グランハート

日常で精神世界を探究しています。精神世界とは誰もが持っている心の世界です。日々の気づきや学びについて書いております。  

グランハート(52~56)『公開授業〈2〉』

2022-08-16 07:21:54 | エッセイ

52.公開授業〈2〉①

新先生の公開授業2回目です。まずは新先生の言葉をご紹介させていただきます。

 

『本来の心に立ち返る道』

人々よ、今多くの者達は、まだ大きな迷いの中にいる。

あなた方自身の心は、物の豊かさの中で止まっている状態である。

季節は移り変わり春を迎え、桜は満開を迎え花盛りである。木々や草花は、強く力強く新芽を称えている。

その美しさを目にして、あなた方はただ美しいで終わってしまうのか。表面的な、一時的な思いで終わってしまうのか。それともその美しさを心から愛で、全身で春の力強く新しき息吹を感じ取っているのか。

あなたはどちらであるのか。一方は刹那的である。一方は感性豊かである。

人々よ、刹那的生き方を止めよ。

刹那的生き方では、真の幸せを手にすることはできぬ 。その場限りの喜びは一時的であり、持続性に欠けているのである。

あなたが日々当たり前と思っている中に、本当の幸せが、喜びがあるのである。それを見出だすことが大事である。

人々よ、1日という時は同じではないことを知りなさい。

あなたが過ごす1日1日が未来を作り続けているのだ 。あなたが過ごす1日1日が喜びを作り、その反対の苦しみを作り続けているのだ。

自らの心を知ることが、自らの魂を知ることである。自らの心を知るということは、自らの生き続けてきた姿を見つめてみることである。

そこに今のあなたの幸せであるか、それとも苦しみの中にあるのかの原因があるのである。 そこに気持ちがない限り、苦しみの繰り返しである。

今までの中で、駄目な人間の姿を心の中に描いてきたのではないか。自分からそれが自分であると思い込んでいないか。

そのあたりを見ていくことで、大きく人生の幸不幸は変わっていくのである 。

人々よ、本当の自分の姿に目覚めよ。

今世界はコロナ戦争、災害やその他いろいろな苦しみの中にある。その中であるからこそ、その苦しみに流されることなく、自らの道を進んでいくことが大事である。

苦しみを受け、刹那的時代から、神の心の時代へと切り替えていく時である。

刹那的時代の流れに乗る者たちよ、悲しきかな。自ら破滅への道を歩み続けているのである 。その道は崩壊への道である。今からその姿を見ることになるであろう。

その中であなたはどう生きてるのかが問われているであろう 。

神の道とは神に向かう道である。 光へと進む道である。 自らの愛豊かな心を求める道である。 そこに安らぎと平和がもたらされるであろう。

苦しみの中に愛なし。喜びの中に愛あり。心の平安の中に、愛は生き流れ続けていくものである。

自らの心を救うことが出来て初めて、真の姿を取り戻すことができるのである。自らを救うことができて初めて、真に他の者達を救うことができるのである。これを真に愛に生きるということである。

人々よ、物事を冷静に見る目を持て。その見る目こそがあなたの明暗を分けることになるのである。それこそが心の目である。 あなたの中にも 神の目があり、それを見極める力があるのだ。

あなたの中の内なる神を信じよ。 それが真なる神と通ずるのである。あなたが自分を信じ、内なる神を信じ切った時、大きな変化をもたらすことができるのである。

その変化を奇跡というのである。

人々よ、純粋さとは、素直さとは何かを知りなさい。

純粋なる心とは光り輝く心である。明るく朗らかな思いそのものである。豊かな心は愛に満ち溢れる心である。その本質は素直な心である。

それに恐れがある場合 、そこが心の曇りとなり、闇を成しているのだ。 その心の闇は恐れから来ていることに気づき、 それを認め、 手放す事で消えていくものである。

自らに作り出している想いであることに気づいた時、それは力を失い、 消え去っていくことを知らなければならない 。

恐れが不幸を生み出しているのである。

素直な心は光を強くしていくものである。そこに透明感を生み安らぎをもたらすのである。

 

53.公開授業〈2〉②

いかがだったでしょうか?

今回はとても私達に近い目線の言葉ですね。 新先生は言葉を下ろされる時、その時々で、宇宙規模の大きな視点、私達に身近な視点等、いろんな立場に立っておられます。

どんな立場に立ったとしても、その底流にある仕組みや原理は同じだそうです。ならばその仕組みや原理を知った私達が、自分の日常に知恵として落とし込んでいければ、きっと生きやすくなるはずです。

つまり新先生は人々が真理を理解して活用していくこと、そのために言葉を下ろして下さっているのです。本当にありがたいことだと思います。この機会に何としても真理に近づきたいと思います!

今回はとても長い文章なので、四つに分けてみました 。
『①刹那的生き方を止めよ』『②自分の状態を知る』『③本当の自分に目醒める』『④本来の生き方とは 』
これが本来の人の生き方に戻る道筋なのだそうです。

では始めの部分から見ていきます。

『刹那的生き方』とはいわゆる物質主義だそうです。流行、消費行動や権威など、目に見える成果で物事を判断する生き方のことです。 そこに重きを置くと、権威に騙されたり、持ち物や成果などで優劣を争ったりしてしまいます。

そして自分の物差しを自分の外に置いているので、いつも心が翻弄されます。気が休まることがありません。

それは『その場限りの喜びは一時的であり、持続性に欠けている』からだそうです。

私も覚えがあります。 私は洋裁をしていたのですが、学生の頃「春夏のパリ・ミラノ オートクチュールコレクション」の写真が丸々一冊乗った本を買いました。 当時の私にとって高価な本でしたが、とても素敵で満足しました。 でも ロンドン、ニューヨーク、東京、そして今度は各プレタポルテコレクション、それが終わると次は秋冬の各コレクション・・・
次から次へと新しい本が出るのです。そして洋服の他に、小物や靴ヘアメイク、化粧品等々、情報は止めどなく流れてきます。
すぐにくたびれてしまいました。そして次々と生まれる流行を追いかけることの大変さ、虚しさを感じてしまったのです 。

流行を生み出す数々のブランド、その情報を発信するメディア、取り扱う販売店、購入する顧客と、その中で動く労力や時間、経済効果を思うと、1シーズンでも気が遠くなります。それが年に2回毎年毎年怒涛のように続いていくのです。

また私は作る側として、素敵な商品が短いサイクルで流行遅れのものになっていってしまうのが、とても寂しく感じました。

いえいえ、実際に携わる方々にとっては、どんどん脱皮していくように、 ブランドに永遠の命を吹き込んでいく喜びもあるのかもしれませんね。

でも私はのんびりしたいというのが実感でした。 だってただの読者として、ほんの少しその流れに触れただけでくたびれてしまったのですから。

その反動なのか、あまり流行を気にしなくなりました。めちゃ楽。
いいのか悪いのか今では人目もあまり気にならず・・・

恐れや思い込みが取れていくにつれて、どんどん楽になっていくのを感じています。

もし自分の中にひっかかりが出てきたら、その都度引っかかりの正体を見て解決するか、手放していく。その繰り返しです。

若い頃に病気を経験したことも関係あると思いますが、穏やかに健やかに過ごせることこそが、何より幸せだと思うようになりました。 それが『あなたが日々当たり前と思っている中に本当の幸せが喜びがあるのである』という一文です。

若い頃のよくわからない焦りも薄れてきたのか、今は本当に穏やかに健やかに過ごせることの喜びを感じられるようになりました。

 

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54.公開授業〈2〉③

次に『自分の状態を知る』ということについてです。
『1日1日という時は同じではないことを知りなさい』という一文ですが、これは「心次第で日々の過ごし方が変わる」ということでもあります。

日々をいい状態に持っていくには、まず今現在自分がどういう状態かを知ることが必要です 。それが『自らの心を知るということは、自らの生き続けてきた姿を見つめてみることである』ということだそうです 。
この一文は逆に読むと分かりやすいと思います。つまり『自らの生き続けてきた姿を見つめてみることが、自らの心を知るということである』と逆から捉えてみるのです。

今まで自分はどう生きてきたか。それは自分で向き合うしかありません。

真に満たされて生きてきたか。あるいは理不尽なことを強いられ続けてはいなかったか。 時代や環境が変わったのに、それにまだ縛られてはいないか、等々。

個々の環境や物理的な事情などは、人それぞれです。 すぐに物理的に変えられるものかどうかも分かりません。

でも心まで縛られてはいないか。自分で縛ってはいなかったか・・・

それが『今までの中で駄目な人間の姿を心の中に描いてきたのではないか。自分からそれが自分であると思い込んではいないか』という部分です。

過去に失敗や過ちを犯したかもしれない。そんな自分を許せなかったのかもしれない。でもいつまでもそこにこだわり続け、まるで自分がそういう人間だからと、自分で決めつけてしまってはいなかったでしょうか?

私はそうでした 。失敗したことやできなかったことが強く印象に残ってしまい、そうしたこと全てがいつのまにか自分の中で苦手なことに格上げされてしまっていました 。

また色が黒い、がっちりしているというのが自分の理想と違っていたために、劣等感となっていました 。でも今思うと「若さ」という、何にも代えがたい宝物を持っていたのに、それに気づけなかったのです。

そんなひねくれた過去の自分を責めた時期もありましたが、いくら悔いたところで時間は戻りません。
「 22『今何時?』の話」でも書きましたが、残りの時間を意識するようになってからは、今この時を味わうのに大忙しです!



55.公開授業〈2〉④

自分の状態を知ったら、次は『本当の自分に目醒める』です。
今の自分の状態を知って「今のままがいい」と思えばそれでオッケーです。でももしも、今の自分が実は辛い状態だと気付いてしまったら・・

福子さんとの会話の中にヒントがありました。
「一瞬で変われるって思ったらいいのよ~」とおっしゃいました。そこに波長を合わせていけばいいそうです。
私は「そう思っても、すぐにはそうはなれません」と抵抗しました。
すると福子さんは「何度もそう言い聞かせたらいいのよ~」と言われました。

なるほど。何度も言い聞かせる。

そして私はそれと「ちょっとしたこと」を実行することにしました。
例えば、いつも気になるところを済ましてしまう。
「階段のすみっこのほこりをほじくって取る」「ジュースの代わりに無糖炭酸を飲む」「お財布に溜まったレシートを整理する」等々。
ほらすぐに変われた!この満足感を感じながら、「ほら一瞬で変われた!」と言い聞かせる。

是非やってみてください。何でもいいんです。
私の一例はあまりにささやか過ぎますが、ささやか過ぎて案外後回しにしていたことって結構ありませんか?見る度に「後でやろう」と思って忘れるほど些細なこと。でも手軽にできて効果があります。

ここでのポイントは「行動すること」です。
頭の中でいくら理解した気になったり、イメージしたとしても、何か行動としてアウトプットしてみないと本当には分からないこともあります。
頭の中で思うことは、ただ夢想しているにすぎません。
是非是非何かささやかなことを行動に移してみてください。
満足感が桁違いです。食べた気になるのと、実際に食べるのとは全く違いますよね。

ビジネス本でもよく成功体験を積むというのがありますが、なかなか大きなチャンスは巡って来ません。
まずはささやかでもいいいいと思います。「ヤッター!」という満足感を味わいながら、「ほら変われた!」と決めポーズを取ってみましょう。
とっても楽しいんですよ。

そして新先生が教えてくれた方法もあります。
現在の悩みを紙に書き出します。それを三つに分けます 。
「①すぐに解決できる」「②時間がかかる」「③解決できない 」

そして①はすぐにやってしまう。②は動き出せるように準備をする。③は手放す 。これで悩みに立ち止まらなくても済むということです。

私もやってみました。 案外悩みは少なくなっていました。
大抵、①②③の悩みがごっちゃになってるんですよね 。
解決できない悩みは本当はわずかなのかもしれません。

そしてこの方法は、夢にも応用できるということです。
悩みは少なくして夢を実現していきましょう!


56.公開授業〈2〉⑤

新先生は 「これから2、3年は大変だ」とおっしゃいます。
だからこそ『本当の自分の姿に目覚めよ 』とおっしゃっています 。

なぜなら自分の物差しを自分の外に置く、つまり社会的な権威や世間体に左右されると、社会が不安定になった時に精神的に巻き込まれてしまうからです。

だからこそ自分の物差しを自分の中に置きます。
それは自分の価値観を持つということだと思います。

この先不安なニュースを聞いた時、情報として知っておいてできる準備をして、心にゆとりを持つこと。
そして同じ価値観の仲間と確認しあうということ。
世の中の動きに巻き込まれないためには、この二つがとても大切になってきます。

ここで公開授業〈1〉にあった、『私たちの魂が神仏の愛の光である』ということがポイントになります。

今回の文章を四つに分けた最後の部分で、『あなたの中にも神の目があり、それを見極める力があるのだ』という一文があります 。
いろんな囚われを外して行った時、私達も神仏の目線で物事を捉えることができるということです 。

それは言い換えると「日常の出来事を俯瞰してみる」という感覚です。
ごっこ遊びでもいいので、宇宙の神様になったつもりでこの世を眺めてみてください。少し目線が変わりませんか? この目線を変えてみるというのが、新先生が色んな視点から真理を書き下ろすことと同じです。

迷っている時、昔の旅人は夜空を見上げて北極星を探します。そして進むべき方角を決めたのです。
これも目線を変えて迷いから抜け出すということだと思います。
私にもこうした道標が必要だと思いました。だから新先生のレインボーイニシエーションを理解したい、それを皆様と共有させていただきたいと思いました。

知らなくても生きていけます。でも知るととても生きやすくなります。

これからの数年間、ご縁のある皆様と共に光の方へ歩んで行きたいと思います。