グランハート

日常で精神世界を探究しています。精神世界とは誰もが持っている心の世界です。日々の気づきや学びについて書いております。  

グランハート(91~93)『公開授業〈9・今〉』

2022-08-28 17:27:14 | エッセイ

91 『公開授業〈9・今〉』①

7月24日に先生が下された言葉を、急遽ご紹介させていただきます。


『魂救済の祈り 』

汝死したり 。汝重き体を脱ぎ捨て、高天原へと、光の世界へと帰るなり。 神々のおわす世界へと帰るなり 。

○○の神よ、

神の導きによりていざないたまえ。

○○の魂の汚れを、諸々の魂の闇を清めたまえ 。

神の気高き光によりて、神の深き慈愛によりて救いたまえ。

天上の神々よ、この地上世界で迷わぬように。光の道を照らしたまえ 。

神の御使いと共に昇りたまえ。

神よ、救いの手を差し伸べたまえ。

魂の安らぎの地へいざないたまえ。

神よ、○○家一同、心より感謝申し上げます。


これが亡くなった方の御霊を神様の元へと還す祈りの言葉だそうです。( ○○のところは自分の望む神様のお名前や、個人のお名前、またその一族の苗字を入れてください。)

私は魂が神仏の愛の光でできており、肉体を持った時が地球での誕生であり、肉体を離れる時が死であるに過ぎないと学んではいるものの、いざ自分の親が亡くなった時にどうするのかということをまだ決めてはいませんでした。

納骨堂がお寺にあり、家にはお仏壇があるので、仏教でお葬式をすることになるということはぼんやりとは頭にあっても、その手順やもろもろの手続きなどは、今はまだ 禁句のような気がしておりました 。

けれど親も高齢になり、その時は着々と近づいております。ただ私が目を背けているだけなのです。

三次元的な儀礼は親族の手前、行うと思いますが、それも本当は場所や費用などを確認しておく必要があるというアドバイスを頂きました。本当にありがたいアドバイスです。

でも本来の御霊の救済とは、三次元的な儀礼ではなく、御霊が元の場所、つまりは神様の愛の光へと戻っていくことだそうです。

そのためには、遺族が愛を込めて上記の祈りを神様に捧げ、御霊を神様の元へお見送りすることが大切だということです。

大事な方を亡くされた時には、是非この祈りを捧げて差し上げて下さい。

私もこれを機に、できる準備をして心穏やかにその日を迎えたいと思います。


92 『公開授業〈9・今〉』②

続いて、肉体を持つものにとっての 「死」というものの本質を教えてくださる言葉です。


『死を越えて』

死は全てのものに訪れるでしょう。死とは身近なものなのです。

この地上世界で肉体を持つことは、色々な形で死はあることを意味することです。ですから、死ということは肉体を持つ以上、隣り合わせであると言えましょう。

色々な形で、ドラマで、映画で、死を怖いもののように見せています。それがあなた方の心の中に「死とは怖いものだ」と、知らずに埋め込まれているのです。

本来、死とは怖いものではないのです。

次なるステップの始まりであるのです。

自殺というものがありますが、これはその人にとって良いものではないのです。

この地上世界に生まれたということは、その人自体が学ぶべきものがあるからであるのです。

あなたがたがこの世界に生まれることで、あなたの中にあなたの持ち時間を与えられているのです 。その持ち時間を生かし、自由に選ぶことを許されているのです。

何故許されているか。この地球という星は魂の本質を学ぶ場だからです。

ですから「自殺したい」「死ねば楽になる」という考えは、危ういものであると言えましょう。

自殺まで来る場合、その人の心の状態は苦しみのど真ん中であり、自分自身を自分自身の心の力で思いで強く縛り続けている姿である。 すなわち自分自身を自分自身で強く呪い続けているものである。

そこで命を絶つことは、非常に危険な行為であるということです。あなた自身が作った迷いと苦しみの中で闇に包まれ、自らが誤りに気づかない限り、苦しみと迷いの中を生と死を繰り返す結果となるのです。

ですから自殺は止めることをお勧めします。

死とはあなたの心と魂にとって、密接な関係があるのです。死は、あなたの肉体から心と魂が別れを告げることでもあるのです。

あなたが苦しみ、欲、恐れが強ければ強いほど心は重くなっていくからこそ、闇に飲まれるのです 。闇に飲まれた世界を地獄というのです。

ですからこの真逆をすれば、あなたはその苦しみ多き世界から抜けることができるのです。

苦しみ多き人は知らず知らずのうちに闇を信じているのです。ですから私はあなたがたに『神を信じなさい、光を信じなさい。そして自分の心と魂を信じることにより苦しみから恐れから抜け出すことができ、肉体の死は次なるステップへ進む過程にすぎないということです。その死の先に神の国があり、そして未来へのステップがある。』と言えましょう。

人々よ、死を恐れるな。死は万人共通である。 この地上世界から、新たな世界へと進む分岐点でもある。あなたは1日のうちに眠ることで「仮の死」を体現しているのである。ただ呼吸が止まれば死である。全てのものには死は訪れ、その地上世界から去っていくだけである。

死を恐れるのは、あなたの心にこの変化していく地上世界への強い執着を持っているからである。その執着を手放すことで、死の恐れを超えることはできる。

これから多くの方たちが死を迎えることになるだろう。

その前にあなた自身の心と魂に触れていただきたい。そして自分自身の魂を愛していただきたい。そして心を整え、調和していただきたい。

死を見つめることで、その地上世界を生きる意義に気づくことが、あなたの人生の大きな課題であるのです。

これからの新しい時代を開くには、あなた方自身の内にあることに気づいてください。

あなたがたがそれに気づくことで、明るい未来は開かれていくのです。

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93 『公開授業〈9・今〉』③

いかがでしょうか?

今回は人の死に焦点を当てて、魂というものを説明してくださっています。

これを聞くと、人間にとっての死とは何かが分かる気がします。すると大切な人が亡くなるということがどういうことかが分かる気がするのです。

大切な方とのお別れは、とてつもなく寂しい寂しいものですよね。
私も祖母の死で体験しました。もう亡くなって20数年経ちますが、 いまだにふと寂しくなります。魂の仕組みについて学ぶ様になったからといって、すぐに割り切れるというものではないようです。

でも今回のこの『魂救済の祈り』を教えて頂いて、祖母について祈ってみました。思い浮かんだ祖母の顔は穏やかでした。山の神社社の側に立っていたのが、そこから消えて、次に見えた姿は金色の空気の所で大人数の中に加わり楽しそうにしておりました。

あれ?これってこちら側の行いや思いがあちら側に作用するということでしょうか?私が寂しかっただけで、本人が幸せに過ごしていればそれでいいのかもしれませんね。

本来のご供養とは御霊に楽になってもらうためのもののはずなのに、いつの間にか私達遺族の寂しさを慰めるためのものになっていたのかもしれません。

寂しさを抱えている方は、ぜひともこの祈りを捧げてみてください。

そしていずれ死を迎える私も、残された時間を生きる意義や、死ぬまでに心を整える意味を改めて考える良い機会になりました。

1日1日味わって、今のご縁の中で生き抜きたいと思います。

ご縁をいただいた皆様、本当にありがとうございます。