早いものでフルマラソンのレースまであと1週間。
10月末から始めたトレーニング・メニューも何とかこなすことができ、あとは体調管理に専念です。
去年の春頃から10月の初ハーフマラソンを完走出来たら、フルマラソン挑戦を検討しようと思っていました。
無事ハーフを完走、タイミング良く2月に地元でフルマラソン大会が開催される・・・
でもただ単にフルマラソンを走ってみたいという理由以外に、実はどうしてもこのレースに参加したい個人的な理由があるのです。
理由その1
私の母は私が小学校5年の時に胃がんで亡くなりました。36歳という若さでした。
その時、弟は4年生、妹はまだ幼稚園児。私達の成長を見届けることなく逝ってしまい、きっと無念だったでしょう。
残された私達も本当につらい日々を送りました。
幼くして母を亡くすのは言葉で表現出来ない位、つらいものです。
ですから今でも、女性が幼い子供達を残してがんで逝ってしまったという話を聞くと、それが全く知らない人でも涙が出てしまいます。
理由その2
1991年から数年間、夫の仕事の関係でワシントン州に住んでいました。
当時通っていたジムで知り合い、友達になった日本人女性のHさん。
彼女のご主人もアメリカ人(軍人)。明るくてやさしいHさん。いつも楽しく一緒にジムでクラスを受けていました。
翌年の秋、Hさんのご主人の日本への転勤が決まり帰国。
ずっと手紙で連絡を取り合っていたのですが(当時はメールなんてありませんでしたから)、翌年、送ったクリスマスカードが返送されてきました。
もうその住所にはいないとのこと。電話もつながらなかったので、またご主人の転勤、または引越しで住所が変わったと思い、彼女からの連絡を待っていました。でもそれ以来、音信不通。
私達は2002年にフロリダに越して来て、私は翌年、外国語教室で日本語を教える仕事を始めました。
ある日、女性(アメリカ人:以下N)から“日本語を教わりたい”と言う依頼の電話がありました。
Nは以前、日本人の友達がら日本語を教わっていたけど、お互いのスケジュールが合わなくなり続けられなくなってしまったと話してくれました。
その日本人の友達のフルネームが、なんとHさんと同じだったのです。
きっとただの同姓同名人と思いつつ、一応念のため、私にも同姓同名の友達がいて、彼女は10年程前ワシントン州に住んでいて、C君という息子さんがいて・・・と話したら同一人物であることが判明したのです!
驚きました。Nもびっくりして“こんなこともあるのね。さっそくHの電話番号教えるから、電話して驚かせてあげて。”と言いました。
でも次の瞬間、興奮する私に衝撃の事実が・・・・
Hさんは数年前に離婚して、乳がんを患っているとのこと。ショックでした。
気を取り直してさっそくHさんに電話をすると、最初、混乱していたようですが私だとわかると、10年という時間を取り戻すべくお喋りに花が咲きました。
乳がんとは言え、フルタイムで仕事もしていて元気そう。
きっと初期のがんで完治可能なのだと思いました。その後、頻繁に電話で連絡を取り合い、お喋りを楽しみました。
電話の度に“ゆっくり会いたいね~。”と話していたのですが、当時、私はとても仕事が忙しく、また彼女のスケジュールもタイトでなかなか実現出来ず。
でも2004年12月末、私は仕事を辞め、翌月の2005年1月からコミカレに通うことに。
便利なことに彼女の職場はコミカレのすぐ近く。
クラスの前後に彼女に会いに行けると喜んでいたのですが・・・・
2004年の大晦日、Hさんは逝ってしまったのです。
10年振りに連絡が取れたのに会うことが出来なかったこと、今でも悔やまれます。仕事を休んででも時間を作り、彼女に会いに行くべきでした。
私にはワシントン州時代のジムで元気よく体を動かしているHさんのイメージしかありません。でも彼女の最期を知る友達は、“治療の副作用で髪の毛が抜け落ち、やつれていて直視出来なかった。”と言っていました。
病状が悪化して苦しい思いをしていたのに、電話口では弱音を決して吐かなかった彼女。
どうして彼女がこんなに早く逝ってしまわなければならないのか。この時ほど乳がんを憎く思ったことはありません。
以上がこのレースに参加したい理由です。
何度も言うようですが、このレース26.2 with Donna The National Marathon To Fight Breast Cancerの参加費は全額、乳がんのリサーチや治療に充てられるという、全米初のマラソン大会。
私が払った95ドルの参加費が出来ることは限られている。でも私がこのレースに参加することで、わずかながら乳がんのリサーチや治療に貢献できるのです。
もし私がランニングをしていなくても、このレースの趣旨に賛同し、きっとボランティア等、何らかの形で参加していたと思います。
と言う訳で、2月17日はHさんと母への追悼の意を込めて、そしてがん撲滅を願いながら走ります。
10月末から始めたトレーニング・メニューも何とかこなすことができ、あとは体調管理に専念です。
去年の春頃から10月の初ハーフマラソンを完走出来たら、フルマラソン挑戦を検討しようと思っていました。
無事ハーフを完走、タイミング良く2月に地元でフルマラソン大会が開催される・・・
でもただ単にフルマラソンを走ってみたいという理由以外に、実はどうしてもこのレースに参加したい個人的な理由があるのです。
理由その1
私の母は私が小学校5年の時に胃がんで亡くなりました。36歳という若さでした。
その時、弟は4年生、妹はまだ幼稚園児。私達の成長を見届けることなく逝ってしまい、きっと無念だったでしょう。
残された私達も本当につらい日々を送りました。
幼くして母を亡くすのは言葉で表現出来ない位、つらいものです。
ですから今でも、女性が幼い子供達を残してがんで逝ってしまったという話を聞くと、それが全く知らない人でも涙が出てしまいます。
理由その2
1991年から数年間、夫の仕事の関係でワシントン州に住んでいました。
当時通っていたジムで知り合い、友達になった日本人女性のHさん。
彼女のご主人もアメリカ人(軍人)。明るくてやさしいHさん。いつも楽しく一緒にジムでクラスを受けていました。
翌年の秋、Hさんのご主人の日本への転勤が決まり帰国。
ずっと手紙で連絡を取り合っていたのですが(当時はメールなんてありませんでしたから)、翌年、送ったクリスマスカードが返送されてきました。
もうその住所にはいないとのこと。電話もつながらなかったので、またご主人の転勤、または引越しで住所が変わったと思い、彼女からの連絡を待っていました。でもそれ以来、音信不通。
私達は2002年にフロリダに越して来て、私は翌年、外国語教室で日本語を教える仕事を始めました。
ある日、女性(アメリカ人:以下N)から“日本語を教わりたい”と言う依頼の電話がありました。
Nは以前、日本人の友達がら日本語を教わっていたけど、お互いのスケジュールが合わなくなり続けられなくなってしまったと話してくれました。
その日本人の友達のフルネームが、なんとHさんと同じだったのです。
きっとただの同姓同名人と思いつつ、一応念のため、私にも同姓同名の友達がいて、彼女は10年程前ワシントン州に住んでいて、C君という息子さんがいて・・・と話したら同一人物であることが判明したのです!
驚きました。Nもびっくりして“こんなこともあるのね。さっそくHの電話番号教えるから、電話して驚かせてあげて。”と言いました。
でも次の瞬間、興奮する私に衝撃の事実が・・・・
Hさんは数年前に離婚して、乳がんを患っているとのこと。ショックでした。
気を取り直してさっそくHさんに電話をすると、最初、混乱していたようですが私だとわかると、10年という時間を取り戻すべくお喋りに花が咲きました。
乳がんとは言え、フルタイムで仕事もしていて元気そう。
きっと初期のがんで完治可能なのだと思いました。その後、頻繁に電話で連絡を取り合い、お喋りを楽しみました。
電話の度に“ゆっくり会いたいね~。”と話していたのですが、当時、私はとても仕事が忙しく、また彼女のスケジュールもタイトでなかなか実現出来ず。
でも2004年12月末、私は仕事を辞め、翌月の2005年1月からコミカレに通うことに。
便利なことに彼女の職場はコミカレのすぐ近く。
クラスの前後に彼女に会いに行けると喜んでいたのですが・・・・
2004年の大晦日、Hさんは逝ってしまったのです。
10年振りに連絡が取れたのに会うことが出来なかったこと、今でも悔やまれます。仕事を休んででも時間を作り、彼女に会いに行くべきでした。
私にはワシントン州時代のジムで元気よく体を動かしているHさんのイメージしかありません。でも彼女の最期を知る友達は、“治療の副作用で髪の毛が抜け落ち、やつれていて直視出来なかった。”と言っていました。
病状が悪化して苦しい思いをしていたのに、電話口では弱音を決して吐かなかった彼女。
どうして彼女がこんなに早く逝ってしまわなければならないのか。この時ほど乳がんを憎く思ったことはありません。
以上がこのレースに参加したい理由です。
何度も言うようですが、このレース26.2 with Donna The National Marathon To Fight Breast Cancerの参加費は全額、乳がんのリサーチや治療に充てられるという、全米初のマラソン大会。
私が払った95ドルの参加費が出来ることは限られている。でも私がこのレースに参加することで、わずかながら乳がんのリサーチや治療に貢献できるのです。
もし私がランニングをしていなくても、このレースの趣旨に賛同し、きっとボランティア等、何らかの形で参加していたと思います。
と言う訳で、2月17日はHさんと母への追悼の意を込めて、そしてがん撲滅を願いながら走ります。
走る理由は人それぞれ。 100人走ったら100通りの理由があってでもそれをマラソンっていう1つのことでつなげることが出来てマラソンって走る以外にも何か強い太いものがあるのかなって思うよ。
遠くから応援してるよ。 楽しんできてね。
そうだね、走る理由は人それぞれだね。違う目標を持っている何千人、何万人のランナーがひとつのゴールを目指すと思うと、やっぱりマラソンて奥深いものだと改めて思うよ。
レース当日は家族や友達をがんで亡くしたランナーがたくさん参加すると思う。同じ経験をしたもの同士が走るのだからパワーをもらえそう。楽しんでくるわ。