深川のホテルに荷物を置いて、深川発5時59分の石狩沼田行に乗車、石狩沼田までノンストップで途中の駅には停車しない。途中駅があるのに、一つの路線の起点と終点しか停車しない定期列車は国内ではこの列車だけだと思われる。ただのノンストップだったら、米原~敦賀間の『しらさぎ』や『指宿のたまて箱』が、臨時列車だったらあおなみ線などが該当するけど。石狩沼田駅には、増毛駅と違い、乗務員の泊まる設備がない。そのため、深川から送り込む必要があるが、回送ではなく途中駅通過の営業列車となっている。接続列車は旭川からの特急ぐらいだけど、早朝の石狩沼田に需要はあるのだろうか。乗り潰し目的の鉄道ファンにはありがたいけど。増毛駅まで運転していたころは、深川駅を今より15分早く出て、石狩沼田まではノンストップ、石狩沼田から先も交換駅の峠下、増毛の一つ手前の大和田だけ停車していた。上り朝一番が通過する大和田に停車していた理由は不明だ。
留萌本線の運用はキハ54形が中心だが、キハ150形が運用されることもたまにある。富良野線にH100形が導入されただけでなく、函館本線山線へのH100形導入で苗穂から旭川へ転属になったからだ。キハ54形は転換クロスシートだから、乗車時間が20分に満たない留萌本線よりふさわしい路線があると思うのだけど、車両故障のリスクを考えるとH100形がいいのだろう。
深川を出ると次は終点石狩沼田という自動放送が流れる。石狩沼田には12分で到着、各駅停車より5分も速い。表定速度は72キロ、特快エアポートには流石に及ばないものの新千歳空港まで39分かかる快速エアポートより早い。最高速度95キロでカーブが少ないことを考えると少し遅い感じもするけど。
石狩沼田は、左側に駅舎とホームのある構造、開業当時は3番線が側線扱いの相対式だったが、1931年が札沼線が乗り入れるようになってからは、札沼線が駅舎側の片面ホームを使い、留萌本線が島式ホームからの発着となっていた。1972年に札沼線の部分廃止で乗り入れることがなくなった後も2面3線だったが、1994年に棒線化せさた。線路や跨線橋は撤去されたもののホームは残っている。駅舎は殺傷縁部分廃止直後の1972年改築の平屋建て、入口付近は緑の鉄骨が組まれ、左を除いて細い鉄骨とガラスが組まれている。待合室には4人掛けのベンチ、自動販売機、委託駅で平日の7時20分から13時40分まで窓口業務を行う。駅前広場は広く、道路から簡単に入りやすくなっている。駅前広場と道路の間は歩道と芝生で仕切られ、芝生の上には大きな看板、その裏は地図になっている。周辺には民家が並び、歩いてすぐのところにはスーパーもある。バスは駅前広場に乗り入れないので、バス停は100mほど離れた商工会議所の辺りにある。深川方面へのバスが乗り入れるが、平日5本、土休日3本と鉄道より本数が少ない。廃止区間へは恵比島まで町営バスがあるが、これも平日のみの運転で本数も少ない。乗車人員は46人と留辺蘂と同じくらい、根室本線の赤平や芦別といった主要駅の半分くらいだ。
石狩沼田には13分滞在して、6時24分の深川行で折り返す。4分乗って、次の北秩父別で下車した。北秩父別は左側に片面の短い板張りホームのある構造、つまり朝礼台だ。朝礼台で残るのは北秩父別以外に宗谷本線の瑞穂と南幌延があるが、南幌延駅が来春に廃止になると、2駅だけになる。1956年に仮乗降場として後から開業したため、朝礼台構造となっている。深川寄りの板はきついスロープ状になっており、踏切の内側に降りている。そこから少し離れてプレハブ倉庫の待合室があり、ベンチや除雪道具が置いてある。以前はホームに隣接して待合室があったが、一昨年の6月に老朽化で傾ていることが判明したため、閉鎖されたのち取り壊された。ホーム裏に高速道路が通っているものの、周辺は田園地帯だ。そのため、乗車人員数は1日1人を切り、停車する列車も朝上り3本と夕方の下り2本と上り1本の計3往復だけ、それ以外の下り5本、上り3本は通過となる。そのため、石狩沼田行の始発は16時21分となる。秩父別駅へ折り返せば問題ないけど、そこまでやる人はいないだろう。
高速道路の下をくぐって、秩父別駅まで歩くことに。30分近く歩くと町の中に入ってきた。時間があるので、秩父別駅への道路をスルーして、道の駅の近くまで歩くことに、国道233号線との交差点付近にはセイコマがあった。そのセイコマから5分ほど歩くと、秩父別駅にたどりつく。秩父別駅は左側に片面ホームと駅舎のある構造、以前は相対式だったが石狩沼田寄りにあった上り線は撤去、ホーム跡地も草で覆われた。留萌本線の駅は全て左側にホームがあるため、深川駅6番線発着となる一部列車を除いては、ドア扱いを左側でしか行わない。秩父別の駅舎は開業時からの木造を改築したもの、駅前広場側は窓回りとその上部が板で覆われているが、ホーム側は柱とともにあまり手が加えられてない。駅舎が広いためか、待合室はガランとしており、ベンチ4脚×2が深川寄りにある。駅前広場はアスファルトで敷いているだけ、町の中なのでアクセス道路は片側一車線で歩道もある。石狩沼田とおなじくらい栄えていると思ったが、乗車人員は20人と石狩沼田の半分くらいだ。町の玄関口ということを考えると、少ない方かもしれない。
歩いて10分ほどの『道の駅鐘のなるまち・ちっぷべつ』は宿泊可能で日帰り温泉もあるが、今回の旅行では利用できなかった。朝一番の石狩沼田行が秩父別を通過するのがネックになったためだ。最初から、明るいうちに留萌本線に乗れるのがわかっていたら、日帰り温泉に入るくらいはできたと思う。
秩父別発7時38分の深川行に乗車、計画段階では、この列車を北一已で降りた後、深川まで70分歩くつもりでいたが、北一已は昨日訪れることができた。そのため、秩父別から乗った時点で留萌本線は全駅クリアとなった。深川着7時49分、ホテルでシャワーを浴びた後にチェックアウト、駅前のコンビニで朝食を買った後、8時34分の普通岩見沢行に乗り込んだ。計画段階では、北一已から歩いたあと、9時19分の特急で滝川に向かうつもりでいたが、特急を普通にしたことで、運賃+料金の860円が浮いた。
滝川着8時52分、接続の根室本線まで48分もあったので、ヤードの遠い場所に留置してある国鉄色のキハ40形を撮影した後、ベンチで朝食となった。滝川駅付近は飲食店もなく、コンビニも駅から1キロ近く離れているから、朝食は前もって買うしかない。
滝川発9時40分の富良野行は、キハ40系の宗谷急行色だった。つい最近まで、根室本線、石北本線、函館本線の函館口と広いエリアで活躍していたキハ40形だったが、H100形の投入で次々と撤退、今では確実に乗れるのは根室本線の滝川~富良野間だけとなった。H100形は投入しきってないから、旭川運転所への投入が進めば、この区間の置き換えも進むだろう。現時点でもキハ150形が運用されないのは謎だけど。降りたのは次の東滝川、自分以外に同業者が2人降りた。来春に廃止が決まった東滝川駅、今日降りたのは廃止になるからでなく、たまたま時間が合ったから。廃駅が報道される7月以前から予定に組み込んでいた。すぐに折り返すができ、バスを使わずとも楽に行けたからだ。
東滝川は。両線とも富良野へ向かって右側にホームのある2面2線、駅舎に近い上りホームが富良野寄りにずれている。駅舎と逆側に側線が2本あり、うち1本は滝川寄りが雑草に埋もれている。下りホームの富良野寄りは、ホームから線路と同レベルまで降り、跨線橋で駅舎の前に降りる。上りホームの滝川寄りも線路と同レベルに降りるが、駅舎の前に出るには50mほど歩く。交互配置でホーム有効長も長いため、下りホームの滝川寄りから上りホームの富良野寄りまで300mくらい、上下線の分かれるポイント同士は800メートル離れている。1950年改築の駅舎は平屋のモルタル造、待合室には4脚ベンチが3つ置かれている。駅前広場は広く、片側一車線の道路が通じている。国道38号線が近いためか、周辺は民家が多く、駅から歩いて数分の所にセイコマがある。国道38号線沿いにバス停があり、1時間から2時間の間隔で、滝川~芦別を結ぶ路線バスだけでなく、札幌へ向かう高速バスも停車する。乗車人員は国鉄末期ですら10数人程度で、今は2人ほどとなった。そのため、去年6月から廃止駅の対象となっており、その1年後には来春の廃止の報道があった。
東滝川駅には15分滞在して、10時03分の列車で折り返し、滝川には10時12分に戻ってきた。滝川からは特急で札幌へ向かうことに、次の特急は10時20分の『オホーツク』だが、チケットレス割引が効く10時33分の『ライラック』まで待った。ちなみに、この3日後に10月から『宗谷』『オホーツク』に『特急トクだ値1』の導入が発表されている。
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