アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

TIFF2017:私のDAY3

2017-10-30 | イラン映画

台風がまたまた来襲した日曜日は、1本だけ見てきました。コンペ作品のイラン映画『ザ・ホーム-父が死んだ』です。コンペ作品はプレス用上映でも、終了後にゲストによるQ&Aが行われます。このシステムは大変ありがたく、映画祭に感謝!なのですが、雨風があまりに強かったためカメラを持って行かず、ゲストの写真はスマホで撮るという「ごめんなさい」状態でした。というわけで、へろへろな写真ですがお許し下さい。スマホ写真術も、もっと習得しないといけないな~、とスマホで写真を撮るたびに思っている私です。

『ザ・ホーム-父が死んだ』
 2017/イラン/トルコ語/78分/原題:/英題:The Home
 監督:アスガー・ユセフィネジャド
 出演:ラミン・リアズィ、モハデセ・ヘイラト、ゴラムレザ・バゲリ、セディゲ・ダルヤニ、ナルゲス・デララム、シルース・モスタファ、メイサム・ワリカニ

© Iranian Independents

映画の冒頭、主人公の女性サーイエは父が亡くなったというので実家に飛んでくるのですが、その時にはすでに父の遺体は家から運び出され、運搬する車に乗せられていました。パニック状態になったサーイエは、「父を家に戻して! 私の部屋に安置して!」と叫び続けます。周囲の人は彼女をなだめるのですが、ともかくも彼女を落ち着かせるために遺体をいったん自宅に戻します。葬儀を取り仕切っているのはサーイエの従兄のマジドで、彼を始めとするサーイエの叔父一家は、認知症になったサーイエの父の面倒をずっと見てきたのでした。そんなことも忘れたかのようにサーイエはマジドをなじるのですが、マジドはそれに腹を立てることもなく、サーイエの意を受けて死者へのお供え物を買いに行かせるなど、彼女をなだめようといろいろ手を尽くします。その間にもいろんな親戚がやってきたり、近所の人々も弔問しながらお節介の隙をうかがったりと、葬儀の場は喧噪に充ち満ちた状態になります。さらにそこに、ある大学のアフマディという教授がやってきて、それまで隠されていた遺体運び出しの意図が明らかになってくるのですが....。

狭い自宅での葬儀の場に空間を限り、そこでの数時間を描いたこのドラマは、ものすごく濃密な会話劇になっています。時にはやかましいぐらい人の声が飛び交い、子供たちも勝手に騒ぎ、それらの音に観客は翻弄され尽くす、という感じです。ところが、だんだんとお話はサスペンス溢れる方向に進んでいき、最後にはアッと驚く事実が出て来ます。非常によく構築された会話劇で、もう一度見ると、あそこにこのヒントが隠されていたのか、という断片がいくつも見つかるのでは、と思わせられました。最後の方になってサーイエの夫ナデルも姿を現しますが、ころっとした人の良さそうな従兄のマジドと比べると、背がすらりと高くてイケメンのナデルは明らかにポイント高しで、キャスティングの妙も効いていました。上映終了後のQ&Aには、アスガー・ユセフィネジャド監督と主演女優のモハデセ・ヘイラトさんが登場しました。通訳はいつもお馴染みのショーレ・ゴルパリアンさんです。


監督:イランの人々と、それからアゼルバイジャンのタブリーズの皆さんも代表してのご挨拶を申し上げます。私は20年間テレビの仕事をしてきたのですが、今回初めて映画を撮りました。

モハデセ・ヘイラト:コンニチハ、サラーム。この作品が日本で初めて上映されて、とても嬉しいです。それに加えて、皆さんと一緒にこの作品を見られたことも嬉しかったです。

:素晴らしい会話劇で、サスペンス風味もあって、圧倒されました。一つ疑問に思ったのは、サーイエが「お父さんの遺体を私の部屋に」と強く言いますが、「私の部屋」を主張していたのは女性の部屋だと女性も入りやすい、つまりイランのザナーネ(女性の領分である空間)という考え方のような習慣がある、とかだからなのでしょうか?

監督:習慣から、ということではありません。サーイエは1人娘なので、自分の部屋で父親を悼みたい、という気持ちがあるのですね。特に遺体を大学側に渡したくないから、自分の部屋に入れて守りたい、と思ったわけです。

司会者:会話が重なって進行していく本作ですが、リハーサルはどのくらい行われたのですか?

監督:限られた場所でたくさんのセリフを交わす、というのは難しい演出になりますが、でも私はテレビでの仕事が長いので、そういう限られた空間でならセットの中と同じで撮りやすいのでは、と思いました。脚本を読み合わせたり、リハーサルとかは3ヶ月にわたってやりましたので、本番でも大丈夫だと思っていました。

司会者:モハデセ・ヘイラトさんは、3ヶ月のリハーサルを経て、実際に撮影に入った時どのように思われましたか?

モハデセ・ヘイラト:私は舞台女優で、映画は初めてというか、カメラで撮られるのは初めてなんです。セリフはトルコ語(舞台がイラン西北部のタブリーズで、西はトルコ国境、北はアゼルバイジャン国境に近いため、アゼ-リーと呼ばれるトルコ系の言葉を話す人が多数を占める)で言わないといけなかったので、難しくて、ペルシア語とは違う言語に切り替えるのが大変でした。でも、監督が事前に丁寧に指導して下さったので、実際に撮影が始まるとスムーズに撮ることができました。


:アゼ-リーで作られたのはなぜですか? これまでのイラン映画で、アゼ-リーやトルコ語で全編作られた作品はありましたか?

監督:私は自分がアゼルバイジャン出身で、タブリーズでトルコ語を聞きながら育ったため、自分が慣れ親しんだ言葉で作ってみようと思ったのです。タブリーズで撮ったので、スタッフもみんなトルコ語ができましたし、故郷で撮れて本当によかったと思います。トルコ語はイラン映画では、多少入っているという作品はあったのですが、ほとんど全編がトルコ語で撮られた作品というのは本作が初めてです。ですので、この作品を作ることができて嬉しく思っています。

:クローズアップと長回しが多いですね。カットバックがあまり使われていませんが、それはテレビからの手法によるものでしょうか? 初めて映画を撮ることになった経緯は?

監督:20年間テレビの仕事をしてきて、退職したので映画を撮りました。テレビの仕事をしていた時から映画を撮ってみたいと思っていたのですが、忙しくて実現できませんでした。撮り方については、脚本を書く時にロングかクローズアップかを決めるわけですが、感情を出す時には長回しを使いましたし、一方でセリフを集中的に入れる時にはカットを使いました。クローズアップが多いのは、主人公たちが他の人とコンタクトを取らずに演技をする時にはクローズアップにしたためです。

:緊張感のある作品で、最後にはドキッとさせられました。この映画で監督が主張なさりたかったのは、どんなことなのでしょうか。

監督:真実と現実との違いを頭に入れながら、脚本を仕上げました。人生の真実の裏にはいろいろあることを見せたかったのです。ラストでは娘の違う感情が出て来ていますが、あれにより、観客がもう一度見ると、最初泣いている娘も違ったように見えてくるのではないかと思います。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« TIFF2017:私のDAY2 | トップ | TIFF2017:私のDAY4(その1) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

イラン映画」カテゴリの最新記事