40 物が出てくる話 ①
失くした物がある日ひょっこり出て来たことはありませんか?
あちこちひっくり返して探していた時にはどこにも無かったのに、諦めた頃に思いもしないところから出てくるようなこと・・・
私は縫い物が好きです。いつも母から「針の数は必ず数えて、縫い針は糸を通したまま針山に刺しておきなさい」と厳しく言われていました。
ところがズボラな私は糸も付けずにいたところ、ある日縫い針が一本無くなっていました。出産前だったので、青ざめてしまいました。
赤ちゃんに刺さったらどうしよう!?三日間、家中の物をひっくり返して探しましたが、どこにもありません。
くたくたになった私は「どうか誰のことも傷つけずに隅っこでひっそりとしていてください。ごめんなさい、ありがとうございます。」と繰り返し言いながら泣き疲れて寝てしまいました。
目が覚めると、さんざんひっくり返して重ねた本の上に、糸を通した針がそっと置いてありました。
こんなおとぎ話のようなことが何度かありました。ポケットに入れた鍵が無くなって、数日後にはチャイルドシートの5センチ角の空洞から出てきたり。一体どうやって入ったというのでしょうか。
実は結婚指輪も数年間見つからず、引っ越し前の家で失くしたのかと諦めかけていた頃、気配をたどって今の家の予想外のところから出てきました。
また、忘れ物をして帰ると家にあったという話も聞きますし、体験したこともあります。
くーっ!面白いですよね!どういう仕組みか、とっても知りたいです!
まだ解明してはいませんが、キーワードは感謝です。そんなアホな、と思われますよね?
41 物が出てくる話 ②
物にまつわる不思議な体験で、一番幼い記憶は確か小学校2年生くらいだったと思います。
ある神社に親といとこ達と行きました。お堂のような所にボロボロの御神輿が置いてありました。多分修復をするためだったのでしょう。あちこち金箔も剥がれかけていました。
私は御守りにしようと、金箔を少しちぎってハンカチに包んでポシェットに入れました。帰りのバスの中でハンカチを開いて見てみると、金箔の欠片は消えていました。私はびっくりして、持って帰ってはいけなかったんだと心の中で謝りました。怖かったんでしょう、ずっと忘れられませんでした。
ただスピリチュアルを始めてからは、物質が消えるという不思議な体験として今でも記憶に残っています。
また、インドの聖人を訪ねた方に興味深いお話をお聞きしました。
ツアーだったのでしょうか。帰りの飛行機の中で記念品というのか、封筒を配られたそうです。
一人が開けてみると、中にはいかにも大量生産品といった聖人の写真の小さなバッジが入っていたそうです。
するとまだ封筒を開けてない一人が「そんな物もらっても仕方がない」と文句を言ったそうです。そこで私の知人が「開けてみて。あなたのは多分入ってないよ」と言ったら、慌ててその人は開けたそうです。するとやっぱり空っぽだったそうです。いらないと言っていた人はびっくりしてオロオロすると、知人が「心の中で失礼を謝って、もう一回開けてみて」と言ったそうです。その通りにすると、なんと今度は中にはバッジが入っていたそうです。
私は自分の体験からも、このお話しがとても印象的でした。物が出たり消えたりすることに、意識が関わるというのです。
物であるから尚更わかりやすい。でもこの事は、有形無形に関わらず、意識が現象に作用しているということだと思います。
そうだとすると、やはり結論は意識です。
能力云々いうよりも、どういう意識で過ごすかということが優先されることになります。
自分の中の引っ掛かりやわだかまりを手放して、いい波長に合わせること。
それこそが自分に起きる現象を良くする。つまり穏やかに健やかに楽しく生きることができる。これこそが私達誰もが求めていることではないでしょうか。
「そんなこと言われても現実は大変で、日々起きることで精一杯。心のゆとりなんて無い・・・」と思ってしまいますよね。私も初めはそうでした。
でも実はそもそもそこが逆なのかもしれない、と思うようになったのです。
42 物が出てくる話 ③
そういえば子供の頃、よく道路で金色の小さな物を拾うことがありました。おみくじなどに入っている金色の小さな七福神とかのあれです。形は様々ですが、習字教室へ行く途中の道路で何度か拾いました。
当時は汚いというより可愛くて、落とし主もわからないし、拾って持って帰っていました。特に疑問に思うこともなく、洗ってベッドの柱にセロテープでくっつけたりしていました。
先程お話した知人がその話をしたのです。その方がおっしゃるには、あれは現れているのだと。「急にキラッと光って落ちとるやろ」と言われるのですが、私は近づいたから落ちているのに気づいたんだろうと思いました。
するとその方が「実は昨夜も出た!」というのてす。洗面所で、真っ白いシンクに急に金色の大黒様が現れてとてもビックリしたのだと。何も無かったシンクの上に出たのだそうです。確かにあそこだとハッキリと異変に気づいたでしょうね。
さるインドのカーリーヘアーの聖人も、手から灰や壊れた時計などを出していたそうです。当時はそれが奇跡だとも、インチキだとも言われていました。壊れた時計などは地中に埋まっていたりして、落とし物、いわゆる紛失物を手に移動させて取り出したのだから盗んだわけではなく、象徴的に現したのだと説明された記事を読んだことがあります。
実際のところ、私にはわかりません。でも、おみくじの金のあれって、よく無くなりませんか?その時は嬉しくても、オモチャのようでぞんざいに扱っているのか、私はよく失くします。でももしも、別のどこかに現れているのだとしたら・・・
このお話が興味深くて、別の日に知り合いのおうちで話していました。すると、ダイニングテーブルの向かいに座っていた知り合いが、「それ何~?」と私の方を指差したのです。
出ました!金の大黒様です!まさしくおみくじとかに入っている金のあれです!
絶対に無かったはず!疑わしい私に証明してくれたのでしょうか?
正直私はその大黒様が欲しかったのてすが、その方のお宅で出た物ですし、その方も大喜びでいらしたので、もちろん泣く泣くお渡ししました・・・
そして数年後、全くの別件で「布の袋」が急に縫いたくて仕方がない時期があったのですが、それは七福神の布袋様の生き方をしなさいというメッセージでした。
するとうちの二階の廊下に、金のあれが出たのです・・金の布袋さまが・・
43 物が出てくる話 ④
最後にとても印象深いお話をします。
それはダイヤモンドが出てくる話です。例のインドに行った知人が言うのです。ダイヤモンドが出てくると 。
その方とその方の二人の 知り合いにダイヤモンドが出てきたというのです 。そのうちの一人が 、宝石店に持って行きました 。するとそれは地上ではなかなか見られない成分が入ったダイヤモンドだったそうです。かなりの希少価値で、とても高値で取引されるそうです。
業界では実際にそういうものがたまに持ち込まれることがあるそうですが、皆さん現れたのでしょうか?ワクワクしますね!でもその方は確認だけで、売らなかったそうです 。
すると二人目の方が売ろうと思って宝石店に持って行ったそうです。 するとその方の物はガラス玉だったとか 。
そして私の知人は調べなかったそうです。実際にその透明なダイヤモンドを見せてくれました。 結構な大きさでした 。
なぜダイヤモンドが現れるかと言うと 、ダイヤモンドというのは天国の砂なんだそうです。 天国の砂がこぼれてくると、それが私たちの世界ではダイヤモンドだということなのです 。
ステキですよね!天国の砂はダイヤモンド‼️
この話を聞いて、子供の頃田舎で聞いた話を思い出しました。
祖父の妹の家で、飼い猫がキラキラ光る物で遊んでいたそうです。それを取り上げると透明な石で、ダイヤモンドだったというのです。
運のいい話が他にもいろいろある人でした。あの人は本当に運が良くて・・という単なる噂話として記憶していましたが、知人の話を聞くと、ますますそういうことはあるのかもしれないと思うようになりました。
そしたら、そのお話を聞いた数日後、友人の家で、出たのです!・・・ダイヤモンド・・・?
44 物が出てくる話 ⑤
友人宅で現れたダイヤモンド?を見せてもらいました。透明度が高く、大きかったです。
でも結局は調べなかったのでわかりませんが、私はダイヤモンドだったらいいな♪と思っています。
友人は、ダイヤモンドが現れた日の前の数日間に友人宅を訪れた方々に電話して、ガラスや宝石が使われた洋服や装飾品を身に付けていなかったかを尋ねていました。うちにもお尋ねの電話がかかってきました。でも誰もそうした物は身に付けていなかったとのことでした。
それに見せてもらったダイヤモンドはビーズのような穴も空いていなければ、台座も付いていませんでした。何よりも未使用な感じの透明感が印象的でした。
ダイヤモンドかどうかは別としても、何かが現れたのは事実でしょう。
物が現れたり消えたりする・・・この事はとても象徴的です。常識ではあり得ませんよね。でも、私達が勝手にそう思い込んでいたのだとしたら。
有形にしろ無形にしろ、人々の意識が引き起こした現象とも言えるし、そうした現象が人々の意識に影響します。未来予知の時もそうでしたが、結局は意識が鍵だと思います。
そこで神様の言葉を思い出すのです。『世の中とは人ぞ』人々の意識の有り様で世の中が良くも悪くもなるというのでしょうか?
これはおそらくそうだとも言えるし、そうとは言い切れないとも思います。
少なくとも、個人の意識が上がれば、その人にとっての世界は幸せなものに変わるでしょう。それは必ずしも全体が幸せにならなければ幸せになれないとは限らないということです。
私は我が子と家族のために、明るい世の中になるための方法を模索してきましたが、結論は意識を変えるということでした。
そして意識を変えるとはどういうことかを模索する日々へと、突入することになるのです。