが、フィルメックスではティーザーチラシが配られていましたので、2月公開は確かだと思います。舞台となるのは広州市。ストーリーは以前の記事を見ていただくとして、そこに書いた「異様な光景」というのがこれです。中国語版Wiki「洗村」の写真をお借りしました。


高層ビルに囲まれた、開発から取り残された一区画「洗村」。ここの住民に立ち退きを説得しようとやってきた建設委員会のトップ、タンがビルから落ちて亡くなり、その事件を調べていた若い刑事ヤン(ジン・ポーラン)が、タンの妻リン(ソン・ジア)とそのかつての恋人ジャン(チン・ハオ)、タンの娘ヌオ(マー・スーチュン)などを調べていくうちに、様々なことがわかってくる、という物語です。頻繁に過去にフラッシュバックし、時には過去の台湾へも飛ぶかと思うと、ハメられて殺人犯人にされたヤンが香港に逃れたりと、時空を超えて物語が展開していきます。こんなめまぐるしい物語を、ロウ・イエ監督はなぜ作ったのでしょうか。Q&Aでその一端を明らかにしてもらいましょう。聞き手は、フィルメックスのディレクター市山尚三さん、通訳は樋口(渋谷)裕子さんです。

市山:第1回フィルメックスの最優秀作品『ふたりの人魚』(2000)の監督ロウ・イエさんを、この20回という節目の時にお迎えできるのを非常に嬉しく思っています。

監督:皆さん、こんばんは。今日は見ていただいてありがとうございます。僕もフィルメックスに戻ってくることができて、とても嬉しいです。


市山:とてもお忙しい中を来ていただきました。最初にひとつだけ、私の方からお聞きしますが、この映画の出発点というか、実際に起きた事件だと聞いているのですが、そのあたりの背景をお話いただけたらと思います。

監督:このシェン(洗)村というところは広州市内の中心部にあるのですが、このような場所は10箇所ぐらいあります。それらは当時、まだ開発が進んでいませんでした。このシェン村を選んだのは、ビジネス街に囲まれた村であったということで、ロケーション的に特別な場所だったからです。高層ビルが建っている横に、昔の村がまだ残っているというロケーションにより、作品を作る発想を得ました。もしこのシェン村というロケーションに出会わなかったら、この映画は撮らなかったと思います。すべての仕事は、まずシェン村ありき、だったわけです。


Q1(男性):事件がリアルで、事実に即して作られているからだと思うのですが、ちょいちょい娯楽的というかエンターテインメント的な派手な見せ場が織り込まれています。リアルな物語の中に娯楽要素を入れたのは、アクションシーンとかそういったものが監督としてもお好きだったからですか?

監督:この物語は元々社会的な事件を基礎としていますが、人間関係の描き方は我々が独自に作り上げたものです。このシェン村は非常に複雑な場所で、周辺との関係、政府との関係、実業家、官僚などが入り乱れて、様々なことがこのシェン村に凝縮されているわけです。いわば、中国の生きた標本という感じです。そういうところにジャンル映画を持ち込むことによって、個人的なことを描けるかも知れない、と思いました。このような社会的事件を背景としながらも、人と人との関係、人間をしっかりと描くこと、それが僕の目標でした。


ロケに行った時、シェン村から周囲のオフィス街まで歩いてみると約5分なんですが、その5分の間に30年前の中国から一挙に現代の中国に来られるという、非常に不思議な感覚を抱きました。映画を通して、この時代のスピードの速さというものやその落差、異なる年代の物語が同じ場所で起きているという不思議な感覚を示そうと思いました。そのような場所に生きる人々にとっては、大きな影響があったことを映画で描きたかったのです。


Q2(男性):作品の中で、中国の通俗的な流行歌がとても効果的に使われているのが注目されます。この映画の中では、すごく重要な歌が2つ出てくると思います、一つは、「夜」という、おめでたい仮面パーティーで歌われている歌なんですが、全然おめでたい歌ではありません。どちらかというと、不吉な面を予想させるような使い方で、すごく面白いと思いました。また、エンドクレジットで使われている「一場遊戯一場夢」も、この映画のテーマというかメッセージのようなものが含まれていると思います。後ろには、サクセスストーリーが流れていく、でもその裏側では欲望にまみれた非常に暗い、夢の背景が流れていく。この2つの曲の使い方がとてもよかったと思いますが、わからないことが一つあります。この映画のタイトル「風中有朵雨做的雲」は元々歌の題だと思うのですが、その歌自体はこの映画の中に登場しない。おまけに、このタイトルが示しているものが何かと言うことも、ちょっとわかりにくい。ぜひ、そこのところを監督にお聞きしたいです。

監督:最後のご質問からお答えしますが、「風中有朵雨做的雲=風の中にある雨でできた一片の雲」というのがこの映画のタイトルの意味です。もう一つのエンディングの曲「一場遊戯一場夢」は、「ひとときのゲーム、ひとときの夢」という意味なんですが、自分としてはこの2曲の中で「一場遊戯一場夢」の方が好きです。それでそちらを映画の題名にしようとしたんですが、電影局から「そのタイトルはよくない」と言われて変えたんです。ただ、歌が映画を決定的にするかというと、そうではないと思います。映画の内容と関係はありますが、映画の方がさらに重要な意味を持っていると思います。ご質問下さった方は、中国の歌謡界の事情にとても通じていらっしゃいますね。この2曲は素敵な曲ですが、「一場遊戯一場夢」は夢に関する歌で、また「夜」の方も、夢を歌った歌なんです。暗闇の夢の中に入る、というような歌なんですが、夢というのは決して美しい夢ではなかった、ということです。


Q3(男性):全体の構成に関してなんですが、脚本におけるいろんな時間の設計であったりとか、編集においてはアクション的な映像であったり、監視カメラの映像、手持ちカメラの映像とか、これと時間のカットの組み合わせは、どのように組み立てられたんでしょうか?

監督:脚本段階では、時空間の処理は過去と未来を交互に語っていく、という案でした。でも作っていく、撮影していくのと同時進行で脚本を書いていき、編集の時も、変更をどんどん積み重ねていきました。ですので、過去と現在という時空間の処理は、いろんなところで行われていきました。撮り方について言うと、できるだけドキュメンタリー風に撮りたいと思い、それで手持ちカメラ、監視カメラを使ったわけです。中でも手持ちカメラは、非常に今日らしい撮り方だと思います。今では誰でもが1台持っていますからね。


市山:時間がないのでこの辺で。この作品は、来年公開される予定です。それから、この後にTOHOシネマズで上映される『夢の裏側~ドキュメンタリー・オン・シャドウプレイ』は、メイキングとかももちろん入っているんですが、様々な背景も見られてすごく面白い作品です。まだ若干席が余っているとのことなので、ぜひご覧いただければと思います。また、25日の『ふたりの人魚』の上映では、ロウ・イエ監督のQ&Aも予定しています。これもぜひともお見逃しなきよう、お越しいただければと思います。

監督:皆さん、映画を見に来て下さって、どうもありがとうございました。フィルメックスにも御礼を申し上げます。(大きな拍手)


 


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