今日は、横浜市内の鉄道イベントと鉄道施設をハシゴすることにした。
その前に都営6500形に乗るために目黒へ向かう。山手線は混みそうなので、池袋から湘南新宿ラインを利用、恵比寿で乗り換えることした。土曜昼の12時代だが一番前の車両で座ることはできた。新宿から渋谷まで利用する客もいたから、空いているのを狙っていたのだろう。
目黒からは6500形運用の13時06分の西高島平行に乗るつもりだったが、13時00分の西高島平行が5080系の8両なので、それに乗ることに。5080系も初乗車だったからだ。5080系は8両編成化のために、今年になって2両増結、増結編成は前後車両と車内の灯りの感じが違うため、わかりやすかった。白金台で一本落として、目黒から乗る予定だった6500形に乗車する。三田までの2駅間の乗車のためか、前面のインパクトの割には、車内はこれといった特徴は見当たらなかった。気になったのはドア上LCDの横にあった監視カメラくらいか。最近、8両編成化が進んだ目黒線、南北線、三田線だが8両編成でも、席がほとんど埋まることを考えると適正なのかと。これが新横浜方面まで延びるとなると、目黒でも座ることは難しいのではないかと思う。
三田で折り返し、5080系急行に乗車、武蔵小山から6300形普通に乗り換えて、奥沢で下車する。奥沢駅は8両編成化に当たって、上りホームを移設して待避設備を整備した。上りホームを移設したため、折り返し用の3番線だけでなく7本あった留置線は5本に削減、大岡山寄りにあった下り線から上り線へのポイントも撤去された。上り本線はホームがなくなり通過列車だけが使用するように、上り待避線は既存ホームの外側を削って使っていたので、既存ホームが撤去された今では、弓状に曲がった変わった構造になっている。上りホーム新駅舎は3階建て、駅舎というより横断デッキに上がるための階段とエレベーターのある搭屋という感じだ。横断デッキは当然ながら上屋付き、跨線橋ではなく横断デッキとしたのは、武蔵小杉の東急スクエアにある展望デッキのようなトレインビュースポットにするためだろうか。横断デッキは下りホームの既存駅ビルの3階につながっている。既存の建物に新設の通路をつなげる例は駅では珍しい。
奥沢からまた6300形、多摩川からずっと東横線普通と並走して日吉へ向かう。日吉からはグリーンライン、14時12分発の中山行は立ち客は少なかったものの、座席の7割が埋まる利用率だった。来週からは運用に入る6両編成だと、座席はもう少し空くことになる。11分でセンター北に到着、乗客の半分以上が下車する。
センター北駅から5分ほど歩いて横浜市歴史博物館に到着、ここで開催されている特別展「みんなでつなげる鉄道150年—鉄道発祥の地よこはまと沿線の移り変わり―」を見物することにした。入場料は常設展込みで1200円だが、JAFの割引が効いて960円と、高校生以下になった。特別展は3月から催されていたが、それを知らなかっただけでなく、横浜へ行く機会もなかったので、訪れるのが特別展終了の1週間前になってしまった。
特別展は、横浜市内を走る10社の鉄道会社がそれぞれの資料を展示しているほか、横浜に鉄道が敷かれるまでの歴史、崎陽軒のひょうちゃんの醬油入れコレクションなどを展示する弁当コーナーがあった。横浜の鉄道史は写真がメインで、パネル展示は撮影は禁止されている。歴史博物館の所有する双頭レールや明治時代の写真、都市発展記念館の所有する震災後の写真などが展示してある。
京急はミュージアムから持ってきたラ・メール号のヘッドマークやルトランカードなどを展示、相鉄は神中鉄道からの歴史をパネルで紹介するほか、湘南台延伸前のダイヤグラムを虫眼鏡つきで展示してあった。東急は、電車とバスの博物館から持ってきた溝の口駅の開通式の模型と写真を展示、総合車両製作所からの1/40サイズの7000系車両は離れたスペースにあった。
JR東日本は制服や懐中時計のほかに個人所有のハンドルを展示、JR東海は新横浜駅の模型や昔の写真、個人所有の新幹線サボを展示していた。JR貨物は40年前の横浜羽沢駅の写真や制服を展示、神奈川臨海鉄道は制服やC56のSLプレートを展示していた。
シーサイドラインは昔運転されていた1000型の写真や模型などを展示、横浜高速鉄道はY500の模型商品や駅の写真、歴史博物館所有の座席シートを展示、横浜地下鉄は3000系の模型や路面電車の路線図を展示していた。
こういう色んな会社が資料を持ち合うイベントというのは、単独で資料館を作れなかったり、イベントを開けない鉄道会社向け、横浜だけでなくあちらこちらで開催されるといいのだけど。
15時からのプラレール運転会を少し見て、常設展をささっと見物、15時15分に歴史博物館を後にして、センター北発15時26分のブルーラインに乗り込んだ