ひなげし日記

本と映画とお芝居と…

半年ぶりの観劇。

2020年07月13日 | お芝居

ほんとに久しぶりのお芝居公演。民芸の「集金旅行」で、今年の観劇の幕が開いたのに、コロナのせいで「楢山節考」が公演出来なくなり、あとずっと、いつ見ることが出来るのか??? 待って待って、やっと半年ぶりの公演決定。長かった! 今回のチケットも公演日間際まで連絡なかった。連絡受け取りに行ったら、「3人、止められた」と。 ご近所の方で、私がこっちのサークルに移り、初めて一緒に例会参加した人たち。

昨年末、今まで代表をしていたサークルを会員さんの退会で解散し、近くの知り合いのサークルに入れて貰うという経緯があった。その会員さんの中にご近所の方がおられ、一緒に乗り合わせで観劇に行ったのだったが。

確かに、コロナのせいで、いつ公演が再開できるか分からない状態で会費を払い続けるのは、しんどいと思う人がいても不思議じゃない。

今回参加して聞いたところでは、600人ほどが退会されたそうだ。今まで260数人くらいが山だったか?運営担当サークルが中心になってみんなで頑張り、1名クリアを続けてきたのだった。この人数を取り戻すのは大変だ。今、コロナの第2波が来るのではと戦々恐々の状態の中で、「お芝居」は、やはり後回しになってしまうのだろうか?

第1の波を、我が県は何とか上手く回避できた方だろう。東京や、孫のいる県は恐ろしい状態になりつつある感じだ。第2波が来ているのだろうか?誰かは「第1波の最後の尻尾のあたり」とも言われていたが、本当かどうか誰にもはっきりしたことは分かりはしないし。

でも、都議選の結果などを見ていたら、いっきに脱力感で一杯になった。「私、選挙の前に、コロナ対策でドッサリ顔を売ったから、あとはお任せ」的な小池さん、そんな彼女をまた選んだ都民の皆さん。波にのっかっていれば、自分の思っているところへ連れて行ってもらえると夢見ている人が多いのか。彼女をはじめ、政治の中枢にいる人たちのやる気の無さや、成す手無しの様が今までの事全部を含めて、余りに透けて見えたからか・・・・

こんなこと言うつもりじゃなかった。お芝居の事だ。

今の状態の中で観劇の大変さ、観る側だけじゃなく、観て貰う側の諸々の大変さを思う。「怖いからもう少し後で」の人が多いから、これだけの退会数になったのだろう。それでも好きだからと観に来た人たちを、次の例会へつなげること、また、増やすことが、この例会にかかってると言えるかも。運営委員さんも、運営担当サークルの人も大変だろう。「収容人数を半分に」を解決のため、公演場所を大きい会館に変更、衛生面、万一の対策、済んだ後、何日も経って出る結果への処理など、運営側で無ければ分からない困難の数を思う。

でも、そんな努力をしていただいて、見ることが、ほんとに久しぶりに見ることが出来、どんなにホッとし嬉しいか。舞台を前に、照明が落ちていくあの時間、今は幕が無いお芝居が多いけど・・・・ 幕が上がる方が、「お芝居、見るぞ!」という感激が大きいんだけど。

紗幕が上がり、「オデオン堂」の看板が浮かび、ガスマスクを着けた登場人物にライト。

この「きらめく星座」は3回目かな?1回目の憲兵役の藤木孝さん???ロック歌手だったような。えらの張ったお顔が印象的だった。岡まゆみさんのふじ、夫がワンちゃん(植木等さんと同じグループの人?)、みさをさんの夫に名古屋章さん?正一が映画「若者たち」の4人兄弟の長男か次男役だった人???もう、すごく前だから、うろ覚えで違ってるかもしれない。手帳見たら、85年だった。2回目が99年。この時の役者さんはほとんど覚えていない。ふじが夏木マリさんだったような・・・

今回、ふじ役の方は松岡依都美さん、前のお二人のふじとは、また、違った持ち味の人。演じる姿を見ていたら、運営委員のОさんが浮かんだ。なんだか彼女を思わせるふじさんだった。

舞台は1940年の遅くから、真珠湾攻撃の始まる前日の夜まで。攻撃が8日未明だったから、このあと数時間で第二次世界大戦になる訳だ。みんな家族ともいえる人たちが満洲へ、長崎へと別れて行く夜、この戦いであれほどのひどい惨禍を受ける地になるとは誰も夢にも思わない所へ。この人たちの戦後はどうなったのだろう?平和な日々だったのが戦争に引きずり込まれ、一個の卵、わずかなコーヒー、1本のたばこ、守り切った二、三本の大根・・・ そんな飢えに飢えた暮らしの中でも、それでもささやかに笑いあい、歌いあい、ささえあって暮らしていたのに。再びみんながガスマスクを着けた姿で舞台が終わる。

このあと、8月、9月、11月と例会が続く。お芝居ラッシュだ!嬉しい!とは言え、だんだんセリフが聞き取りにくくなって来てる。前の方の席を頂いているが、今回も一番前の列だったが(コロナの為、2列分は椅子を取り払い、大きく空けてあった)、そして、左が聞こえないので下手側に座ったが、みさをさんなどのセリフは殆ど聞き取れなかった。大きな声のセリフも、内容がわからない音として聞こえるだけ。一生懸命聞きとることに集中するのに疲れてしまった。補聴器をつけて行ったが役に立たず、途中で外してしまった。聞き取りやすい機器の貸し出しとか、画期的な回復手術とかない限り、音楽やお芝居などの趣味を楽しむのはこれから先、私には無理かもしれない。

期待が実現した嬉しさと、自分の身に起きている辛い現実とに向き合う一日だった。


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