ニューコスモセンター

青森でコスモスというバンドで歌ったり詩書いてる人の痛々しい日々の挙動

紙のクリスマスツリー/2006年のライブレポート北枕ツアー

2013-11-30 03:34:46 | 過去エッセイ
紙のクリスマスツリー/2006年のライブレポート
瓜田タカヤ

2006年「北枕ライブ寛とふきたのヤーヤードー!」
前座コスモス、ボーカル千葉の雑感
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幼稚園の頃、家の庭に咲いたヒマワリと背比べをした。

母親が庭いじりをしていて、少し風の冷たい夏にそうした。
いくつかの細長い雲が、太陽を遮りその間外気は、
錆びたブランコや肉体に冷却を約束した。
小学生になってから、母親は消えた。

俺の子供が4年前の11月に、泣いた。
夫婦喧嘩で恐ろしくお互いを罵っていたのだ。

発端は子供の話なのだが、それは発端でしかなかった。
それ以外の様々な重い思いが、ストレスとしてあったのだ。

子供は何度も もうしないから、いい娘になるからと叫び、
大粒の涙をこぼした。
そのイノセントさを
少しだけ気にしながらも、怒りの感情の方が豪奢で、
物を蹴り、物が飛んだ。

その時、居間の小さな洋服ケースの上に置かれた厚紙の固まりが
華奢に床に落下した。
きっかけに
子供はパニックにごめんなさいと何度も叫び泣きじゃくった。
それはクリスマスツリーだった。

楽しい幼稚園などの、幼児向け雑誌の付録だ。

夫婦はお互いを、言い負かそうと必死に怒号中のさなか
子供は泣きながら、落ち、潰れた紙のクリスマスツリーを元の場所に戻し
いくつものキャラクターが印刷された星形を、一個一個拾い、元の形へ
直そうとしていた。

カミさんに切れながらも、とても心が痛かったが、
感情が怒りの斜面を快活に滑り落ちて行く事に手立てがなかった。
子供が一人だった頃の事だ。

何年かして今は
2番目と3番目の子供が産まれ、大変腕白盛りで(女でも腕白って言うかな)
家を散らかしたり、汚したりするアイディアは天才的だ。

時々その、あまりの狂乱の貴公子リックフレアーぶりに、嫌気がさし
俺とカミさんが機嫌悪くなってくる。

しかし上の子はそれを感じ取ると、なんとか楽しい雰囲気を保ちつつも
下の子のイタズラをやめさせようと、うまい感じで行動する。

俺はそれをみると、脳で薄く、紙のクリスマスツリーを思い出す。

あの一件の為に長女が学習した選択肢の取得方を、
決定づけてしまったような自責感に見舞われる。

5月14日、青森市のカフェバーアトムで繰り広げられたライブ
「三上寛とふきたの皮膚ネプタ祭トゥアー2006」は大変に良い感じだった。
個人的には演奏面や音の迫力は弘前の方が良かった感じで
二日目の方は、イベント全体としての完成度が高かったように思う。

青森では時間も押すこともなく6時半開演した。
エイト君(コスモスのドラム)の帰りの飛行機が8時40分発であったので
時間が押しては不味かったのだ。

一曲目「三部作」からイベントはスタート。
重めの変則的なリズムの曲、朗読の曲だ。
俺は、橋本が死んだ時の週刊ゴングを開き
適当に持ち込んだ椅子に座りながら喋る。

ステージを見回して、ライトを仰いで、音の内部への進入を試みる。
恍惚側に気持ちが混ざり始めるが、リーディングしていきながら
その感情を別の場所へ徐々に流し込む。

それは脳に残る記憶、カンブリア紀の環形動物の日常へか
小学生の頃の、桜祭りを歩いている感情へかへと移動したがる。

どっちでも良いし、どっちでも同じだ。
やりたいことは、万能感の所持だ。それがステージで自分を信じる為の保証なのだ。
まあそんな大げさには考えていない感じもするんだけど
なんか雰囲気的にはそうなのだ。

その儀式が終わってからの2曲目以降は大分楽だ。
怖いのは舞踏家の福士さんが入ってくることだ。
負けないように、うまく立ち回らなければならないのだ。
その結果上手くいくと、乗算で緊張感のある非常に素晴らしい空間になったりする。

曲目は1日目と2日目でちょっと変えた。

1日目は2曲目に「孤独なふりをする」という歌詞をライブ感のままに聴ける曲
(歌ったままの速度で意味が脳に入る曲、今回朗読抜けばこれだけ)を
コスモスの詩のセンスを知り得て欲しい為にやったが
2日目はそれをやらないで「電気ミシン」という曲にした。

ドラムのエイト氏が

「電気ミシンは、このメンバーになってからゼロからみんなで作った曲だからやるべ」
とガラにも無い事を言ったからそれにしたのだ。

曲順もライブのテンポをもっと速くするため
アコーディオン工藤氏の、
ギターとアコーディオンのチェンジが一回で済む曲順にした。

その結果、非常に良い感じにテンポ良くなって、
全体が締まって無駄が省かれた感じであったが
その分、体力的にキツイ曲が三曲並んでしまってそこしんどかった。
まあテンションで乗り切った。
というか、それくらいこなせる体力つけろデブ俺って感じだ。

最後の曲「ペル名」が非常に気持ちよく歌えた。
ちょっと音程取れていないところがあったんけど、
ドラムのエイト氏が感情高ぶってしまって、大音量で叩きすぎたために
モニターでボーカルの音聞こえなくなった。
って事にした。

最後の「カメラ下がれ」って盛り上がって歌う箇所で
スタジオ練習の時に何となく別のメロディーラインと歌詞でテキトウに歌ったのを
思い出して歌った。

俺にしてはベタベタな歌詞だったんだけど、んでしかも大分アドリブ。

それでも、あとからビデオでそのシーン観たら、ビジュアル担当角田君の
チョイスした絵図らが、電車の車席から撮ったと思われる映像で
水墨画的なエフェクトがかかった山々や海を越えていく映像でそれに合わせて

「夜の海を越えて、朝の靄を越えて、君の街を越えて
 君のいる夏の夢を見る。金の風を越えて、春の桜を越えて
 秋の枯れ葉を砕いて、泥水の中で出会おう。カメラ下がれ!」

という歌詞がはまって、狙ってたのか分からないけど、スゲえ空気感を
醸し出していて、お互いがお互いを増幅してその場所、その空間でしか
完成し得ない非常にミラクルな、磁場を形成していた。

トリの寛さんは空間を自分の物にしてしまっている。
命の測りや覚悟のようなものが、初期装備、すでに所持って凄味がある。
それは血だ。
津軽人の血がアンチではなく、もしくはアンチであるが故なのか、
その血が逆にコンプレックスを磨き結晶化しているような完成感。

不足感それ自体が美しい完成型として機能する、闇も含めた人間賛歌。
きっと西暦2345年になっても、狂信的なファンがいるであろう
歌もステージングも挙動も含めた、素晴らしい全て。
いつも自分の表現の先端を考えていくと
血とノスタルジックな津軽の形式を妄想する空間に至り
どうしても、寺山修司と三上寛を踏んでしまう。

それがそれで良いのか。それともネオナチ、じゃなくてネオ津軽的な
何か新しいレーゾンテートルに至り、演出して行く方が良いのか。
今後の課題。

寛さんと福士さんの絡みを観ているときに
「青森ってカッコイイナア!」と思った。

ライブ終わってみんなで飲んだ酒は本当に美味しいものです。
俺は「サッパリしたあ!」と何回も喋った。

タクシーで家に帰り、無理矢理カップラーメンを食ってみながら
カミさんとライブのビデオを観る。
カミさんが喜んでくれているのが嬉しい。
とりとめもない話をするのが楽しい。

大して大袈裟な、未来はいらない。
夜中にカミさんと、
どうでもいい楽しい話をもて遊べればいいのだ。
それは
それだけで古い欲望の感覚に
少しは満たされるからなのかも知れない。

アリの隊列、まぶしい日差しを受けた瞳が
自宅へ戻った時の暗く見える居間、
クッキーの匂い、瓶のコカコーラ、
ヨーヨーチャンピオンの赤いジャケット、

俺は
母親が居なくなった時から、何も変わって無いのかも知れない。

俺のやっている事はずっと同じで
不可能な事を試みているのだ。
過去の構築。
8歳の体感のリセット。
細長い雲との約束。
そうなのだ。

俺は いまだに泣きながら、

紙の
クリスマスツリーを
組み上げ続けているだけなのかも知れない。

チキンスキン2/2008年か7

2013-11-30 03:15:06 | コスモス音源映像
2008年1月 コスモス音源
チキンスキン2 まんぶるず

「ジョック」「ノーズ」「ヌンチャク飛行」

</object>

ノーズ

ノーズ
死体の山からあふれる何とかノーズ
変わらぬ町並み焦り出す何とかまーど
オマエは何とかうまくやる何とか
ラード
帰り道を引き返すヒート
ーーーーーーーーーーー
ヌンチャク飛行 98.4.13(詩作成日)

死んでいる俺と握力 あざのない君の美人が 
イチゴ食ってこぼしてシミつけた
その場限りのちいさな悲鳴 送信だけ背骨の振動
脚を蹴って口づけその場限りの愛でしょうといった

たいしたことないカマキリ風の未来感覚で
キュウリ折る力くらいで足の爪取った
かたまりの空そのままさを羽のはためきに重ねた
砂クキ食べて外の温度感を 眺めて 汗の服を着替えた

ヌンチャク飛行で
ぬめりぬめり人殺しの夢を見る
ヌンチャク飛行で
とおいとおい君に溶けてゆく

薄い絶望で
新しいゲームを買う夢を見る
さわれる表面に
君とこの世の忘却をこめる

どしゃ降りの空気雨が無言で俺をくわえる
 疲れた幸福は、動物を汚れていると言った。

デスヌンチャク飛行で
二人コロしてスタートする夢を見る
ヌンチャク飛行で
扉をつついて死を遮断するー

薄い贅肉で
煙でむせる彼女の髪を撫ぜる
さわれる表面に
君とこの世の感覚をこめる


狭い部屋

2013-11-30 03:06:41 | コスモス音源映像
2007年北枕ツアー コスモス 「狭い部屋」
</object>

狭い部屋

犬ぞりのシートで君の内部の事だけ考えてたよ
吹き上がる雪原 重く撓る冷却の羽音
恐怖の扉を開けろ君の叫び声が黒い雪を
溶かす世界を変える全ての化身を振り向かすから

アウーー!!黒犬の遠吠え虹の外側
剥き出しのアンドロメダまで鳴り響く命
湖の中には凍る太陽犬ぞりで踏み抜けたい
命はたどり着ける為につがわれた約束

お前の目玉が飛び出しそうになる
森林の中暗闇を求め舞い上がろうとする気球のように
膝を立てながら乾いた両腕を
羽のように掲げれば

アアア聞こえるかい
69兆の拳銃の引き金がすり抜ける音
アアア踏みつけた
氷の太陽まるで子供の血管のように走る

手首を必要以上に触ればどうかな
何も出来無くなっちゃうんだよな
見えない目と出来ない手どっちが良いかな
どっちも嫌かフフ
ロープを首にかけたらどうかな
灯油を髪の毛に染みこませたらどうかな
人肌の暖かいナイフを手に取ったらどうかな
膝掛けを巻いて紐みたくしたらどうかな
崖の高所で目を閉じたら

狭い部屋だから弱虫同士傷をなめ合おう
お互いを愛おしく思い慰め合おうよ
裸になって抱き合って何日でもキスをして
ご飯は俺しか食べないの君は食べないの

お前の頭は記憶を刷り込まれた
溶け消える枷に共鳴し
君は長い首を蒸し暑い宇宙にもたげた
筋張ったカラダは乾燥した野菜のように
可愛く華奢にチープにひしゃげていた

掃き溜めの集い終了!

2013-11-29 04:12:47 | コスモス音源映像
掃き溜めの集いお疲れ様でした。

煽り朗読係として楽しくやれました。
イベントの内容話もしたいのですが、とりあえず
頭の映像だけアップ。

詩もアップ。
掃き溜め猿さんの一曲目、鳥繋がりで意味が通るので、渡辺さんの詩も載せさせてもらいました。

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「0/1こんにちはマイコン/掃き溜めの集い」

1892年パスツールの白鳥の首フラスコ化実験において
生命(微生物)の起源を証明する実験が行われた

無処理の肉汁エキスを入れたフラスコを二つ用意し、
フラスコの首を白鳥の首上に変形させ、それを白鳥の首に入れる。

これを煮沸する、蒸気は白鳥の首を伝い外部へ出る。

首の部分に溜まったものはトラップと呼ばれる吐奢物となる。

煮沸しないフラスコでは腐敗が起こるが、
煮沸したフラスコは長期間放置しても腐敗しないのだ。

ただし白鳥の首を折ると、腐敗が起こるようになる。

この実験により生命の起源は、トラップと呼ばれる、
掃き溜め状の液体であることが見て取れるのだ。

明け方 本町ラブホテルの路地裏で
いつの間にか蒸発し太陽へ戻る反吐の蒸発
その途中からしか命は産まれないのだ、


0101010110110

雲がきれいで希望。夢をあきらめない。
しにいく死体袋にさよなら。生存したぼくら。

生命を連結する現象が
首肉を逆流し、世界へ吐き出され、背骨が痙攣する。
気持ちが悪い

終末の合図はまぶしい光
渇望とセックス以外で繋がりあう善意で、
その多幸感に吐き気ががする。

世界に善悪は無かった
32歳の妹が借金を苦にして自殺しても善悪は無い。

0.。1.。0.。1.。0.。。1.。4違う0・・1

現実世界。ここは完全にデジタルの世界。
ステージの上でもそっち側でも同じ。
ここは完全にマイコン世界。

希望が支配する暴力的な世界で、僕らは
精神の殺し合いを何度も試みる。

いつの間にか、美しい君も、震えながら消費され
皮膚がガサガサと音を立て死体袋に変わる

愛おしいものは生命をつなげるものでは無くて
薄い浅瀬の精神を繋げる様な者

人肉がうなずく行為まるで
軽薄な動機の
やさしい滑り出しのフェラチオのようなもの

君の愛しい時間軸のずれたヘッドバッキングが
精神の全肯定のように感じて
それ位の浅い身軽さのほうが人間の匂いがする

0...1....0...1

僕らが
高揚し、興奮し、目を見開き
象る歌声は 何か意味があるのだろうか

8時21分 今この時間

遥か遠い海上、氷山の水煙で虹が差す静寂に
ムカデの死骸が冷たく流れ
それを見つめるハエの裸眼が1000の
虹とムカデを意味無く見つめ宇宙と共鳴しているのだ

0...1.....1..1

さあ始まるよ。音楽ライブが
それは
殺しあわないやさしい歌が、世界を包むことを信じている
ロールプレイングゲームみたいな表現ライブがだろうか

覚悟はいいかい?
楽しいライブが始まるよ。

世界は面白いことにすでに死んでる

死んだ命は腐敗し、掃き溜めを作る。

この世界は完全にデジタル。

生と死。
0と1だけの世界。

何度も
折れた白鳥の首を元の場所にあてがったとしても
何度もかすかな音を立て
何度も平面に打ち付ける頭!

落ちる首束
ハンバーガーショップのダストボックスを
白鳥の首でみたせ!

ぬれた落ち葉を踏む 津軽の初雪を白鳥の首で満たせ!

幹線道路沿い市民プールの光よ
室内の水面を白鳥で満たせ!

ペパーミントグリーンのプロパンガスの
巨大なボールの内部を白鳥の首で満たせ!

希望ジャンキーどもよ!

横たわる白鳥の首が見えるか!
それは
手指から流れ落ちる世界そのものだ!

くたばりそこないのクソ芸術家どもよ!
何度でも飛びたて!
この世界を
お前らの首で満たせ!


0!1!0!1!0001!


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地上の鳥/詩 掃き溜め渡辺れんた氏

こんな果てにも
花は咲くんだね 雪を割って
花は咲くんだね 北極星を 
目指した鳥は 花を愛し 空を捨てたんだ

大空の記憶たちと さえずる声 
売り払って わずかばかり 
金をつかみ パンを買って 
君と暮らす

地上の鳥 
のろまな鳥 寒さ堪え 
羽根を売る 
雲を抜けた景色じゃなく
土が香る 君を愛した のろまな鳥

路上に立ち 待っている 笑われても 
待っている まだ遠い 春は遠い 雪が降る街で暮らす

地上の鳥 のろまな鳥 寒さ堪え 
羽根を売る  海を越えた 
異国じゃなく 君が暮らす 街で死ぬ

地上の鳥 のろまな鳥 飛び立つこと 
やめたのは その翼は 震える花を 暖めるだけでいいから
地上の鳥 のろまな鳥 僕らは 地上の鳥