みんなの笑顔が、みんなを笑顔にすると思います
その笑顔が一つでも生まれるよう
私はみんなに歌を届けようとおもいます
愛を込めて 倖田 來美
久々に日記アップしてみます。悲惨な日々を綴って、そんなんばっかなんで
面白くないだろうと思ってだしてなかったんだけど、あくまでも自分記録という
感じで薄いメモ用紙に走り書き程度のつもりで記しています。
1月前半 斉藤明俊の影
まったく仕事とお金が無い日々に明け暮れていながら、朝方の
濡れた路面を走る。信号の黄色い点滅が窓枠に張り付き俺の顔をてらす。
心の中か、実際に口にしているのかしらぬが「地獄だ。。」とつぶやく
しかしあまりにも不意の小さな不幸にまでそう毒づいて外地へと逸脱しようと
ガス抜くので、なにか違う言葉で代用できないか、その言葉が脳から唇に放たれる狭間に
何か別の言葉を使って逃げぬけないか。地獄だ、ではあまりにも反り返った円錐内で
快活に転がる骨の塊のような気がして、気が気じゃない。
黄の点滅からを気にするのをやめ、なにか別の言葉を地獄に似ている言葉で
地獄だと言ってしまいそうなるときの「じ・・」から変化できる言語が。
と気づいて使ってみたのが「自業自得」を思いついて自業自得という言葉自体も
精神的な通り道は「地獄」と同じであろうと思いスムーズになのではないかと思い
使ってみた。日常のさまざまな寄る辺の無い振り子の精神の外れに至った時に
「ジゴ・・ウジトクだ・・。」と三度ほど使用して使用感が最悪であったために
禁止した。何か駄目なことがあるたびに「自業自得だ」とつぶやくほうがさらに
追い詰めらて、齋藤 彰俊からスイクルデスを食らってしまうほどの背筋の冷たさを
感じるまえにもっとコミカルな別な言葉で、溶液を薄められないかと思案。
せめて2番目の娘が誇らしげに何度も何度も作るあや取り4段梯子に、銀河系を思い描き
何かの隙間を埋める日々。
※斉藤彰俊
全日のレスラーで三沢にバックドロップした人。元々の通り名(っていうのか)が死神
1月後半 見散らかし
ウォッチメンが最高に面白かった。
今まで見たアメコミヒーローものでベスト。
阿呆遊戯もカッコよかった。26世紀少年はまあよかった。
もっとエログロを期待していた。マイクジャッジならキングオブザヒルだっけか。
ポルノスターの大統領最高。
あとカラテキッド最高。久しぶりに最近のジャッキー映画の
中でも大変面白い。ウィルスミスの息子も可愛くて良い演技。中国人のヒロインが
不細工だったけど、影絵のシーンとかベタっぽい展開だけど青臭い風合いにウットリできる。
最後のあの複線が効いてくるんだけど、成功していても大した効果を得ていない感じなんか
ラルフマッチ尾パット森田版ベストキッドのB級な中途半端さを要らなく呈していてまあ良い。
棒とロープで鶴のポーズ的なシルエットも修行シーンでやっていたんで、そこ生かして
ラストは鶴キックでよかったんじゃないかとも思うが、突然のあの技はなんだろう。
カポエラやってましたとかサッカーは得意的な複線あったら説得力増したのに。
しかしラストの試合シーンに行く前に、ジャッキーとウィルスミス息子の葛藤は
すでにほぼ解消、もしくは根元事態が解消してしまっていた。ウィル息子がジャッキーを
車から外へ出しての紐付棒での修行シルエットシーンで。
んだから、以降のいじめっ子との戦い試合シーンに挑む場面が、なんでか蛇足に見えてしまう。
んでも物語中盤の、ジャケット着る修行の意味を知るジャッキーとのウィルの修行シーン。
と前出の影絵シルエット修行シーンだけでもう興奮したので尾k。いや全体的にも大変面白かった。
ウィルスミスって嫌われてそうだけど、僕は実は結構好きで、アイ編むレジェンドとか
原作と違うとか、元の地球最後の男とかと比べてクソ、とか聞くけど、あれはあれで
面白かったと思うんです。ハンコックなんかも途中までは(ハンコックが始めてのアレと出会って
家から吹っ飛ばされる場面まで)大変楽しく観られたし、最後の
ヒーロー同士の決まりごと周りが、いまいち消化不足で乗り切れなかった。あとミシン売って
生計立てる貧乏脱出もの映画のとか。これは職無くなって息子と駅構内のトイレで寝ないと
行けなくなった初日に、息子が文句言いながら寝静まった後に、トイレ使いたい人が現れて
外のドアを何度もノックする。んだけど、無視し続けながら、それでも音で
息子起きないで、と抱きしめる、どうしようもなさに
泣くウィルスミスのシーンとかだけがよかった。あと覚えてない。
彼は普段多分調子に乗ってる陽気な金持ちおじさん。
ヘンゾグレーシー的な立ち位置なのでは無いかと適当に推測する。
身内との間には深い絆があり、敵は血まみれにしろ的な。
バーとレイノルズのロンゲストヤードは、内容もバートレイノルズも最高に
良かったのだけれども、それ以外の仲間キャラがいまいち説明不足で乗れない。
スカパー放映だったんだけど、テレビで映画放映されるさいに良くあるカットしまくり
だったんかな。そんなこと無いべか。
24やっと観た。シーズン1まあまあ。今シーズン2の方が元大統領夫人の
愛を取り戻せ的な全体の骨子が繋がって見えて、駄目人間の切ない戦いみたいで
単なるサスペンスものに終わっていない。様な気が浅くだけどしたんで2のほうが
面白かった。あと1の日本語吹き替えのジャック妻の声が大竹しのぶみたいで、
アホっぽく見えてしまう。それだけ。
デッドライジング始めのボスが倒せなくて、諦めていたんだけど
久々にプレイ再開して倒したら、こんど宝石店で子供をゾンビに食われた
女が泣き崩れていて、彼女を助けようとするとおんぶしながら、大量のゾンビを
殺戮し進まなければならずに、そこでまた殺されまくり止まる。
二周目になれば、自分の
強さレベルアップしたまま挑めるので、多分そうなんだ。
ひきこもり・ニートの定義
厚生労働省/国立精神・神経センター精神保健研究所社会復帰部による定義
「さまざまな要因によって社会的な参加の場面がせばまり、
就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態」
もしかして私、子持ち40目前にしてニートなのかと思いまた斉藤彰俊の影に怯える。
酒もタバコも食料も金も無くて、とにかく寝るという行為二日間送った日々などもあった。
二日間だけでも外へ一度も出ないと、外へ出るのが怖くなって怖くなった。
私が生きているだけで金が掛かるのだ。
午後に学校から帰宅した子供に起こされるという都合の悪さを回避するために
意味も無く職安でダラダラと過ごしたりもしていた。
面接後の採用決定落選までの期間中や、何かを申請してその許可が下りるまでの間
などの周りでどうしても何もしないフローチャートに陥る日々が出来てしまうのだ。
2月頭 肉体労働
林氏の紹介で、雪かきや屋根の雪尾落としなどの日雇いバイトをいくつも。
雪かきのバイト、これぞ肉体労働な汗だく仕事で大変きついけれど、その日のうちに
金が入るし、求職中で暇な私にとっては大変都合が良い仕事。
雪かきの依頼主さんの家で3時のおやつ食べているとき彼が
あなた達は普段、何の仕事しているんですかと。職人Aは大工ですと言い
林氏「内装やっています」というので、私は聞かれたら半笑いで「詩人です」
と喋るかと思ったが私にその質問が来る前に、別の話に反れ、なんだか言わなくて済んで
自嘲気味にホッとしたと思った。
2月13日 弘前打ち合わせ
北枕の打ち合わせ弘前。
まだまだこれからやること山積み。
なんか打ち合わせ中俺下ネタをするっと喋りすぎな感じ。
滑る雪面。
車内を三日前にタンクからこぼれて染み出した灯油の匂いが満ちる。
その中でコンビにで買ったオニギリを食いながら帰宅。
2月14日 チョコ
子供たちがバレンタインで手作りチョコ。
お友達にあげるのだという。
2月後半 本漁り
いつも市民図書館を利用していたのだが、場所が遠くいつも利用していなかったのだが
そういえば県立図書館割と近いじゃんと思って今度からそっち行くことにした。
バイオは完全に壊れてしまい、中身、ハードディスクだけ取り出した。んだけど
この中身に入ってるデータってアプリは移動できないのかな。入ってないんだけど
エクセルとかフォトショップとか移動できないのなら。一応
今のノート→USB→はずしたハードディスクと繋げられるケーブル手元に在るんだけど
まだ使ってない。
去年、河出書房新社からでた「寺山修二に愛された女優」面白くて一気に読んでしまった。
新高けい子の自伝的体裁を通して天井桟敷青春譚のような、生き生きとした70年代周りの
彼らの戦いが記されていて、あああ俺もこの頃生まれていたらなあ。そしたら69年のアメリカで
白人とフリーセックスしまくって笑顔でドラッグ三昧だばいいなあ。とかテキトウな妄想を投げ出す。
ウッドストックも体感できるべななー。とか。馬鹿中学生妄想。
荒川洋治著「詩とことば」
戦前、戦後詩から現代詩までの時系列的ではない詩と詩世界全体の批評のような
具体的に様々な詩人の作品が載り、解説されていて、すごく勉強になりました。
荒川氏の解説、詩に対する距離感が覚めていてそれでいて寵愛的なバランスが
面白く読みやすく、スルスル読める。
たとえば
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
北原白秋の「からたちの花」の解説
「からたちの花が咲いたよ。/白い、白い花が咲いたよ。」ではじまる。
穏やかな感じであとの3連がつづいたあと、突然5連めに
「からたちのそばで泣いたよ
みんなみんなやさしかったよ」
となる。このあともう一度第一連と同じものがでて、
うたいおさめとなるものの
この五連目はすこぶる鋭利である。
いきなり「泣く」という言葉がでるのだから。
暗転というべきか。「ど、どうしたの?」という感じである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とか。
末っ子、夕食時喉に魚のとげが刺さってフンワリとした彼女の生活に
突然の喉に刺さる棘痛覚暴れ、紙粘土で作成した雛人形片手に泣く泣く。
泣きながら、外套と靴を履き、病院へ向かう午後8時。
3月8日 素晴らしい音
県立美術館へ出向き、映像作家角田氏の、ライブ鑑賞。
音と映像の瞬間生成により、抱擁する空間。排他する空間が
繋がっている。なんかもっと様々なバリエーションがありそう。
気持ちよかった。
3月7日 市川
小学生の時、肉を食べられない女の人がいて
昼休みの時間になっても一人で完食するまで食べていた。
突然、その娘に会いに行ったら、元気で川辺で一緒に泳いだりした。
両親と弟が住んでいる家では、カメラ屋を経営していて、壁面の棚には
端から端まで様々なカメラが安いものから中間的なものまでびっしりと
並んでいた。壁の両面がそういう作りになっていて店内の中央には
16メートルほどの長いワゴンがあり、その中にもカメラ関係の雑貨が
雑多に放り込まれていた。そのワゴン縁の椅子に座り、両親、お父さんと
お話をしていたら、とつぜん奥の部屋へと案内された。
その部屋でお父さんは、ズボンを脱ぎ尻を私に見せた。
尻右のでん部を見て少し驚いた。
右のでん部全体はひらがなの「の」の字型に深いくぼみのような
亀裂が入っていたのだ。
お父さんは振り向き私を見、娘に刺されてこうなったと言った。
その後、彼女と少し話をしたのだが、私は興味本位で会いに行っただけ
であったので、さりとて楽しく話はしたのだが、一回りすると
そろそろ帰るかなあ。という気になった。
しかし彼女はいつまでも楽しそうに会話を続けていた。
小学生の時は、暗い子どもだった印象があったのだが、今では
すっかり明るくなってと思った。
帰り際、私が音楽をやっていることを話、自分のCDアルバムをあげた。
玄関の手前の部屋を出るときに弟とすれ違う、
弟の表情はしかめ面で、いつも明るい弟だと思っていたのに
なぜか彼は脱力、疲労、あきらめ、不愉快の表現を滲ませていた。
私は古着屋などにおいてある、大量の洋服をかけることのできる
車輪のついた長いラックに乗って滑走してこの家までたどり着いたので
帰りもそのラックに足を乗せ滑って行こうとしているのだが
途中に水溜りやくぼみがあって、そのラックを何回か持ち上げてから
進んだ。
しばらくアスファルトを進み、次はどこに行こうかと考えた時だった。
橋を滑っていた私の背中から、巨大な音量で私のCDの音楽が流れてきた。
振り返ると、さっきまで居た家の方角からだった。
寂れた田舎町の建物を反響する大音響の振動。
ステレオのボリュームを最大にして、窓を開け放して聴いているのだ。
あの彼女が。
私はラックに載って滑っている。
スピードは速い。
という悪夢で目覚めた日。
3月11日 地震の陰謀
家で掃除などをしていて、最近精液に血が混じっているとか
おしっこがオレンジ色で血が混じっているとか適当に考えていたときに
家が震動しだした。無視していたのだが、すぐに対応しきれなくなり
倒れそうに前後に揺れる本棚を急いで片手で押さえて、空間に目が泳ぐ。
停電。
しばらくビビっていたらまた振動。余震。
世界終わるか。ニセ預言者が「ほらね世界やっぱり終わるでしょうプレアデス!」
とかいい気になって喋りだすのではないか。案外そこを信じて何かにすがり付く
弱さが鎌をもたげないかと。小さな
カミソリを探さなかったけれどびびる。
電話が通じないので、近所、妹の家に向かおうと外へ出る。
でたとたん。すぐ、巨大な犬を連れた太った白人男性が
地震どこ吹く風と、巨犬に引っ張られながら散歩をしている。
犬は私の前で軽くじゃれ、頭を撫でろと毛を震わしていた。
私がその白人男性に地震すごかったですね。アースクエイク?と
話した途端、彼は「ユアファミリー」と雪面に立ち尽くす私に言った。
まるで世界の終わりの真相を知る基地外男が、私に何らかのキーワードを
託そうとしているように感じて、津軽ナショナルトレジャーの始まりかと
震える。
妹の家に何事もなくたどり着き。
取りとめも無い会話して家に戻ると子どもたちが既に帰宅していた。
夕方。
携帯の充電器買いに子どもたちとコンビニへ
田舎のどうでもいいコンビニ駐車場がこれまで観たことも無いほどの混みようで
夕闇は車から発する何らかの点滅の羅列のみ。
強い風が雪を巻き上げ時折かすかに聞こえる救急車のサイレン。
夕方灰色の暗闇店内。
床の上に立ち尽くし、何でも買い込む人々。店内の化粧品とドックフード以外の
棚は棚が見え、レジからもっとも後方のジュース類冷蔵庫陳列段まで、かごを抱えた
人々が並ぶ。店員はレジを開けっ放しにし、計算機を使って会計作業。
お目当てのものはすでに売り切れていて、ポテトチップスとタバコと
牛乳カップラーメンなど周りの人間らの雰囲気で買い込んだ。
灯油ストーブがたまたま家にあったので良かったのだけれど
無い家庭らは、毛布に包まって寒い思いをしているのだろう。
夜はキャンドルナイトたまに余震。
焦って起きて、タバコ吸ってまた寝る。を3回繰り返す。
最悪の日々の呟きは、「地獄だ」ではなく
地震だ。と言えばいいのではないか。
地震なら、震える日常を何とか回避する手段に
恐怖と背中合わせを実感して
快活に歩を進めようとするのではないかしらと
心に薄く切り込みを入れた。
3月12日 まずまず機能しない町
ユキオ氏と妹と私とで、新町へ向かう。
駅周辺の電気は回復していて、その周辺の老人ホームへ行く。
知り合いが働いていて、携帯電話の充電と買い物のなどできないかと
ドライブする。
ほとんどの信号機は止まっていて、みんな雰囲気で交差点を行き来する。
天気の良さがシュールな風景を切る。
道すがら近所のスーパーマーケットはどこも長蛇の列をなしている。
ガソリンスタンドも30台くらい車の連なり。それでも
テレビからの情報が無いので、どうにもぎりぎり日常の光景にまだ見えていた。
老人ホームで充電して、新町通りにある100円ショップへ向かう。開いていた。
この辺駅一帯は電気が回復していて、安心感と怖く無さがあった。
電池と夜に備えて小さなライトを買った。
ある会社の事務所へ向かい、電池式のラジオをゲット。
林氏の携帯がなり、着信音がカラのミスターだった。
まぶしい太陽と雪面にレフ版効果で光る林氏のメガネが
まるで偽者の救世主のようにみえ、そんなことまあどうでもいいかと思った。
事実がある程度わかっても結局何が事実か良くわかっていない状況で
早く音信普通の人々と連絡が取れたらいい。
3月17日 コスモス会議
北枕へ向けての、コスモス会議で、中畑氏と工藤さん宅へ向かう。
禁煙の室内で、近況を適当に話し、選曲やテーマというか動機付け。
地震関連の話。親カーターの工藤氏に送信された不謹慎な留守録とか。
3月18日
長女がミュージックステーション見てて、歌手がみんな
音楽の力を、みたいな事を被災地に絡めて喋るんだけど、
ジャニーズの若い人たちの歌がや踊りが、御釜チックで
気持悪かった、んだけど、この人たちがテレビ出て
被災地の人々を慮っている様子を放映したら、きっとこの人たちのファンの
千人か万人が、幾ばくかの資金を被災地で苦しんでいる方々へ送金するのだ。
ああ俺のやってる詩や音楽の意味の無さ。
今こそ音楽を!とか掲げてやってるアーティストら、今こそって
今までなにやってきたのだ。理想と欲情と信念を命がけで追求して
人々に何かを提示、表現に昇華してきていたんじゃないのか。
大げさに言えばそれが失敗だったってことの証明じゃないか。
と思った瞬間100倍で返しで俺の腹を鈍器で殴らてしまいうずくまった。
ああ俺の意味の無さ。
結局、俺は自分の欲望でしか表現をかざしていないってことなんだけど
それでいいんだ。表現なんて自己の衝動、欲求、オナニーだ。
それに依存しなきゃ、生きていけない内部への探求者であるしかないのだ。
せめて自分を救ってあげて、自分の周りの愛する人々に迷惑かけないように
できたら幸せになるようにコントロールする希薄な意味の放水車のようなものなのか。
最低4人。せめて4人だけ。自分の家族だけでも助けて幸福に導かなくてはだめだ。
とせめて落ち込まないように理由づけ。
3月十九日 機械の秘密と浅く考えるエレクトリックサンダー
連日報道される福島第一原子量発電見て次女が。
「なんで毎日、機械の秘密ばかりやってるの?」言った。
あのフリップだあの人工衛星を裁断したよなフリップだ。
結局のところ、想定外の津波でメルトダウンしてしまう原子力発電駄目。
日本の原子力発電所は基数でいえば世界第2位。こんな小さい島国に69個も。
シックスナインも建つ原発(2008年1月、日本原子力産業協会他)
その原発の電気供給料の割合は約3割を担っている。これ。
3割を他の発電方式に振り返るしかないんだじゃないか。
3割って微妙な数値だけど移行不可能な数値でもないんじゃないか。
これを契機に、太陽光、波力、風力、地熱、天然ガス、石炭やらに
割り振ってもいいんじゃないかと思うんですが、権力者の皆さんどうでしょう。
新しい電力供給のインフラが整うまで、
何十年単位で安定供給がなされないかもしれないけれど
脱原発が出来るならば、その日が来るまで週一回の計画停電やら、その他予想される
様々な不便さなんて、どうって事ないんじゃないか。
効率を一番大切な事にしたいのなら、個人ではなく
地球単位の効率として考えた時に、最も適している発電方式は
原子力では無いのだ。
全然適当なんだけど、3丁目の夕日くらいの時代に戻っても
幸福の箍には変わりないと思うのだ。
ああ、まあ・・ネットとエックスボックスまあある方式で。
ぎゃるがんとか、クソゲー(ほめてます)位は遊べる平和さで。
経済成長、便利な社会、距離の縮小、実は人間の退化なのかも。
もしくは人間の本質とは全く関係の無いことなの。
原子力発電 ・・・・ 31.2%
石油等 ・・・・ 10.2%
石炭 ・・・・ 22.2%
LNG ・・・・ 26.6%
水力発電 ・・・・ 9.0%
新エネ ・・・・ 0.4%
地熱 ・・・・ 0.4%
出典:2002年度実績(経済産業省調べ)
その笑顔が一つでも生まれるよう
私はみんなに歌を届けようとおもいます
愛を込めて 倖田 來美
久々に日記アップしてみます。悲惨な日々を綴って、そんなんばっかなんで
面白くないだろうと思ってだしてなかったんだけど、あくまでも自分記録という
感じで薄いメモ用紙に走り書き程度のつもりで記しています。
1月前半 斉藤明俊の影
まったく仕事とお金が無い日々に明け暮れていながら、朝方の
濡れた路面を走る。信号の黄色い点滅が窓枠に張り付き俺の顔をてらす。
心の中か、実際に口にしているのかしらぬが「地獄だ。。」とつぶやく
しかしあまりにも不意の小さな不幸にまでそう毒づいて外地へと逸脱しようと
ガス抜くので、なにか違う言葉で代用できないか、その言葉が脳から唇に放たれる狭間に
何か別の言葉を使って逃げぬけないか。地獄だ、ではあまりにも反り返った円錐内で
快活に転がる骨の塊のような気がして、気が気じゃない。
黄の点滅からを気にするのをやめ、なにか別の言葉を地獄に似ている言葉で
地獄だと言ってしまいそうなるときの「じ・・」から変化できる言語が。
と気づいて使ってみたのが「自業自得」を思いついて自業自得という言葉自体も
精神的な通り道は「地獄」と同じであろうと思いスムーズになのではないかと思い
使ってみた。日常のさまざまな寄る辺の無い振り子の精神の外れに至った時に
「ジゴ・・ウジトクだ・・。」と三度ほど使用して使用感が最悪であったために
禁止した。何か駄目なことがあるたびに「自業自得だ」とつぶやくほうがさらに
追い詰めらて、齋藤 彰俊からスイクルデスを食らってしまうほどの背筋の冷たさを
感じるまえにもっとコミカルな別な言葉で、溶液を薄められないかと思案。
せめて2番目の娘が誇らしげに何度も何度も作るあや取り4段梯子に、銀河系を思い描き
何かの隙間を埋める日々。
※斉藤彰俊
全日のレスラーで三沢にバックドロップした人。元々の通り名(っていうのか)が死神
1月後半 見散らかし
ウォッチメンが最高に面白かった。
今まで見たアメコミヒーローものでベスト。
阿呆遊戯もカッコよかった。26世紀少年はまあよかった。
もっとエログロを期待していた。マイクジャッジならキングオブザヒルだっけか。
ポルノスターの大統領最高。
あとカラテキッド最高。久しぶりに最近のジャッキー映画の
中でも大変面白い。ウィルスミスの息子も可愛くて良い演技。中国人のヒロインが
不細工だったけど、影絵のシーンとかベタっぽい展開だけど青臭い風合いにウットリできる。
最後のあの複線が効いてくるんだけど、成功していても大した効果を得ていない感じなんか
ラルフマッチ尾パット森田版ベストキッドのB級な中途半端さを要らなく呈していてまあ良い。
棒とロープで鶴のポーズ的なシルエットも修行シーンでやっていたんで、そこ生かして
ラストは鶴キックでよかったんじゃないかとも思うが、突然のあの技はなんだろう。
カポエラやってましたとかサッカーは得意的な複線あったら説得力増したのに。
しかしラストの試合シーンに行く前に、ジャッキーとウィルスミス息子の葛藤は
すでにほぼ解消、もしくは根元事態が解消してしまっていた。ウィル息子がジャッキーを
車から外へ出しての紐付棒での修行シルエットシーンで。
んだから、以降のいじめっ子との戦い試合シーンに挑む場面が、なんでか蛇足に見えてしまう。
んでも物語中盤の、ジャケット着る修行の意味を知るジャッキーとのウィルの修行シーン。
と前出の影絵シルエット修行シーンだけでもう興奮したので尾k。いや全体的にも大変面白かった。
ウィルスミスって嫌われてそうだけど、僕は実は結構好きで、アイ編むレジェンドとか
原作と違うとか、元の地球最後の男とかと比べてクソ、とか聞くけど、あれはあれで
面白かったと思うんです。ハンコックなんかも途中までは(ハンコックが始めてのアレと出会って
家から吹っ飛ばされる場面まで)大変楽しく観られたし、最後の
ヒーロー同士の決まりごと周りが、いまいち消化不足で乗り切れなかった。あとミシン売って
生計立てる貧乏脱出もの映画のとか。これは職無くなって息子と駅構内のトイレで寝ないと
行けなくなった初日に、息子が文句言いながら寝静まった後に、トイレ使いたい人が現れて
外のドアを何度もノックする。んだけど、無視し続けながら、それでも音で
息子起きないで、と抱きしめる、どうしようもなさに
泣くウィルスミスのシーンとかだけがよかった。あと覚えてない。
彼は普段多分調子に乗ってる陽気な金持ちおじさん。
ヘンゾグレーシー的な立ち位置なのでは無いかと適当に推測する。
身内との間には深い絆があり、敵は血まみれにしろ的な。
バーとレイノルズのロンゲストヤードは、内容もバートレイノルズも最高に
良かったのだけれども、それ以外の仲間キャラがいまいち説明不足で乗れない。
スカパー放映だったんだけど、テレビで映画放映されるさいに良くあるカットしまくり
だったんかな。そんなこと無いべか。
24やっと観た。シーズン1まあまあ。今シーズン2の方が元大統領夫人の
愛を取り戻せ的な全体の骨子が繋がって見えて、駄目人間の切ない戦いみたいで
単なるサスペンスものに終わっていない。様な気が浅くだけどしたんで2のほうが
面白かった。あと1の日本語吹き替えのジャック妻の声が大竹しのぶみたいで、
アホっぽく見えてしまう。それだけ。
デッドライジング始めのボスが倒せなくて、諦めていたんだけど
久々にプレイ再開して倒したら、こんど宝石店で子供をゾンビに食われた
女が泣き崩れていて、彼女を助けようとするとおんぶしながら、大量のゾンビを
殺戮し進まなければならずに、そこでまた殺されまくり止まる。
二周目になれば、自分の
強さレベルアップしたまま挑めるので、多分そうなんだ。
ひきこもり・ニートの定義
厚生労働省/国立精神・神経センター精神保健研究所社会復帰部による定義
「さまざまな要因によって社会的な参加の場面がせばまり、
就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態」
もしかして私、子持ち40目前にしてニートなのかと思いまた斉藤彰俊の影に怯える。
酒もタバコも食料も金も無くて、とにかく寝るという行為二日間送った日々などもあった。
二日間だけでも外へ一度も出ないと、外へ出るのが怖くなって怖くなった。
私が生きているだけで金が掛かるのだ。
午後に学校から帰宅した子供に起こされるという都合の悪さを回避するために
意味も無く職安でダラダラと過ごしたりもしていた。
面接後の採用決定落選までの期間中や、何かを申請してその許可が下りるまでの間
などの周りでどうしても何もしないフローチャートに陥る日々が出来てしまうのだ。
2月頭 肉体労働
林氏の紹介で、雪かきや屋根の雪尾落としなどの日雇いバイトをいくつも。
雪かきのバイト、これぞ肉体労働な汗だく仕事で大変きついけれど、その日のうちに
金が入るし、求職中で暇な私にとっては大変都合が良い仕事。
雪かきの依頼主さんの家で3時のおやつ食べているとき彼が
あなた達は普段、何の仕事しているんですかと。職人Aは大工ですと言い
林氏「内装やっています」というので、私は聞かれたら半笑いで「詩人です」
と喋るかと思ったが私にその質問が来る前に、別の話に反れ、なんだか言わなくて済んで
自嘲気味にホッとしたと思った。
2月13日 弘前打ち合わせ
北枕の打ち合わせ弘前。
まだまだこれからやること山積み。
なんか打ち合わせ中俺下ネタをするっと喋りすぎな感じ。
滑る雪面。
車内を三日前にタンクからこぼれて染み出した灯油の匂いが満ちる。
その中でコンビにで買ったオニギリを食いながら帰宅。
2月14日 チョコ
子供たちがバレンタインで手作りチョコ。
お友達にあげるのだという。
2月後半 本漁り
いつも市民図書館を利用していたのだが、場所が遠くいつも利用していなかったのだが
そういえば県立図書館割と近いじゃんと思って今度からそっち行くことにした。
バイオは完全に壊れてしまい、中身、ハードディスクだけ取り出した。んだけど
この中身に入ってるデータってアプリは移動できないのかな。入ってないんだけど
エクセルとかフォトショップとか移動できないのなら。一応
今のノート→USB→はずしたハードディスクと繋げられるケーブル手元に在るんだけど
まだ使ってない。
去年、河出書房新社からでた「寺山修二に愛された女優」面白くて一気に読んでしまった。
新高けい子の自伝的体裁を通して天井桟敷青春譚のような、生き生きとした70年代周りの
彼らの戦いが記されていて、あああ俺もこの頃生まれていたらなあ。そしたら69年のアメリカで
白人とフリーセックスしまくって笑顔でドラッグ三昧だばいいなあ。とかテキトウな妄想を投げ出す。
ウッドストックも体感できるべななー。とか。馬鹿中学生妄想。
荒川洋治著「詩とことば」
戦前、戦後詩から現代詩までの時系列的ではない詩と詩世界全体の批評のような
具体的に様々な詩人の作品が載り、解説されていて、すごく勉強になりました。
荒川氏の解説、詩に対する距離感が覚めていてそれでいて寵愛的なバランスが
面白く読みやすく、スルスル読める。
たとえば
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
北原白秋の「からたちの花」の解説
「からたちの花が咲いたよ。/白い、白い花が咲いたよ。」ではじまる。
穏やかな感じであとの3連がつづいたあと、突然5連めに
「からたちのそばで泣いたよ
みんなみんなやさしかったよ」
となる。このあともう一度第一連と同じものがでて、
うたいおさめとなるものの
この五連目はすこぶる鋭利である。
いきなり「泣く」という言葉がでるのだから。
暗転というべきか。「ど、どうしたの?」という感じである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とか。
末っ子、夕食時喉に魚のとげが刺さってフンワリとした彼女の生活に
突然の喉に刺さる棘痛覚暴れ、紙粘土で作成した雛人形片手に泣く泣く。
泣きながら、外套と靴を履き、病院へ向かう午後8時。
3月8日 素晴らしい音
県立美術館へ出向き、映像作家角田氏の、ライブ鑑賞。
音と映像の瞬間生成により、抱擁する空間。排他する空間が
繋がっている。なんかもっと様々なバリエーションがありそう。
気持ちよかった。
3月7日 市川
小学生の時、肉を食べられない女の人がいて
昼休みの時間になっても一人で完食するまで食べていた。
突然、その娘に会いに行ったら、元気で川辺で一緒に泳いだりした。
両親と弟が住んでいる家では、カメラ屋を経営していて、壁面の棚には
端から端まで様々なカメラが安いものから中間的なものまでびっしりと
並んでいた。壁の両面がそういう作りになっていて店内の中央には
16メートルほどの長いワゴンがあり、その中にもカメラ関係の雑貨が
雑多に放り込まれていた。そのワゴン縁の椅子に座り、両親、お父さんと
お話をしていたら、とつぜん奥の部屋へと案内された。
その部屋でお父さんは、ズボンを脱ぎ尻を私に見せた。
尻右のでん部を見て少し驚いた。
右のでん部全体はひらがなの「の」の字型に深いくぼみのような
亀裂が入っていたのだ。
お父さんは振り向き私を見、娘に刺されてこうなったと言った。
その後、彼女と少し話をしたのだが、私は興味本位で会いに行っただけ
であったので、さりとて楽しく話はしたのだが、一回りすると
そろそろ帰るかなあ。という気になった。
しかし彼女はいつまでも楽しそうに会話を続けていた。
小学生の時は、暗い子どもだった印象があったのだが、今では
すっかり明るくなってと思った。
帰り際、私が音楽をやっていることを話、自分のCDアルバムをあげた。
玄関の手前の部屋を出るときに弟とすれ違う、
弟の表情はしかめ面で、いつも明るい弟だと思っていたのに
なぜか彼は脱力、疲労、あきらめ、不愉快の表現を滲ませていた。
私は古着屋などにおいてある、大量の洋服をかけることのできる
車輪のついた長いラックに乗って滑走してこの家までたどり着いたので
帰りもそのラックに足を乗せ滑って行こうとしているのだが
途中に水溜りやくぼみがあって、そのラックを何回か持ち上げてから
進んだ。
しばらくアスファルトを進み、次はどこに行こうかと考えた時だった。
橋を滑っていた私の背中から、巨大な音量で私のCDの音楽が流れてきた。
振り返ると、さっきまで居た家の方角からだった。
寂れた田舎町の建物を反響する大音響の振動。
ステレオのボリュームを最大にして、窓を開け放して聴いているのだ。
あの彼女が。
私はラックに載って滑っている。
スピードは速い。
という悪夢で目覚めた日。
3月11日 地震の陰謀
家で掃除などをしていて、最近精液に血が混じっているとか
おしっこがオレンジ色で血が混じっているとか適当に考えていたときに
家が震動しだした。無視していたのだが、すぐに対応しきれなくなり
倒れそうに前後に揺れる本棚を急いで片手で押さえて、空間に目が泳ぐ。
停電。
しばらくビビっていたらまた振動。余震。
世界終わるか。ニセ預言者が「ほらね世界やっぱり終わるでしょうプレアデス!」
とかいい気になって喋りだすのではないか。案外そこを信じて何かにすがり付く
弱さが鎌をもたげないかと。小さな
カミソリを探さなかったけれどびびる。
電話が通じないので、近所、妹の家に向かおうと外へ出る。
でたとたん。すぐ、巨大な犬を連れた太った白人男性が
地震どこ吹く風と、巨犬に引っ張られながら散歩をしている。
犬は私の前で軽くじゃれ、頭を撫でろと毛を震わしていた。
私がその白人男性に地震すごかったですね。アースクエイク?と
話した途端、彼は「ユアファミリー」と雪面に立ち尽くす私に言った。
まるで世界の終わりの真相を知る基地外男が、私に何らかのキーワードを
託そうとしているように感じて、津軽ナショナルトレジャーの始まりかと
震える。
妹の家に何事もなくたどり着き。
取りとめも無い会話して家に戻ると子どもたちが既に帰宅していた。
夕方。
携帯の充電器買いに子どもたちとコンビニへ
田舎のどうでもいいコンビニ駐車場がこれまで観たことも無いほどの混みようで
夕闇は車から発する何らかの点滅の羅列のみ。
強い風が雪を巻き上げ時折かすかに聞こえる救急車のサイレン。
夕方灰色の暗闇店内。
床の上に立ち尽くし、何でも買い込む人々。店内の化粧品とドックフード以外の
棚は棚が見え、レジからもっとも後方のジュース類冷蔵庫陳列段まで、かごを抱えた
人々が並ぶ。店員はレジを開けっ放しにし、計算機を使って会計作業。
お目当てのものはすでに売り切れていて、ポテトチップスとタバコと
牛乳カップラーメンなど周りの人間らの雰囲気で買い込んだ。
灯油ストーブがたまたま家にあったので良かったのだけれど
無い家庭らは、毛布に包まって寒い思いをしているのだろう。
夜はキャンドルナイトたまに余震。
焦って起きて、タバコ吸ってまた寝る。を3回繰り返す。
最悪の日々の呟きは、「地獄だ」ではなく
地震だ。と言えばいいのではないか。
地震なら、震える日常を何とか回避する手段に
恐怖と背中合わせを実感して
快活に歩を進めようとするのではないかしらと
心に薄く切り込みを入れた。
3月12日 まずまず機能しない町
ユキオ氏と妹と私とで、新町へ向かう。
駅周辺の電気は回復していて、その周辺の老人ホームへ行く。
知り合いが働いていて、携帯電話の充電と買い物のなどできないかと
ドライブする。
ほとんどの信号機は止まっていて、みんな雰囲気で交差点を行き来する。
天気の良さがシュールな風景を切る。
道すがら近所のスーパーマーケットはどこも長蛇の列をなしている。
ガソリンスタンドも30台くらい車の連なり。それでも
テレビからの情報が無いので、どうにもぎりぎり日常の光景にまだ見えていた。
老人ホームで充電して、新町通りにある100円ショップへ向かう。開いていた。
この辺駅一帯は電気が回復していて、安心感と怖く無さがあった。
電池と夜に備えて小さなライトを買った。
ある会社の事務所へ向かい、電池式のラジオをゲット。
林氏の携帯がなり、着信音がカラのミスターだった。
まぶしい太陽と雪面にレフ版効果で光る林氏のメガネが
まるで偽者の救世主のようにみえ、そんなことまあどうでもいいかと思った。
事実がある程度わかっても結局何が事実か良くわかっていない状況で
早く音信普通の人々と連絡が取れたらいい。
3月17日 コスモス会議
北枕へ向けての、コスモス会議で、中畑氏と工藤さん宅へ向かう。
禁煙の室内で、近況を適当に話し、選曲やテーマというか動機付け。
地震関連の話。親カーターの工藤氏に送信された不謹慎な留守録とか。
3月18日
長女がミュージックステーション見てて、歌手がみんな
音楽の力を、みたいな事を被災地に絡めて喋るんだけど、
ジャニーズの若い人たちの歌がや踊りが、御釜チックで
気持悪かった、んだけど、この人たちがテレビ出て
被災地の人々を慮っている様子を放映したら、きっとこの人たちのファンの
千人か万人が、幾ばくかの資金を被災地で苦しんでいる方々へ送金するのだ。
ああ俺のやってる詩や音楽の意味の無さ。
今こそ音楽を!とか掲げてやってるアーティストら、今こそって
今までなにやってきたのだ。理想と欲情と信念を命がけで追求して
人々に何かを提示、表現に昇華してきていたんじゃないのか。
大げさに言えばそれが失敗だったってことの証明じゃないか。
と思った瞬間100倍で返しで俺の腹を鈍器で殴らてしまいうずくまった。
ああ俺の意味の無さ。
結局、俺は自分の欲望でしか表現をかざしていないってことなんだけど
それでいいんだ。表現なんて自己の衝動、欲求、オナニーだ。
それに依存しなきゃ、生きていけない内部への探求者であるしかないのだ。
せめて自分を救ってあげて、自分の周りの愛する人々に迷惑かけないように
できたら幸せになるようにコントロールする希薄な意味の放水車のようなものなのか。
最低4人。せめて4人だけ。自分の家族だけでも助けて幸福に導かなくてはだめだ。
とせめて落ち込まないように理由づけ。
3月十九日 機械の秘密と浅く考えるエレクトリックサンダー
連日報道される福島第一原子量発電見て次女が。
「なんで毎日、機械の秘密ばかりやってるの?」言った。
あのフリップだあの人工衛星を裁断したよなフリップだ。
結局のところ、想定外の津波でメルトダウンしてしまう原子力発電駄目。
日本の原子力発電所は基数でいえば世界第2位。こんな小さい島国に69個も。
シックスナインも建つ原発(2008年1月、日本原子力産業協会他)
その原発の電気供給料の割合は約3割を担っている。これ。
3割を他の発電方式に振り返るしかないんだじゃないか。
3割って微妙な数値だけど移行不可能な数値でもないんじゃないか。
これを契機に、太陽光、波力、風力、地熱、天然ガス、石炭やらに
割り振ってもいいんじゃないかと思うんですが、権力者の皆さんどうでしょう。
新しい電力供給のインフラが整うまで、
何十年単位で安定供給がなされないかもしれないけれど
脱原発が出来るならば、その日が来るまで週一回の計画停電やら、その他予想される
様々な不便さなんて、どうって事ないんじゃないか。
効率を一番大切な事にしたいのなら、個人ではなく
地球単位の効率として考えた時に、最も適している発電方式は
原子力では無いのだ。
全然適当なんだけど、3丁目の夕日くらいの時代に戻っても
幸福の箍には変わりないと思うのだ。
ああ、まあ・・ネットとエックスボックスまあある方式で。
ぎゃるがんとか、クソゲー(ほめてます)位は遊べる平和さで。
経済成長、便利な社会、距離の縮小、実は人間の退化なのかも。
もしくは人間の本質とは全く関係の無いことなの。
原子力発電 ・・・・ 31.2%
石油等 ・・・・ 10.2%
石炭 ・・・・ 22.2%
LNG ・・・・ 26.6%
水力発電 ・・・・ 9.0%
新エネ ・・・・ 0.4%
地熱 ・・・・ 0.4%
出典:2002年度実績(経済産業省調べ)