ニューコスモセンター

青森でコスモスというバンドで歌ったり詩書いてる人の痛々しい日々の挙動

紙のクリスマスツリー/2006年のライブレポート北枕ツアー

2013-11-30 03:34:46 | 過去エッセイ
紙のクリスマスツリー/2006年のライブレポート
瓜田タカヤ

2006年「北枕ライブ寛とふきたのヤーヤードー!」
前座コスモス、ボーカル千葉の雑感
-------------------
幼稚園の頃、家の庭に咲いたヒマワリと背比べをした。

母親が庭いじりをしていて、少し風の冷たい夏にそうした。
いくつかの細長い雲が、太陽を遮りその間外気は、
錆びたブランコや肉体に冷却を約束した。
小学生になってから、母親は消えた。

俺の子供が4年前の11月に、泣いた。
夫婦喧嘩で恐ろしくお互いを罵っていたのだ。

発端は子供の話なのだが、それは発端でしかなかった。
それ以外の様々な重い思いが、ストレスとしてあったのだ。

子供は何度も もうしないから、いい娘になるからと叫び、
大粒の涙をこぼした。
そのイノセントさを
少しだけ気にしながらも、怒りの感情の方が豪奢で、
物を蹴り、物が飛んだ。

その時、居間の小さな洋服ケースの上に置かれた厚紙の固まりが
華奢に床に落下した。
きっかけに
子供はパニックにごめんなさいと何度も叫び泣きじゃくった。
それはクリスマスツリーだった。

楽しい幼稚園などの、幼児向け雑誌の付録だ。

夫婦はお互いを、言い負かそうと必死に怒号中のさなか
子供は泣きながら、落ち、潰れた紙のクリスマスツリーを元の場所に戻し
いくつものキャラクターが印刷された星形を、一個一個拾い、元の形へ
直そうとしていた。

カミさんに切れながらも、とても心が痛かったが、
感情が怒りの斜面を快活に滑り落ちて行く事に手立てがなかった。
子供が一人だった頃の事だ。

何年かして今は
2番目と3番目の子供が産まれ、大変腕白盛りで(女でも腕白って言うかな)
家を散らかしたり、汚したりするアイディアは天才的だ。

時々その、あまりの狂乱の貴公子リックフレアーぶりに、嫌気がさし
俺とカミさんが機嫌悪くなってくる。

しかし上の子はそれを感じ取ると、なんとか楽しい雰囲気を保ちつつも
下の子のイタズラをやめさせようと、うまい感じで行動する。

俺はそれをみると、脳で薄く、紙のクリスマスツリーを思い出す。

あの一件の為に長女が学習した選択肢の取得方を、
決定づけてしまったような自責感に見舞われる。

5月14日、青森市のカフェバーアトムで繰り広げられたライブ
「三上寛とふきたの皮膚ネプタ祭トゥアー2006」は大変に良い感じだった。
個人的には演奏面や音の迫力は弘前の方が良かった感じで
二日目の方は、イベント全体としての完成度が高かったように思う。

青森では時間も押すこともなく6時半開演した。
エイト君(コスモスのドラム)の帰りの飛行機が8時40分発であったので
時間が押しては不味かったのだ。

一曲目「三部作」からイベントはスタート。
重めの変則的なリズムの曲、朗読の曲だ。
俺は、橋本が死んだ時の週刊ゴングを開き
適当に持ち込んだ椅子に座りながら喋る。

ステージを見回して、ライトを仰いで、音の内部への進入を試みる。
恍惚側に気持ちが混ざり始めるが、リーディングしていきながら
その感情を別の場所へ徐々に流し込む。

それは脳に残る記憶、カンブリア紀の環形動物の日常へか
小学生の頃の、桜祭りを歩いている感情へかへと移動したがる。

どっちでも良いし、どっちでも同じだ。
やりたいことは、万能感の所持だ。それがステージで自分を信じる為の保証なのだ。
まあそんな大げさには考えていない感じもするんだけど
なんか雰囲気的にはそうなのだ。

その儀式が終わってからの2曲目以降は大分楽だ。
怖いのは舞踏家の福士さんが入ってくることだ。
負けないように、うまく立ち回らなければならないのだ。
その結果上手くいくと、乗算で緊張感のある非常に素晴らしい空間になったりする。

曲目は1日目と2日目でちょっと変えた。

1日目は2曲目に「孤独なふりをする」という歌詞をライブ感のままに聴ける曲
(歌ったままの速度で意味が脳に入る曲、今回朗読抜けばこれだけ)を
コスモスの詩のセンスを知り得て欲しい為にやったが
2日目はそれをやらないで「電気ミシン」という曲にした。

ドラムのエイト氏が

「電気ミシンは、このメンバーになってからゼロからみんなで作った曲だからやるべ」
とガラにも無い事を言ったからそれにしたのだ。

曲順もライブのテンポをもっと速くするため
アコーディオン工藤氏の、
ギターとアコーディオンのチェンジが一回で済む曲順にした。

その結果、非常に良い感じにテンポ良くなって、
全体が締まって無駄が省かれた感じであったが
その分、体力的にキツイ曲が三曲並んでしまってそこしんどかった。
まあテンションで乗り切った。
というか、それくらいこなせる体力つけろデブ俺って感じだ。

最後の曲「ペル名」が非常に気持ちよく歌えた。
ちょっと音程取れていないところがあったんけど、
ドラムのエイト氏が感情高ぶってしまって、大音量で叩きすぎたために
モニターでボーカルの音聞こえなくなった。
って事にした。

最後の「カメラ下がれ」って盛り上がって歌う箇所で
スタジオ練習の時に何となく別のメロディーラインと歌詞でテキトウに歌ったのを
思い出して歌った。

俺にしてはベタベタな歌詞だったんだけど、んでしかも大分アドリブ。

それでも、あとからビデオでそのシーン観たら、ビジュアル担当角田君の
チョイスした絵図らが、電車の車席から撮ったと思われる映像で
水墨画的なエフェクトがかかった山々や海を越えていく映像でそれに合わせて

「夜の海を越えて、朝の靄を越えて、君の街を越えて
 君のいる夏の夢を見る。金の風を越えて、春の桜を越えて
 秋の枯れ葉を砕いて、泥水の中で出会おう。カメラ下がれ!」

という歌詞がはまって、狙ってたのか分からないけど、スゲえ空気感を
醸し出していて、お互いがお互いを増幅してその場所、その空間でしか
完成し得ない非常にミラクルな、磁場を形成していた。

トリの寛さんは空間を自分の物にしてしまっている。
命の測りや覚悟のようなものが、初期装備、すでに所持って凄味がある。
それは血だ。
津軽人の血がアンチではなく、もしくはアンチであるが故なのか、
その血が逆にコンプレックスを磨き結晶化しているような完成感。

不足感それ自体が美しい完成型として機能する、闇も含めた人間賛歌。
きっと西暦2345年になっても、狂信的なファンがいるであろう
歌もステージングも挙動も含めた、素晴らしい全て。
いつも自分の表現の先端を考えていくと
血とノスタルジックな津軽の形式を妄想する空間に至り
どうしても、寺山修司と三上寛を踏んでしまう。

それがそれで良いのか。それともネオナチ、じゃなくてネオ津軽的な
何か新しいレーゾンテートルに至り、演出して行く方が良いのか。
今後の課題。

寛さんと福士さんの絡みを観ているときに
「青森ってカッコイイナア!」と思った。

ライブ終わってみんなで飲んだ酒は本当に美味しいものです。
俺は「サッパリしたあ!」と何回も喋った。

タクシーで家に帰り、無理矢理カップラーメンを食ってみながら
カミさんとライブのビデオを観る。
カミさんが喜んでくれているのが嬉しい。
とりとめもない話をするのが楽しい。

大して大袈裟な、未来はいらない。
夜中にカミさんと、
どうでもいい楽しい話をもて遊べればいいのだ。
それは
それだけで古い欲望の感覚に
少しは満たされるからなのかも知れない。

アリの隊列、まぶしい日差しを受けた瞳が
自宅へ戻った時の暗く見える居間、
クッキーの匂い、瓶のコカコーラ、
ヨーヨーチャンピオンの赤いジャケット、

俺は
母親が居なくなった時から、何も変わって無いのかも知れない。

俺のやっている事はずっと同じで
不可能な事を試みているのだ。
過去の構築。
8歳の体感のリセット。
細長い雲との約束。
そうなのだ。

俺は いまだに泣きながら、

紙の
クリスマスツリーを
組み上げ続けているだけなのかも知れない。

昔書いたエッセイシリーズ「エロビデオ屋での葛藤とレモンティー」2004年07月

2013-11-26 17:23:04 | 過去エッセイ
エロビデオ屋での葛藤とレモンティー

モスバーガーのドライブスルーでレモンティーを買って、車内で飲みながら
夜中、またしても東北電力へ電気料金を払いに車を走らせる。

レモンティーを注文する時というものは、32歳の駄目男にとっては
どこか恥ずかしげな寒い空気が肉体に粘着する。

小学生の時漠然とだが、喫茶店内でくつろぐと言う行為が
大人っぽいと思っていた。
その思いが未だあるって事は、大人っぽいという境界線内に、自分自身はまだ
入らない意識を持っているのだ。

まだ自分の事を(自分の思い描いた)大人だと思えていない幼稚さや渇望感
から来る、自分発自分着の一人完結羞恥心といった性質を
レモンティー注文は訴えているのかもしれない。

東北電力では結局、いつもの人がいなくて話の通じない人が応対してくれて
料金を支払うことができなかった。

その帰り道
夜中にジャスコの近くのデカイエロビデオ屋で
エロいビデオを物色していた。
その時、無表情の俺の目の前を三人の若い女が通り過ぎた。
彼女達は大人のおもちゃコーナーへ行き大人のおもちゃを物色していたのだ。

俺は彼女達が何を購入するのか気になって仕様が無かったんだが
彼女らのいるコーナーは入り口がひとつしかない部屋のようになっていて
もし俺が入っていくと、女3人と俺がひとつの空間で不思議な空気感を
存在しない神に披露してしまうことになってしまうであろう。

その空間内へと入るには何かしらの理由が必要なのだ。
大人のオモチャコーナーで理由付けをしなければならん
ならひとつしかない。

俺が何かダッチワイフでも物色しなければならなく
なってしまうじゃないか。
それとも箱に描かれた薬物中毒者のような女の顔の絵で、
口のところが切り取れるようになっていて「藤原ノリカの口」と
題された商品を手に取り、「うーん」と買うかどうか悩むしぐさをしながら、
その箱を下半身へとでもあてがったりしなければならないのか。

それは避けなければなるまいなあ。ちきしょー!と
不自然な怒りを覚えつつ、
女らを気にしながらも、知らない振りして露出もののコーナーを探していた。

店の奥まったところにそれらしいコーナーがあり物色してたが
それぞれの棚にはジャンル分けされたポップが張られていた。

熟女とかレイプとかね。そして俺は何気なく自分が今物色している棚を
チェックした時、衝撃がぬめった。そのポップにはなぜか「獣姦」
と誇らしげに印字されていたのであった!

俺は無表情でギョ!っとして周りの客らに俺が獣姦ものコーナーを棚の橋から
一本一本チェックしている姿を見られていたかもしれない。
と羞恥に身をよじった。
その棚はまだ整理中で、上半分が「犬と女」とかで、
下の棚に10本ほどの露出物が置いてあっただけであったのだ。

ある意味、大人のおもちゃコーナーでオナホールやローションなどを
選別するところを女らに見られるバツの悪さのほうが
面白さ的にはよかっただろう。
別の考え方をすれば、それは羞恥プレイとして、
非常にミラクルなシチュエーションだったのかも知れぬ。

しかし女らがそのコーナーから出てきたときに
熱が冷めた。一人の女が、もう一人の女にぎゃははといった感じで
笑いながら人目もはばからず
「アンタレイプ願望あるんでねえ?(あるんじゃない?)」
と言ったからだった。

やはり羞恥心が無ければならぬのだ。
暗部にあるどこか後ろめたいエロチシズムを共有しあう挙動がなければ
セックスはただの作業になってしまうでわないか。

羞恥とは自己の不完全性の葛藤だ。

精神性だけの愛と、肉体のみの性欲との間に位置する綱渡りの紐だ。

どちらか片方では駄目なのだ。
両方を所持し、何とかバランスをとりながら
愛しい君と一体化する了承を得たいのだ。

と女らに対して、自分勝手な無理やり針の穴を通そうとした哲学を
自分の頭内で披露するのも、さすが子持ちなのに
深夜エロビデオ何時間も探しまくってるだけあって馬鹿だなあと
微妙自己嫌悪に陥った。

しかしそれでもさらに
そんなデリカシーの無い女達に、テキトウにいじめられるのも屈辱的で
興奮するかも。と、自分の考察をまたしても無理やり女達の考え方に
合わせようとしてまで、何かエロいイベントが起きてもいいように精神的に
準備をしている俺もさりげなくいて駄目加減満載。

女らに声をかけて「僕のオナニー見てください!」って頼んで
その望みがかなったりしたら、

その時はレモンティーも普通に注文できるようになるのカシラン。

昔書いたエッセイシリーズ「ホークの約束事」2004年12月

2013-11-26 17:21:04 | 過去エッセイ


当時
虫の標本をしたので、地獄に落ちると思っていた。

小学校1年とか2年とかの時に、藤田組通りにあった銭湯の裏に
小さな指圧のお店があり、母親が行く時に一緒に行くんだけれど

その店(というかほぼ普通の家)には仏教系の本がたくさん置いてあり
中でも、地獄と天国の光景を描いた絵本のようなものがあって
そこで読んだ時に「殺生をすれば、血の池地獄に落とされたり、針の山を
鬼達にむりやり登らされたり、永遠にそんな風に苦しむんだよ」と
指圧の先生がニヤつきながら話していた。

俺は夏休みに買った、昆虫標本セットの注射器に薬を入れて、
虫達に注射を打って昆虫標本を作るつもりでその死体に針を刺し、
箱に入れたりしてたから、俺は地獄に落ちるのだと思っていた。

真夜中に閻魔大王を見上げ、何も出来ずにたたずむ自分自身の悪夢を
見てうなされたりした。

かつてロードウォリアーズとして活躍し、最近ではど真ん中という
言葉だけが先走りしている長州力のプロレス団体WJに参戦し
その技の健在振りを見せ付けていたマイケル・ヘグストランドこと
ホーク・ウォリアーが死んだ。心臓発作か。

若くして死ぬ(45歳)アメリカンレスラーは大概ステロイドが原因と
言われるが、今回もそうだったのであろう。
なんかで読んだんだけど、相棒のアニマルはすごい健康マニアで
ホークはまったく無頓着だったという。アニマルのほうがテキトウそうな
イメージがあるけれどもね。

ロードウォリアーズと最初に出会ったのは、小学校六年生から中学生に
かけてであっただろうか。当時青森で深夜に放送されていた「世界のプロレス」
という番組で見たのが最初だった。その前までは鉄の爪フリッツフォンエリックの
息子、ケビンやケリーが登場して、テリーゴディと死闘を繰り広げていた。
その後現れた彼らは、今までのプロレスには見られないスタイルを築き上げた。

彼らのすべてが衝撃的だった。
試合時間が3分とか短時間で終わってしまったり
その際の様々な今まで見たことも無いようなツープラトンも新しかった。

当時のツープラトン技といえば、太鼓の乱れうちとか
手を繋いで走りこんで相手の首に当て、転ばすみたいな
まったく何のアイディアも取り込まれていない時代であった時に
アニマルが選手を抱え上げて、走りこんできたホークがラリアットとか
バックドロップ時にラリアットするとか、今となっては当たり前にある合体技も
彼らが先駆者であった。

そして相手がどんな攻撃をしてもまったく、ダメージを与えることが出来ない
のもびびった。たとえホークがラリアットとか食らってもスクっと
すぐに何事も無かったかのように、ウヒヒと言った感じで立ち上がったりする。
すげえホーク!としびれた。

その他にもマネージャーのキャラ立ちとか、ハードゲイのような
ギチギチの皮のトゲトゲファッションとか顔のメイクとか
すべてが斬新なスタイルで、しかも最初からそのキャラクターが
馴染んでいた。はまっていたのだった。

スラム街で育った彼らは、ドブネズミを食って生きてきたぜと
はき捨てるように言い放つ。俺は「ドブネズミ食ってきてレスラーで
ロードウォリアーズにまでなった奴らなんて最強に決まってんじゃン!」
と思っていたのであった。

アニマルが怪我でプロレスから離れていた時に、ホークが新日に来て
佐々木健介と、ヘルレイザーズというチームを結成し、当時前田の団体
旧UWFから新日に戻ってきた健介が無理やりアニマルのような
ど派手なメークとコスチュームでアニマルウォリアーとして
ホークとタッグを組んだのも、今となっては健介にとってもいい思い出だろうか。

その時スタイナーブラザーズと試合後、リックスタイナーが健介に
英語で一言二言馬鹿にした時、ホークはマジ切れしてリックに詰め寄ったという
俺のパートナーを侮辱するやつは許さない!と試合後も怒り心頭だったという。

真面目で男気のある一面を持っているカッコいいレスラーだなあ。と
新たにホークが好きになった。

しかしその後は、体調のせいかファイトスタイルの変更のせいか、まあ新日の
試合で当時、世界のプロレスで見た試合スタイルはできないのだろうけれど
それでもたまに、敵の攻撃を受けた後にまったく利いて無いそぶりで立ち上がり
舌をべろりと出し、相手を睨みつけるホークにニヤリとしたものだった。

まあホークの日本での軌跡をたどるのなら、全日本でのジャンボからピンフォール
とった話とかもあるのだろうけれど、俺はその頃、完全な新日派であったので
その辺はあまり知らない、正直スマン!

ホークは、昔インタビューで趣味は何かと聞かれたときに
「蝶の標本を集めている」とキャラに無い本当のことを言ってしまい
その直後マネージャーに、こづかれすぐにホークキャラに戻り
「殺人事件の切抜きを集めているぜ!ゲヒヒ!」としゃべったという。

ホークはプロのレスラー、「プロレスラー」という意味を
理解し、体現していた数少ないレスラーだった。

ステロイドを止められないネガティブさは悲しい現実だ。

しかし彼は知っている。年をとるごとに
ファンが何を自分に求めていて、その求められた自分と
今の自分が重なっていないことを。そして

自分のためだけに、スポットライトと歓声の中
テーマ曲アイアンマンで登場し、リングでダブルインパクトを決め、
歓声の上がる、かつての自分の姿を知っているのだ。

だからホークはその時の自分に重なるために、
自分と家族に誇れる自分になるために、矛盾とステロイドを
打ち続けてしまったのだろう。

彼は蝶の標本を趣味にしていたことによって地獄におちたのだろうか。

しかし「ホーク・ウォリアー」には地獄が似合っているかもしれない。
アイアンマンが流れる中、
ホークウォリアーは、地獄の鬼達をなんか殴りまくり、殺しまくる。

いくら殴られても、簡単に起き上がりニヤつく
そして閻魔大王かサタンかを探し、完全にフライングラリアットか
フィストドロップでフィニッシュする。

ホークウォリアーは、相棒のアニマルに言っているのかもしれない。

「アニマルよ。地獄で待ってるぜ。」と。
ホークウォリアーは俺の中で、そういう記憶として残る。

しかし本当の彼はきっと、蝶の飛び交う静かな草原で安らかに眠っているのだろう。

感動的なくらいに、真実はひとつだ。

標本にされてきた蝶たちは、知っている。

それは

生命は「死ぬ」っていう事。

シンプルな約束事を。


昔書いたエッセイシリーズ「窓に何を映す?」2003年5月

2013-07-12 17:08:00 | 過去エッセイ


窓に何を映す?

朝、カイリ(俺の子、当時3歳)を保育園に送った後、カミさんの病院へ行く。

荷物はすでにまとめられていて、俺はそれを車に詰め込んだ。
カミさんと少し話をして、看護婦さんにお礼を言って病院を後にした。

カミさんは点滴をはずせないために、なんと救急車で向かうのであった
俺は家の車で、カミさんが向かう県立中央病院へと向かった。

カミさんは2人目の子供を身ごもっていたのだが、子宮筋腫の為に
2階建ての小さな個人病院から、巨大な県立中央病院へと移ることになったからである。

毎日この個人病院へ子供と来て、子供と帰る日々が続いていた。

いつも帰り際、外に出てから、必ずカミさんの入院していた部屋二階の窓が開き
彼女は俺達にバイバイと言い、
気をつけてねとか言い、とりとめもない話をしたりして、
別れた事がなつかしい。

カイリは家に向かう車内で俺に
「パパ気をつけてみて!」と無邪気な事を言ったりしていたのであった。

県病について、産婦人科に行き、カミさんの荷物を置いて
少し看護婦さんから話を聞き、入院の手続きをしてから
仕事へと戻った。

部屋は前の個人病院とは違い、大部屋になるので、
カイリと来た時にあまりうるさくできなさそうで
ちょっと大変かなあと思った。

あと個人病院とは違ったせわしない雰囲気というか、
悪く言うと、色々な事が作業的な感じがして、気が落ち着かなかった。

カミさんもどこか不安そうであった。
ここに何週間も居たくないよ。と眼で訴えていた。

仕事も終わり夕方、カイリを迎えに保育園へ行った
彼女を車に乗せて、病院へ戻った。

県病へ着き、6人部屋の一番端の窓際に座るカミさんを囲み
みんなで色々話をした。が、どうにも落ち着かなくて
みんなで、食堂のような場所に移動して絵本を読んだりした。

隣の病錬は小児外科になっていて、時折
カミさんと同じような点滴の器具を取り付けた子供が、
暗い蛍光灯の廊下を横切ったり、
口の周りに黒い斑点ができた子供が家族とともに、
おにぎりを、これまた暗く食していたりする光景が現れた。

カミさんはは新しい環境の、どこかささくれ立った希望の雰囲気に
心が萎縮しているようで、俺も落ち着かない病室や、せわしない大病院の
流れ作業的な空気感に、微弱におびえていた。

面会時間が終わり、少し険悪なまま別れた。
エレベーターが閉まるときにカミさんが泣いてしまった。
カイリはそれを見て泣いた。

外はもう真っ暗で肌寒く、風が強かった。

青森の10月独特のシャーベット状の冷たい雨が俺達の身体を乱暴に打ち
俺はカイリを抱いたまま車へとその足を急いだ。

その時、俺の腕を押しのけんばかりの勢いでカイリが背骨を反った。
俺は、寒いのにさあ何してんのよ。とばかりに見あげた。

「ママいないねえ」

カイリは暗闇の中のいくつもの巨大な窓枠らの塊を凝視していた。
暗の14階建て、巨大な病院のいくつにも
規則的に連なる窓らを眺めずっと探していた。

彼女は2階建ての病院の時と同じように、母親が窓を開け、手を振り、
「気をつけてね。」と話すであろう一連の行動を渇望して、
母親を探していたのだった。

俺は強く彼女を抱きながら「ママどっかの窓からパパ達見てるけど
見つからないねえ。」と話した。

家についてから2人でガスコンロの火をつけ、ポップコーンを作った。
それは焦げてしまいイマイチで、子供と苦いねえといいながら残した。

暗闇の中に連なる窓枠達は、現実感の現存だ。
俺達はいつでも、何百もの窓の中のひとつを探している。

そこに映し出されるものが、あらかじめ愛である事を
本当は知っている上で、
俺達は愛に溺れる日常を探している。

昔書いたエッセイシリーズ「十和田湖へ」

2013-07-11 22:29:18 | 過去エッセイ


十和田湖へ2003年10月

休日
午前中に何とかおきて、家族みんなで十和田湖へ行った。
天気は非常にやばそうな雲いきであったが、それでも
この時期(紅葉の秋)を過ぎてしまうともう行かないであろうなあという
思いもあり意地になって出発。

後藤伍長で有名なあの映画八甲田山の八甲田を抜けひたすら
南へ山道を進んだ。木々が乱立する斜線越し、太陽光がストロボフラッシュのように
絶えず窓から差し込んでくる。
冷え切った空気を、大量の枯れ葉が撹拌し、その中を無分別に車は滑りぬける。
キャロル・キングとかが似合うんじゃないの。ダサおしゃれっぽい感じでと
ノスタルジーさでね。

途中で足だけお湯につかる、そのままの名前なんだけど足湯というサービスを
行っている温泉の広場で休憩。コーヒーと筍の味噌おでんと抹茶とかを
足湯につかりながら頂き、大変まったりとした時間を過ごした。
がこの時間が一番和む時間であった。

その後、奥入瀬渓流に差し掛かり様々な、滝や紅葉を見た。
狭い車道には、巨大なマイクロバスが停車している姿を
何度も見かけた。平日とはいえ、秋の紅葉シーズンの奥入瀬周辺は
混んでいた。観光客らはそれぞれにビニール傘をさして激しい滝らを観賞。
その傘らは、滝のしぶきよけに使用されているのではなかった。

それはそのままの用途をなしていた。
雨が降ってきましたのだ。やばいですなあ。

カイリは出かけるときに玄関で、長靴を履いて行くと きかなくて
俺とかみさんは、もう!じゃあ勝手に長靴で行けばいいじゃん。と
天気の良い午前は話していたのだが、雨が降った事により
カイリの勝ちって感じだった。

そして・・
俺たちは十和田湖についた。
・・・雨が大変に強く降りしきる湖へだ!

思えば仙台に行った時も雨だったんだよな。と思いながらそれでも
テンション低いみんなを無理やり車から降ろし、
カミサンにビニール傘を売店へ買いに行かせ
乙女の像がある方角へベビーカーを押しながら歩き出した。

湖に沿った小道は、更に強風で寒くて凍えそうであり、
俺の心は折れそうになった。がそれをごまかそうと
無理やり きりたんぽと大根を煮込んだものを買い、
一旦お土産屋に入って、少し雨がやむのを待とうと提案した。

お土産屋店内にある休憩所にて、俺たちは きりたんぽを食ったり
カイリは店内の、ショボイオモチャを物色したりして、雨がやむのを待つ。
雨はきっと一時的なものさ。と自分に言い聞かせて。

カイリは音楽が鳴るバトンのオモチャがどうしても欲しいと言い出した。

カイリはうまい棒を買うための自分用財布の金を
テーブルにだし、「コレで買える?」と聞く。

それは80円だった。バトンのオモチャは800円だった。

俺はカイリの財布に入っているお金じゃ買えないよ。
といったら「パパ1000円持ってるから、カイリにオモチャ
買えば良いじゃん。」と言った。
しばらく買う買わないでもめるが結局買ってあげてしまった。

その間も一向に雨のやむ気配はないので
思い切って雨の中、乙女の像まで突き進むことにした。

カミサンは、まったく乙女の像を見たい気持ちなど無いといった様子で
むしろ、帰ろうよといったオーラを発しまくっていたが、
俺は気づかない振りして赤ちゃんの乗るベビーカーを押して、外へ出た。

乙女の像に向かって、ベビーカーを押す男とその妻と
はしゃぐ幼児。湖面に漂いぶつかり合う白鳥を模った船らは
この暴風雨の中無理やり、乙女の像へ向かおうとする
津軽の中途半端な家族らをどういうまなざしで見ていたのだろうか。

行けども行けども、悪路が続くばかりで一向に目的の場所へは
たどり着きそうも無い雰囲気になった時、かみさんが笑顔で言った。
戻ろう。と。

俺は、すこし悔しい気もしたが
「誰か止めてくれ」と言う微妙な思いも、確かに精神に付着していたので
さっぱりした。

話は前後するが、乙女の像とは裸の女が二人向き合って、お互いの手を
合わせている像だ。十和田湖に来たらここに訪れなければ駄目である。
むしろ乙女の像が十和田湖であると言っても過言ではない。

俺は車内でカイリに、十和田湖に行く事を少しでも楽しんでもらおうと思い
「乙女の像っていうのは、人間が石にされちゃって
 固まってるんだよ。だからそれをパパ達は助けに行かなきゃ駄目なんだよ。」
とニヤついて話していた。


雨の中、十和田湖に着き、駐車場から降りてお土産屋が立ち並ぶ通りを
歩いていると、カイリが突然たじろいだような、少しビビッテいる様子で叫ぶように言った。
「コレが乙女の像なの?」
カイリは石にされたその人間を助けなければならないと
本気で思っていて、俺に真剣に報告してきたのであった。

俺はカイリのまなざしの先を見つめた。
暴風雨の中その人形は物言わず立ちつくしていた。

それは店先に設置されていた、
梅宮辰夫の等身大人形。タッチャン漬けの販促人形であった。

コレは助けられない・・。

俺は笑って、デジカメを取り出し、
辰っちゃん人形の写真を撮ろうとしたが
色々な荷物を持っていて、撮るのが大変だったので
それをやめた。