4月1日は2003年に亡くなった張國榮(レスリー・チャン)のお命日でしたが、香港にあるレスリーのお墓に毎年折り鶴を供えている「哥哥的一天」の方から、下記のようなお知らせが届きました。
その前にちょっと「哥哥的一天」のことをご紹介しておくと、こちらはレスリーのファンサイトで、毎月レスリーを偲ぶミーティングを続けているほか、お命日の4月1日とお誕生日の9月12日には、みんなで折った折り鶴を香港に届けています。その折り鶴も毎回テーマを決め、色紙の色を選んだ芸術的なもので、レスリーが生きていたらさぞかし喜ぶに違いない、という美しいものができあがっています。
今年の折り鶴のテーマは「春の息吹き」で、ピンクとブルーを主体にした色合いと、グラデーションがとても美しい作品です。特別にお願いして、レスリーの寶福山の墓所に供えられた写真を、「哥哥的一天」の方から提供していただきました。奥の方にあるレスリーのお墓に掛かっているのが、「哥哥的一天」の鶴たちです。
2014.4.1/提供「哥哥的一天」
下の鮮やかなピンク色が隠れていて残念ですが、レスリーのマネージャーだった陳淑芬(フローレンス・チャン)さんがこうしてお墓に直接掛けて下さったことからも、「哥哥的一天」の皆さんへの信頼度がわかると思います。なお、レスリーと一緒に葬られているのは、左へ沈殿霞(リディア・サム)、羅文(ローマン・タム)となっています。「肥姐」または「肥肥」と呼ばれていたリディア・サムは超有名なテレビタレントで、映画にもよく出ていた才女です。2008年2月19日に亡くなりました。ローマン・タムは1970年代・80年代に一世を風靡した有名歌手で、テレビドラマの主題歌などを中心に、ヒット曲を山のように出しています。こちらはレスリーよりも早く、2002年10月18日に亡くなりました。生前仲のよかった3人が、ここに並んで眠っているのです。
2014.4.1/提供「哥哥的一天」
それで、「哥哥的一天」の方からのお知らせには、「今回、フローレンスさんからレスリー・ファンに、大切なメッセージがありました。その内容は、早速フローレンスさんのFacebookに掲載されておりますが、『ファンの意思決定があれば、レスリー60歳の年にレスリーのためのミュージカルを検討したい』というものでした」とあり、FBのアドレスが。
そして、「香港の友人と一緒に日本語訳したものを添付いたしました」とあって、送って下さったのが下のメッセージ訳文です。
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GorGorのファンの皆さんヘ
去年9月から、たくさんのファンからGorGorの60歳の冥寿の時に、再び記念活動をしてほしいという私への希望がありました。そうすれば、全てのファンが再び一堂に会してGorGorのことを思うことができます。このことは私にとってやや矛盾しています。私は公開記念活動をもう開催しないと決めました。ただその一方で、GorGorのファンの望みが満足するよう全力を尽くして、できる限り彼らの張國榮への厚い愛情に応えたい!
去年12月、上海で私がとても尊敬する先輩と会いました。彼はLeslieに関するミュージカルを作るように私を励ましました。私も意味のある提案だと思いました。成功すれば、少なくとも私という人間が消えた後も、私は一つの作品をこの世に残すことができ、Leslieの栄光が永遠に伝承されます。
このことはGorGorのファンに決めてほしいのです。私のこの考えに賛成・支持してくださる人は、この文章の「いいね!」をクリックしてください。GorGorのファンの支持が100万人アクセスに達したら、私は準備を始めます。もしできなかったら、考えることはしません。ですから、GorGorのファンはこのメッセージを他の人にも伝えてほしいのです。そして、私は皆さんの考えをはっきりと知ることができます。
最後にもう一度、皆さんのGorGorへの永遠の愛とサポートに感謝致します!
陳太(フローレンス・チャン)
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レスリーは生きていたら、2016年9月12日で還暦を迎えるところだったのですね....。ファンの方はぜひ、Facebookのサイトから「いいね!」を送信して下さいね。100万人というのは気の遠くなるような人数ですが、千里の道も一歩から。レスリー・ファンのご友人も誘って、ぜひこちらのFacebookサイトをご訪問の上、「ポチッ」をして下さいませ。
最後に、手元にあるレスリーのブロマイド・アルバムから、『キラーウルフ 白髪魔女伝』 (1993)のオフ・ショットをどうぞ。この写真を見ると、「加油!(がんばれ!)」とレスリーから言われている気がします....。
なんだかまったく想像できないです、哥哥の還暦。
そして、肥姐が亡くなっていたことも
知らなかったので、本当にビックリしました。
96~01年まで在港だったのですが、
その頃ほんっとうに、テレビつけるといつも
肥姐が出ていたイメージです。
CMも含めて。
5年間香港にお住まいだったのでしょうか。返還セレモニーもリアルタイムでご覧になったのですね。
肥姐は晩年病気がちで、その話題もよく週刊誌等に取り上げられていました。亡くなった時は、やっぱり、と思ったものです。
TVBの慶祝番組というと、肥姐の姿が見られましたね。今調べたら62歳で亡くなったそうで、まだ若かったのに、とあらためて残念です。