昨日は、久しぶりにのんびりと外出しました。行った先は阿佐ヶ谷で、ミニアターのラピュタ阿佐ヶ谷で行われている特集上映「鬼才・奇才・キ才 岡本喜八」の中の、下の作品を見に行ったのです。(せんきち様、情報をありがとうございました!)
なぜこの『月給泥棒』(1962)かというと、インドネシアを研究しておられる方から、「日本映画の中にインドネシア語が出てくる作品がある」とこの映画のことを教えていただいたからです。インドネシア語が登場する映画には市川崑監督の『ブンガワンソロ』(1951)があるのですが、それに対してこちらはどのくらい出てくるのかな、と楽しみにして見に行ったのでした。主人公(宝田明)は、クラウンカメラ社に勤務するサラリーマン。上司にはゴマをすり、女子社員は調子のいい言葉で味方に付け、クラブの美人ホステス(司葉子)もすぐに口説いてしまう調子のよすぎる男です。クラウンカメラのライバル会社であるオリバーカメラに、今度東南アジアの某国からダバール商事のホセ・ダゴン(ジェリー伊藤)というバイヤーが買い付けに訪れることを耳にした彼は、何とかその契約を自社でいただこうとあの手この手を繰り出しますが....というのがストーリーで、このダゴンという人物がスカルノ帽をかぶったインドネシア人に設定されている、というわけなのでした。
ジェリー伊藤は日本人なのですが、彫りの深い顔立ちとアメリカで生まれたということからこういう洋風の芸名を付けて、1960~80年代に活躍していた俳優です。今回は顔を浅黒いドーランで塗り、立ち居振る舞いも外国人らしくしていて、特にスカルノ帽(トルコ帽に似た、円錐形の先を切ったようなつばのない帽子です)をかぶるとなかなか様になっています。で、いつインドネシア語が出てくるかと楽しみにしていたのですが、宝田明が女装して彼の恋人と偽り、ホテルの部屋に入って彼を連れ出すというドタバタシーンにだけ、それも二言三言だけしか登場しませんでした。しかもこの宝田明の女装が、黄色いサリーを着た上に真っ赤なサテンのブルカ風のものをかぶるという珍妙な姿で、それまでのダゴンのセリフに「私、酒は飲みません」(で、ジュースが出てくる)といったイスラーム教徒の生活習慣を示唆するセリフがいくつかあっただけに、ここもせめてバジュクロン姿かサロン・クバヤ姿にしてくれるとよかったのになあ、と思ってしまいました。まあ、ホセ・ダゴンというネーミングにしても、フィリピン人風の「ホセ」が入っていたりして無国籍東南アジア風なので、致し方ありませんね。というわけで、「残念」部類に入る「アジアへのまなざし作品」でした。
この日は、岡本喜八監督のファンのほかラピュタの固定ファンも結構いらしたようで、昼間の時間帯なのに7割の入り。その中に、中国語を話している台湾の方らしき年輩のカップルがいらして、宝田明のファンで見にいらしたのかな、とか想像してしまいました。岡本喜八監督作品の宝田明は、監督のリズミカルな演出によって水を得た魚のようにくるくると動き回っており、とってもチャーミングでした。BGMに一部『ウェストサイド物語』(1961)からパクったフレーズがあって、ははぁ、直前に見たのが印象に残っていたのね、と思ったりして、1960年代の空気を感じました。宮口精二を始めとする多彩な脇役ももったいないような使い方で、見ていて楽しかったです。
このほか、開場を待っている間にラピュタで見つけたチラシで、ミャンマーを舞台にした日本映画が2本、公開されることを知りました。1本は、昨年の東京国際映画際<アジアの未来>部門で見事作品賞を獲得した、藤元明緒監督の日本・ミャンマー合作作品『僕の帰る場所』です。昨年のTIFFレポートのこちらで取り上げてありますので、ご覧になってみて下さい。公式サイトはこちらです。
とてもいい作品だったので、ポレポレ東中野での1館公開ではちょっともったいない気がしますが、今は劇場ブッキングがすごく大変だと聞いていますので、ポレポレ東中野で好発進して、他の首都圏各地の映画館に広がっていくことを願っています。藤元監督、宣伝担当の佐々木さん、がんばって下さい! 予告編を付けておきます。
『僕の帰る場所』予告編 | Passage of Life - Trailer
もう1本、チラシをゲットしてきたのは次の作品です。川端潤監督によるドキュメンタリー映画のようで、間もなく公開が始まる『マンダレー スター-ミャンマー民俗音楽への旅-』です。マンダレーはミャンマーのちょうど中央部にある町で、そこの音楽シーンがいろいろ納められているようです。公式サイトはこちらです。
マンダレーと言えば、思い出すのが、インド映画『きっと、うまくいく』(2009)でこの地名が叫ばれるシーン。皆様、憶えてらっしゃるでしょうか。字数が少なくて字幕には「マンダレー」と出せず、「ビルマ産」となっていますが、ルビーのネックレスに関しての会話でした。マンダレーは翡翠で有名だそうですが、ルビーも採れるのかしら? それはさておき、『マンダレー スター』も予告編を付けておきます。ミャンマーにもぜひご注目下さい。
映画『マンダレースター -ミャンマー民族音楽への旅-』予告編
ザ・ピーナッツの歌う「モスラのテーマ」がインドネシア語なのだそうで。
へええ~、と思って早速調べてみたら、こんなページがちゃんとあり、カタカナ書きのインドネシア語歌詞と意味が出ていました。
https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/3045.html
この中には複数の「モスラの歌」の歌詞が出ているのですが、記述の中に「伊福部昭が語学堪能なので、歌詞は、マレー古語で書かれている」と部分があったものの、伊福部とマレーシアあるいはインドネシアとの接点はWiki「伊福部昭」の中では見当たりませんでした。
でも、戦争中の1944年に「フィリピンに贈る祝典序曲」などという曲を作っているので、当時の日本の情勢から東南アジアに関心を持っていたのかも知れませんね。
意外なところに存在するアジアの諸言語@日本、また何か見つかったら教えてください。
(追伸:1号クンのザリガニ獲り姿、かわいかったです~❤)
映画『月給泥棒』の「インドネシア語」の件は全然知りませんでした。どうも残念な使い方だったようですが。なお、スカルノ帽はこちらではペチと呼んでます。今の若い人はあまりかぶらないですが、スカルノ帽という名称は多分日本だけではないかという気がします。
日本映画におけるインドネシア語使用の一番有名な例は『ブンガワンソロ』ですが、製作中止となった映画『栄光の影に』がもし完成していれば、おそらくかなりの台詞がインドネシア語だったはずです。残留日本兵の話でしたし、インドネシア映画の父ウスマル・イスマイルが谷口千吉監督に協力する予定でしたから。この映画のロケハンと撮影がビザが下りず中止となり、急遽企画製作されたのがあの『ゴジラ』でした。
また日本映画の物語内でブンガワンソロが歌詞つきやBGMとして流れる例が少なくとも二つあります。ひとつは『仁義なき戦い』、もうひとつは小津の晩年の作品です。確か『秋日和』ですがタイトルをはっきり覚えてないです。
逆にインドネシア映画に日本の映画人?が関与していた例について。60年代前半、日本人女優タケウチ・ケイコがウスマル作品ほか3本に出演した記録が残ってます。そのうちの一本『嵐と台風の時代』を昔見ましたが、彼女がどの役を演じていたのか全くわかりませんでした。日本人は出てこない映画に日本人女優がわざわざキャストされた理由は全くの謎で、しかもこの人は当時レコードまで出していたようです。どういう経緯でインドネシア映画に出演になったのか調べたいと思いつつ、まだ果たせてません。
あと、モスラの歌ですが、伊福部昭はインドネシアと関係なく、日本語の歌詞をインドネシア人留学生に訳してもらったのだと記憶しています。『モスラの精神史』に記述があったはずです。
以上まとまりを欠いたコメントですが、参考になれば幸いです。
お久しぶりです。
この記事を書いたのがもう1年ぐらい前に思えます。
これ以降、様々なことがありすぎて...。
やっと今日から人間に戻りました、という私なので、まずは御礼だけ。
1956年に、来日して以来、多くの映画、テレビで活躍しました。
妻は、小説家山口瞳の妹だそうです。
ジェリー伊藤はウィキの項目にもなっていて、割と詳しく紹介が成されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC%E4%BC%8A%E8%97%A4
でも、私はジェリー伊藤にはあまり関心はなく、アジアの言語がセリフに使われている日本映画、というところが関心のキモでして。
そのような情報をご存じでしたら、またご教示下さい。