グランハート

日常で精神世界を探究しています。精神世界とは誰もが持っている心の世界です。日々の気づきや学びについて書いております。  

グランハート(84~87)『公開授業〈7〉』

2022-08-24 13:47:02 | エッセイ

84.『公開授業〈7〉』①

今回はなんと『地球の心』です!

新先生のお話の中で「地球の意識が次のステップに移行した」ということがよく出てきます。そこに焦点を当てた言葉です。
私も詳しくお聞きするのは初めてです。

では、まず先生の言葉をご紹介させていただきます。


『地球の心』

人々よ。私は地球。

私の中で育まれる魂たちよ、私は自らの次元を上げ全ての命を次の段階へと移行しています。

あなた方人類がこのまま進んでいくのでしたら、必ず滅びへと進むでしょう。
あなたがたは私を物としてしか見ていません。
私もまた星という生命体であります。大きな意識体なのです。

私はこの大宇宙から多くの者たちを受け入れてきました。
長きに渡り 、地球人類として成長を促してきました。 他の成長の進化も見守り成長させてきました。幾度となく、あなた方の傲慢を正してきました 。

あなた方人類はいつになったら傲慢なる思いから抜け出すのですか?

いつになったら欲得から抜け出すのですか ?あなた方人類は文明の発達とともに精神性を上げて行くのですか?

いつになったら大宇宙を統べる思いに気づくのですか?

今のままで行くのであれば、この地球も闇に飲まれ、宇宙の繁栄へと向かうことはできません。
ですから私も次なるステップに移行しているのです。皆さんにも意識を変えていただきたいのです。私の意識と心を通わせて欲しいのです 。

今の地球は古き地球となっていくでしょう。古き流れがその問題解消されるまで続くでしょう。それも一つの道でしょう。

今新しい地球も存在しているのです。エネルギッシュな地球が今あるのです。
どうか心を切り替え、私と新しい地球と大宇宙という大きな世界へと進んでいきましょう。
魂の大きな成長のために進んでまいりましょう。


85.公開授業〈7〉②

いかがでしょうか 。今回は『地球の心』ですよ!早速内容に入りますね。

『あなた方は私を物としてしか見ていません。私もまた、星という生命体であります。大きな意識体なのです。』

地球が大きな生命体だというお話は結構昔から聞いたことがありますが、当時は SF アニメのお話だと思っていました。

私は去年の荒れた年末を経て、神様とお話はするものの、何も作らずブラブラと日常を過ごしておりました。 ある日新先生との電話の中で『ライトワーカー』という言葉に強烈に反応して、ライトワーカーになりたいことをはっきりと自覚しました 。その後は何をしようかと模索しておりました。

すると3月下旬に対話が始まりました。
少しご紹介させていただきますね。


『私は理(ことわり)の母。天の理を地に撒いてる。』

ーー理とは天の理ですか ?

『さよう。人の作った理で動く世を糺す(ただす)為。』(*糺す・・・問いただす)

ーー糺すとはどういうことですか?

『天の理を人の世で行うためには、人が本来の生き方を取り戻すことが肝心だ。人が本来の理を知るならば、どちらを選ぶだろう?

人が決めるのだ。だがそのためには光を知らねばならぬ。
人は光を求めて集いくる。光の方へと歩みゆく。
今こそ示せ、光の意義を。』

『 生を整えよ。人にとっての生とは命の営みであり、生活である。
精神性が上がれば、最終的には食によっても他の命を奪わない形になるだろう。
命を奪うことは進化の過程とみなされる。だから神はその是非を問わない。懺悔し、悔い改めるのは人自身なのだ。
そうして人は悔い改め成長していく。

神が罪を問わないのは人が気づき、悔い改め、成長していくためである。その気づきを促していくのが、神と呼ばれる我らの務めである。
これより世は大きく問われるだろう。その時人々は光へと歩みを大きく進めるだろう。 』


こうしたやりとりが3月下旬から4月初旬に渡ってポツポツと続きました。

この理の母は私の作った『大いなる喜び』と『高次の宇宙文明』を組み合わせた時に現れました。

新先生に理の母についてお聞きしてみると、「ガイアやね。本来は惑星意識、宇宙意識よ。」と言われました。
私はふと疑問に思ってお聞きしました。
「ガイアとは地球ではないんですか?」

すると明快なお答えが返ってきました。
「自分たちが地球だけの認識しかないから、惑星といえば地球やろ 。でも宇宙に地球みたいな惑星は何個あると思う?」

「では地球も含めて惑星には固有の意識があるということですか?」

「そうそう。」「・・・・」

新先生とお話ししていると、何を質問してもさらりと答えてくださいます。どう表現すれば私が理解しやすいかと考えることはあっても、内容には淀みがありません。そしていつも壮大な視点小さな視点を自在に動かして教えてくださいます。

この やり取りがあって以来、地球が意識体だという実感がようやく湧いてきたのでした。

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86.『公開授業』③

地球が意識体であるならば、人間同士の争いや甚大な環境破壊などは、何をしているのか不思議でたまらないのだと思います 。

『あなた方人類はいつになったら傲慢なる思いから抜け出すのですか? 
いつになったら欲得から抜け出すのですか?あなた方人類は文明の発達と共に精神性を上げていくのですか?
いつになったら大宇宙を統べる思いに気づくのですか?』

疑問だらけなのは無理もないですよね。だって私達から見ても、人の社会の理不尽さは理解できない事がけっこうありますもんね。

私が出会った理(ことわり)の母は透明な金色の大きな女性で、柄杓で宇宙の光の泉から光を掬い取っては地球に撒いていました。
この滴を受け取った者達が気づき、目覚めて、周りにも示しながら成長していく人々なのだそうです。

おとぎ話のように聞こえるかもしれませんが、啓示を受けたりインスピレーションでひらめきを得るというのは、こういう仕組みではないかと思うのです。つまりみんなに降り注いでいるわけです。

それを何か特別な表現をしなくとも、街の広告やパン屋さん、農業、店員さん等々、日々の日常的なひらめきにも神仏の愛の光のエネルギーはすでにあちこちで生かされているのではないでしょうか。
だから人が心地よいと感じるお店や場所に人が集まるのだとしたら。それは人々が神仏の愛の光を感じ取っているということではないでしょうか?

そう考えると何も特別なことではありません。
神仏の 愛の光を受け取って表現する、それはきっと誰もが経験したことのある「いいこと思いついた!」ということだと思うのです。

だとすれば人々が幸せになる思いつきというのをどんどん実行していけば、明るく楽しい世の中になっていきそうですよね 。

ただし良くない波動も飛び交っているため、注意は必要です。
急にイライラしたり、ネガティブな感情が急に膨らむことがあります。
その時すぐに通り抜けていけば大丈夫です。でもいつまでもそうした感情を引きずるようであれば、何か自分の中に同じような感情や恐怖があるかもしれません。
それは気づいたら観察してすぐに手放してください。手放す度に楽になっていくので、落ち込むことなく「気づいてラッキー」と思ってどんどん手放していきましょう。


87.公開授業〈7〉④

『今の地球は古き地球となっていくでしょう。
古き流れが、その問題解消がされるまで続くでしょう。
それも一つの道でしょう』

公開授業〈6〉③でデパートの新館旧館の例え話をしましたが、この「古き地球」がまさに旧館なのです。

昔ながらの権力や利権等がなかなか手放せないということがあるのかもしれません。
でも今の建て増し建て増しの歪で巨大な建築物のような社会構造が、いつまでも保てるとは思えません。古いホテルや商業施設が旧館から新館へと移行していくように、一新されていく時期に来ているのではないでしょうか?

現にコロナ禍でビジネスの形態は大きく変わりました。また情報もネットが普及して選択肢が増えました。
いろんな可能性に人々が気づき始めたのだと思います。この流れはもう止められません。

『今新しい地球も存在しているのです。エネルギッシュな地球が今あるのです。どうか心を切り替え、私と一緒に 新しい地球と大宇宙という大きな世界へと進んでいきましょう。魂の大きな成長のために進んで参りましょう。』

少し前から「二極化していく」という言葉をよく聞きます。光と闇、3次元と5次元、幸せと不幸せ、色々な表現ができますね 。

宇宙的にはどちらを選んでも良いそうです。ネガティブな思いがどうしても手放せずに悪い方へと巻き込まれてしまったとしても、痛い目を見て学ぶということがあるからです。何度失敗してもやり直す。魂が不滅であればチャンスは何度でもあるわけですから。

でも私が肉体を持っている今の立場では、二極化していくのならば、やはり光の方へ行きたいです。皆さんはいかがでしょう?

ネガティブな思いを手放す時には嫌な自分を認める必要がありますので、かなりしんどいです。それが嫌で先延ばしすることもあるかもしれません。

でも実際に手放してみるとこんなに楽になるのかとびっくりしました。そして今となっては何であんなにネガティブな思いに執着していたのかがわからないのです。

ただ日々何かしらあるので、もやもやすることはあります。今は気づく度に手放しています。それを繰り返すことが光の道へと進むことです。

超能力や不思議な現象等は実は必要ありません。心を整えていくというだけなのです。

私も先生に初めて『法力』のお話をお聞きした時には、何だか拍子抜けしました 。『法力』とは、お釈迦様が大悟された時に得た『神仏の力』です。つまりは精神性を上げていくと現れる能力です。

実はここが大きなポイントです。超能力や霊能力があるから幸せになるわけではないのです。心を整えて磨き続けていた時に、自ずと幸せになり、個性に合う能力が開花するということなのです。

逆に安心もしました。なぜなら心を整えるというのは、誰にでもできる普通のことだからです。心を整えていけば日々を穏やかに健やかに過ごせるようになる上に、そのうち能力が開花するなんて素敵ですよね!

どう生きるかは私たちの選択です。今光の道はつながっています。是非ともみんなで新しい地球へと移行しましょう!

 

 


グランハート(80~83)『東京に行った話』

2022-08-20 12:41:19 | エッセイ

80. 東京に行った話①

数年前、福子さんと二人で東京のある神社へ行きました。
その神社は12月の冬至から節分までの期間限定で通称「金持ち札」というものを授与されるというので、その前の年にお誘いいただいて、初めてお参りすることが出来ました。私はあまり遠出をしませんので、ご縁をいただき本当にありがたいです。
そしてその一年間は新たな始まりの年となりました。ですから、二度目はお礼参りという気持ちでした。

でもこの二度目こそが私にとって大きな転機となったのです。

二度目は福子さんと二人でした。住んでいる場所が離れているので1回目と同様に、同じホテルに泊まれるように手配して、現地集合となりました。

私は前回と同じ一泊二日です。一度目は飛行機で行ったのですが、移動の時間が結構かかってしまったので、思いきって新幹線で行ってみました。
ツアーパックに往復3000円追加して、グリーン席に乗ってみました。
やっぱりグリーン席って楽チンなんですね!
乗ったら爆睡して、途中目が覚めたらなんと窓いっぱいに富士山のお姿が!そしてまた爆睡して次に目が覚めたら品川でした。乗車時間は長かったものの、まるで機内泊のようなお得感でした♪

東京駅にお昼過ぎに着きました。前回は皇居に参りましたが、今回は是非とも明治神宮にご挨拶したく、青山通りを歩いて行きました。

神宮内を歩いて行くと、途中に庭園があります。そこには「清正の井戸」というパワースポットがあるのを友人に聞いたことがありましたので立ち寄りたかったのですが、とにかく先ず本殿にお参りしなくてはと歩いて行きました。

するとようやく「南神門」に着きました。
一歩足を踏み入れると同時に太鼓の音が鳴り響き、ビックリして本殿に行ってみると、御神職の方々が何やら儀式を行われていらっしゃいました。
とにかく私も、今回ここに来れたことを感謝してお祈りしておりますと、『よう間に合うたの』と言われました。


81.東京に行った話②

南神門から一歩足を踏み入れた瞬間に太鼓の音が鳴り響きました。本殿にお参りすると『よう間に合うたの』と言われました。

どういう意味かわからず、近くにいらした警備の方に「今の儀式は何ですか?」とお聞きしました。すると「『夕御饌の儀(ゆうみけのぎ)』ですよ。おやつかな。午前と午後にあるんですよ。良かったですね。」とおっしゃいました。後から調べると、毎日朝8時と昼3時に行われているそうです。

ほー・・・何も知らず適当に歩いてきたのでなんだか嬉しかったです。

それから庭園を散策した後、また歩いて地下鉄に乗って、福子さんと新宿で合流しました。

福子さんとは住んでいる場所が遠いので、日頃はお電話だけです。お電話でもとても楽しいのですが、一緒に街を歩くと本当に楽しいです。良いこと探しがお上手で、ドラッグストアでさえテーマパークのようでした!

一緒に餃子を食べて、ホテルでお茶して、翌日は早朝から金持ち札をいただきに長い長い行列に並びました。この間もずーっとおしゃべりしていたので、楽しかったです。

無事に神社でお参りし、お札をいただいた後は境内の縁起物屋さんを見て回りました。去年と同じ売り場の方ともお会いできて本当に楽しかったです。そのお隣のお寺でもお札をいただき、その門前の「幸せの銀杏」をいただいて、仕上げは通りの向かいの天婦羅屋さんで朝食です!

私は一度目の朝にも皆さんと一緒に天婦羅をいただいたのですが、「朝から天婦羅を食べれるだろうか・・」と思ったものの、本当に美味しくてビックリしました。いかに日頃は自分の生活圏の中で、決めつけて過ごしているんだなあと思い、『朝天婦羅』という新しい発見にウキウキしたのでした。

だから二度目ももちろん天婦羅です!
めっちゃ美味しかったのはもちろん、そのお店で、何十年もその神社に通うおばあちゃんにお会いしました。
福子さんはその場にいらっしゃる方々とも気軽に交流されます。そして思いがけないお話が聞けたりするのだそうです。
たった二度お参りした私も、おかげさまでそのおばあちゃんに出会えました。長い時間行列に並ぶので、お札をいただいた方々全員がまるで戦友?のような気分です。大先輩とご一緒できて、ますますご利益を授かった気がしました。

その後、浅草、スカイツリー、柴又に行きました!

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82.東京に行った話③

天婦羅をいただいた後は、浅草をウロウロしました。そこで私はガチャガチャをしました。神田明神の提灯でした。欲しいものと違ったのでちょっとがっかりしていると、福子さんが「明かりを照らすからね~」とおっしゃってくださいました。とたんにハッピーになりました。帰って調べてみると、なんともありがたい神田明神の提灯でした。大感謝です!

次に「スカイツリーに行ってみよう!」となり、タクシーで移動しました。まだ見たことなかった私はタクシーを降りてびっくりしました。
そしてスカイツリーの売店で福子さんが小物を買うと、とっても素敵な紙バッグに入れてくださいました。それはもうとても賑やかな可愛い紙バッグで、福子さんにとってもお似合いでした!

それから寅さんの町に行くことになりました。このスカイツリーから柴又への道中、福子さんが次々とハッピーを見つけます!
スカイツリーの駅は「押上」です。そこからしばらく乗って、「高砂」で降りて金町線に乗り換えます。
「はなさん、押し上げよ~!」「わー!金町線!押し上げて金持ちになるよ~!」
福子さんといると、どこでもハッピー祭りです!本当に「いいこと探し」がお上手で、とても勉強になります。

柴又に着くと、さすが寅さんの町です。子供の頃、居間で親が観ていた寅さんシリーズをチラチラ程度に見ていた私ですが、柴又駅の寅さんとさくらさんの像を見ると感激しました!そしてあのお団子屋さんも、映画のセットみたいでまた大感激!
とどめは奥のお寺です。道路を掃く源公さんと寅さんのやり取りや、すらりとした御前様のお姿がが目に浮かびます。自分で思っていた以上に寅さんの実家風景が意識に刷り込まれているのにビックリしました。寅さんシリーズの凄さを思い知ったのでした。

福子さんとの楽しい道中もあっという間に終わってしまいました。福子さんは飛行機、私は新幹線でしたので、地下鉄での解散となりました。本当に楽しかったです!

そして私は浅草橋のビーズ街で材料を買って、ちょっと早めに東京駅に行きました。日が暮れて明かりの灯った東京駅は本当にロマンチックで、赤いドレスとタキシードを着たモデルさん達のポスター?の撮影などもあっていました。もしかすると結婚式の前撮りかもしれませんね。

それから皇居の公園の方に行ってみましたが、だいぶん暗くなってきたので、駅に引き返していたところ、パッと辺りの雰囲気が変わりました。急にイルミネーションが点灯したのです。「何?」と不思議に思い、大通りから一本細い通りに行ってみました。

すると、光の大洪水!!たくさんの人々が光の大洪水の中に集まっていたのです!!


83.東京に行った話④

皇居に向かう大通りから一本細い道に入るとそこは光の大洪水!!クリスマスイルミネーションの歩行者天国でした。この時期にニュースやドラマでよく見る、あれです!

私は「冬至」ということしか頭に無かったので、びっくりしました。それに1回目は飛行機でしたので、帰りに夜の東京駅には寄らなかったのです。

まさにサプライズ!半ば呆然として歩いていました。すると、そこにいる方々皆さんがとっても楽しそうです。もちろん私も夢の中にいるようでした。

歩き回って少しくたびれて、外のテーブルに座ると言葉が来始めたので急いで書き取りました。

『光溢れる通りに人は集まる。光を灯すと人は心暖まる。
光を下ろせ。光を下ろせ。
自ずと人は集まり、流れに沿っていくだろう。
理屈でなく、理想でなく、ただ己の心の向くままに人は歩み続ける。
闇の中でも明かりが灯れば、人はそちらへ行く。

明かりを灯せ、光を下ろせ。人の心に明かりが灯る。
責めるな、責めるな。人は迷い子。しるべの方へと歩み行く。
光を下ろせ、光を下ろせ。自ずと人は来たり来る。』

『人は皆それぞれの事情がある。皆一丸というのは実はとても難しい。けれどもそれを嘆くのは早い。己の役目を果たすのみ。』

ーー間に合うのですか?

『それはわからぬ。しかし、ずれることは致し方なし。ずれたらずれたでまたその先へ。』

ーーそれでうまくいくのですか?

『流れに任せる。見届けるまで。その都度、形は変わっていく。
それが人の求めた形である。本当に急ぐというのならそのように動くであろう。よいか、形は人が決めておるぞ。大勢の総意である。(あるべき形へと)呼び掛けたとて動くか否かは人次第。
人の世とはそういうことぞ。(形を)決めているのは人だということだ。』

ーー作って渡せなかった物はどうすればいいですか?

『今ではないということだ。形が変わったのなら、変わったようになるだろう。それをどうこういう必要はない。初めと違う形になろうと、それがその形ということだ。形はいずれ作られる。流れに任せよ。』

メッセージを受け取るようになって、どうして世の中が混乱するのか尋ねてみたりもしました。
神様はメッセージはくださるものの、いつも見守ってくださっています。それが正直、じれったく感じることもありました。

でも今回『人の総意である』という言葉を聞いて愕然としました。神様から見るとそうなるのか・・決して見捨てていらっしゃるわけではないのですね・・・いつでも神様は人の自由意思を尊重してくれます。それが例え破滅の道であろうと、ということです。

でも同時に『人は光の道へと集い来る』ということも伝えてくださいます。それが『光至の光』です。
希望も示して、どちらを選ぶかは人の意思に任せるということなのです。神様の御心を理解するには遠く及びませんが、今回何となく今までの疑問が解消されました。

一泊二日の東京旅行は始まりから終わりまで、何とも不思議で楽しく、感慨深い旅でした。滅多に遠出しない私の大切な旅の思い出です。


グランハート(76~79)『公開授業〈6〉』

2022-08-19 07:24:11 | エッセイ

76.公開授業〈6〉①

改めまして、公開授業〈6〉に入りますね。
まずは新先生の言葉をご紹介させていただきます。


『神の子 光の子』

死を恐れるな。この世に生まれるということは、あの世の死である 。この世の死というのは、あの世に生まれることである。

肉体という重しを取り去ることでもある。
本来の姿へと帰っていく過程である。
単なる通過点に過ぎないことを知りなさい。

人々よ、自らの心を大切にしなさい。
心とはあなたの意識の器である。
その器があなたの中にある。 それはあなた自身である。
肉体が自分であると強く思い込むことは、本来の自分自身を見失うことである。肉体で見る世界は小さな世界である。

全ては変化していく世界である 。それを自分自身のものとして止めようとして、苦しみを産んでいるのである 。これが今の現実社会の姿である。

今一度、自分の内なる意識に目を向けることが大事である。その答えはあなた自身の内なるあなたに与えられているからである。

人々よ 、人を裁く心から離れよ。苦しみの中には常にあるものである。
裁く心が強ければ強いほど、あなた自身も不幸を生み出し続けているのである。あなた自身も知らず知らずのうちに裁いているのである。
 自分自身を裁く心は自分自身を責める心であり、他人を裁く心は人を妬む心であり、自分自身も他の人達も不幸へと向かわせるものである 。

人々よ、自分自身を認め愛せよ。他の者達を愛せよ。

自らに心に秘めている苦しみを他の者に話しても、あなたが答えを得ることはできないであろう。お互いに苦しみを口にすることで、一時的に安心を得たように感じているだけである 。
実際には苦しみはあなたの中に残っているのである。苦しみの原因は自分自身の心にあることを知るべきである。

その原因はあなた自身の不満であろう。
こうしてくれない、ああしてくれない、こうあるべきだ、あああるべきだという不満が、いつもあなたの心に渦巻いている状態であろう。また一方ではこうしてやったのに、ああしてやったのにという思いもあるであろう。
これは自分に対しての不満であり、また他の人に対して不満を内に秘めているからである 。その内に秘めている奥に自分は害されている、嫌だ、怖いという思いが深く強くあるからである。
恐怖心である 。そこに多くの者たちは気づいていないのである。そのことに自分自身が気づいた時、いかに自分自身が不幸を自分自身で産み続けていたかが、自らを暗くしているかが分かるであろう。

だからこそ、その真逆こそが幸福へと向かう道である 。
人々よ、明るくあれ。与えられていることに感謝せよ。神に感謝せよ。あなた方には全て与えられているのだ 。
あなたが不幸と思えば不幸となり、あなたが幸福と思えば幸福になるのである。
何時まで不幸を引きずっているのか。表面的には幸せになりたいと言いつつ、いつまで心の中で不幸を握りしめているのか。
もうそこから抜けよ。もう次なる時代は訪れている。心を切り替えよ。
日々の生活の中に幸せあり。幸せと不幸せは背中合わせぞ。自分自身の心の中が幸せと思えば明るくなり、自分自身の心の中が不幸だと思えば暗くなる。それが真の道理ぞ。

世は今大きな変動期にある。その中であなたの日々の思いで結果は大きく違いが現れる 。
人々よ、神の心に立ち返れ。素直な心を取り戻せ。
素直な心に神は宿り、あなた達を助けることができるぞ。 何があろうと救われるのだぞ。
心を知り、魂を解放せよ。
新しき地球へと移行せよ。
それを成すはあなた自身である。

この地球というガイア意識も、次なるステップに移行していることを知れ 。

自らも心の波を沈め、安らぎを求めよ 。そして全ては与えられていることを知れ。
あなたが心から求めてきたものは、あなたの内にある。そして神はいつもあなたの内にあるのだ。
良きことは喜びへ、間違いは傷へと思いのあり方で全て変わっていくのだ。変えていけるのだ。
あなたが神の存在を疑えば疑うほど、迷いは大きくなり、苦しみは強くなるのだ。

神は光である。全てを表しめる光であり、愛である。
人々よ、内なる光を解き放せ。
光はあなた方一人一人にも秘められている。そして地球もその中にある全ての存在にも秘められているのだ。
その中であなたが内にある光に目覚めた時、あなたが目にする全ては輝きに満ち溢れている。

内なる神とは光である。

自分自身が光の存在であることを知れ。真に光に目覚めた時、あなたの苦しみも痛みも癒されるであろう。そして真の神、始源の神と繋がるであろう。

人々よ、この地球の新たなる意識の変化に合わせて行け。古き流れに別れを告げよ。
時とともに大きく変化を遂げ、時間も早まっているのだ。その流れを止めることは何者にもできないのだ。全ての神の意思である。
この地球の全ての宗教の本道もここにあるのだ。

神の子としての力を発揮する時が来ている。新たなる未来を開いていくのは光に目覚めたあなた方である。
この地球の全ての空間は変化を終えているのだ。後はあなた方一人一人の心の目覚めである。
苦しみの中に、迷いの中にまだいるのであれば、次から次へと苦しみは大きくなっていく。あらゆる問題があなたを襲うであろう。

一日も早く神の子であることに目覚めよ。


77.公開授業〈6〉②

いかがでしょうか?

初めの部分は公開授業〈4〉『死から生へ 生から死へ』と一緒にご紹介させていただいた部分です。

そしてそれ以降は「不幸とは何か」「幸福とは何か」「どのように生きるべきか」ということについて、かなり詳しく説明されています。

死を語るときは常に「生き方」が問われます。なぜなら「何のためにわざわざ肉体を得てこの世に生まれてきたのか」という問いでもあるからだと思います 。

その問いの答えは今までの公開授業でも語られてきたように、いろんな体験をしながら学び、成長するためです 。一つ一つの魂の成長が、宇宙の成長、完成へと繋がっていくということでした。それを示すため、今回も死と生についての説明があり、生き方についても説かれています。

不幸がどういう仕組みで生まれるのか。
その仕組みを知れば、実は不幸を止められるばかりでなく、幸福へと向かっていくこともできるというのです。 そして同時に幸せになる心の在り方も説かれています 。

『人々よ、明るくなれ。与えられていることに感謝せよ。神に感謝せよ。あなた方には全て与えられているのだ。 あなたが不幸と思えば不幸となり、あなたが幸福と思えば幸福になるのである。』

『心を切り替えよ。日々の生活の中に幸せあり。幸せと不幸は背中合わせぞ。自分自身の心の中が幸せと思えば明るくなり、自分自身の心の中が不幸だと思えば暗くなる。それが真の道理ぞ 』

一見言葉遊びのように見える表現があるとしても、実は言葉通りです。
これは私も神様の言葉を聞く時に経験しました。 一見言葉遊びのような、象徴的な例え話のように感じる表現が、実はその言葉通りだったのだと、数年経ってようやく近頃になって分かるのです 。
複雑に捉えていたのは私自身です。それは私の中に雑多な思いがあるからなのです 。
先生にも「複雑にしとるのは誰~?」と笑いながら言われます。
私自身です、はい・・

真理というのは実にシンプルだそうです。
そして大きい視点で見ても、小さい視点で見ても、視点を変えても筋が通るのです。決して矛盾しないのだそうです。(私は金太郎飴を連想しました。どこから切っても金太郎!確かに!)

先生の言葉を皆様にご紹介する時に、まずは自分が理解しなければなりません 。完全に読み解くまでには至らなくとも、何かとっかかりはないかと自分の目線に置き換えるのですが、いつも私なりに読み解くことができます。それはまさに、大きく見ても小さく見ても視点を変えても、決して矛盾しないからだと思うのです。

皆さんもぜひ、新先生の言葉をご自分の目線に置き換えて読んでみてください。

また新先生もヒントとして分かりやすく、例えば蜘蛛の巣や草花の仕組みなど、身近な例で示して下さいます 。ふと見渡すと日常の中に本当に散りばめられているのです。それはこの日常も宇宙の仕組みの中に存在しているからです。そう考えたら確かにそうなんですよね 。だから新先生は「日常の中でたくさん教えられてるとね 。気づいてないだけよ。」と言われます
事の大小で見誤りがちですが、それが同じ原理が働いているということなのだそうです。

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78.公開授業〈6〉③

『新しき地球へと移行せよ』という一文が、とても印象的でした 。

実は2018年の8月に、常葉の命(トコヨノミコト)と名乗る神様に同じことを言われていたのを思い出しました 。会話の一部をご紹介させていただきますね 。

『今は山と山の間の谷(平坦部)と言える 』

ーーこれから始まるのですか?

『始まる』

ーー何が、いつからですか?

『秋から大移動が。』

ーー大移動とは何ですか?

『意識の問題だ。同じ場所にいて分かれる。人はそれを天国と地獄という言い方をするの。いい目と悪い目』

ーー秋から何が始まるのですか?

『そなたの求めてきた世界への移行が始まる。 それは知るということ。手掛かりが集まるだろう。教えてくれる人や伝手が現れる。互いにすり合わせる。知らないことを知るということ。これが意識の移行となる』

ーー常葉の命の願いは何ですか?何のために語りかけているのですか?

『(移行を)望む者に望むものを与えること。何も制限はない。ただ通路が合わなかっただけ。』

ーー私が(移行を)望まなかったら?

『ならばここ(通路)にはいまい。望むように行い、望むように成る 』


実家から家に戻る新幹線の中でのひと時でした 。

わかりやすくイメージで言うと、デパートの旧館と新館です。渡り廊下のあるフロアでないと、新館には渡れませんよね。アセンションとは、この渡り廊下のあるフロアに上がるということなのだとしたら。そのフロアまで上がりさえすれば、あとは渡るも渡らないも自由です。
中には人の流れにつられて、思いがけず渡ってしまう方もいらっしゃるのでしょうね。でも知ろうが知るまいが、渡ってしまえばそこはパラダイス!きっともう旧館に戻る人はなかなかいないでしょう。
中には古き時代に執着して逆らう人もいるかもしれません。それも実は自由です。たとえ旧館が取り壊されてしまうとしても 。

この出来事の翌年の5月に、福子さんが新先生と運命的な出会いを果たされました。そして私もその年末に合流させていただく運びとなりました 。本当にありがたいです。

新先生によれば、地球のガイア意識は次のステップに移行しているそうです。ですからそれに逆行する意識は存在しづらくなっていくと思います。神経を逆撫でされるような感じでしょうか?
私もそうした不快感を感じることがあれば、その原因を観察します 。すると自分の中のネガティブな感情に気づきます。 そしたらそれを手放します。
すぐに手放せる場合と、長引く場合とあります。
でも気づけことが重要なので、早いか遅いかはあまり関係ありません。
手放せばそれだけ自由になれます。この爽快感を味わうと癖になります。
階段を丁寧に拭き上げた時の快感に似ています。(いつもはクイックルワイパーです・・)

気づく度にどんどん手放して、みんなで新しい地球に移行しましょう!


79.公開授業〈6〉④

『真に光に目覚めた時、あなたの苦しみも痛みも癒されるであろう。そして真の神、始源の神とつながるであろう。』

新先生の言葉を聞かれて いかがでしょうか?よく意味がわからなくとも、そうかもしれないという気がしませんか?
私も初めはそうした感覚的なものでした。
『始源』や『天之御祖神様(あめのみおやがみさま)』という言葉を知ったのは新先生と出会ってからです。だから知識はありませんでしたが、強烈にもっと知りたいと思いました。新先生は惜しみなく教えてくださいます。
この惹かれるという感覚、あるいは不自然な反発という形かもしれませんが、何か思ったり、つい読んだりするというのなら、神仏や始源のご存在を感じていらっしゃるのかもしれません。

まだ感じない場合は、とりあえず自分の中の恐怖やネガティブな思いを取り去ってみてはいかがでしょう?楽になるのはもちろん、心が軽くなる と思います。それだけでも幸せになれます。
そして厚いカーテンを開けるが如く、心の中に光が差してくるような感じがすれば、神仏のご存在を感じられるかもしれません。
やってみて決して損はありません。ぜひ!

『苦しみの中に、迷いの中にまだいるのであれば、次から次へと苦しみは大きくなっていく。あらゆる問題があなたを襲うであろう。一日も早く神の子であることに目覚めよ。 』

これは決して私たちを脅かしているわけではありません。今現在の社会情勢を見ても、既に世の中は不安なニュースでいっぱいです。
だからこそ、そこに私達の意識が巻き込まれないように、神の子であることに目覚めよと告げてくださっているのです 。

新先生によれば、これから2、3年は大変だろうということです。ですから一人でも多くの方々が巻き込まれずに幸せになるようにという、神様の思いを伝えて下さっています。
私もご縁のある皆様とともにこの大局を乗り切って、新たな地球へと移行したいと思います!

 


グランハート(74・75)『公開授業〈5・今〉』

2022-08-18 07:15:27 | エッセイ

74 公開授業〈5・今〉①  


公開授業〈5〉は、急遽新先生が7月9日に下ろされた言葉をご紹介させていただきます。

『あなたが選ぶ未来』
人々よ、今のままで良いのか 。
あなた方にとって本当に幸せと言えるのか 。
今大きな大きな引き潮が限界点となろうとしている。未だ多くの者はそれに気付かず、大きな見えぬ津波に飲まれようとしている。
もう時はない。もう時はない。
その波は全てを飲み込み、全てを崩壊させていく。
あなたが耳を傾けず、無視してきた結果である。真剣に神の言葉を受け止めなかった結果である。 そのあなた方の思いが、考えが、闇を強くし、今に至るのである。
あなた方の身勝手な思いの現れである。
あなた方の身勝手さが、あなた方の自分本位な思いが、この美しい地球の調べを壊してきたのである 。
まだ多くの者は、今まで過ごしてきた時に帰れると思っている。その希望も打ち砕かれるときが来ている。
あなた方に神はいつも手を差し伸べて来たであろう。それを笑ってきた結果である。
もう時はない、悔い改めよ。
後がない、悔い改めよ。
神に目を向けよ。神思いに気づけ。あなたの心にいつも呼びかけているであろう 。
今まで積み上げてきたものが消え去る前に、真なる自らの心を開け。
固く閉じた心を開け。
今まさにあらゆる災いが降り注がれている。そのことに気づけ。生き方を変えよ。
いつでも神は助けの手を差し伸べている。
それを掴むのも、掴まないのもあなた方自身である 。
崩壊という足音が、あなたの足元まで来ている。あなたがしっかりとした心の柱を持たない限り、その波に飲まれ、苦しみの中で全てを失うことになる。
我が声を聞け。そして自らの心を捉えよ。
本来の神の子としての心を取り戻せ。
あなたがここに生きようとしても、それは縛りを多き世界。
あなたがその縛りをして晴れ渡る心に変えた時、あなたの世界は光に満ち溢れ、あなたの空間は輝く。
我の言葉を信じ、光へと、神へと向かえ。
真の豊かな未来があなたの前に現れるであろう 。

いかがでしょうか?
今、世の中は騒然としています。慢性化しているコロナ禍や戦争、日常の不満・疲弊に加え、つい先日の通信障害、そして真昼の凶行・・・
荒れた波動や不穏な空気で溢れています 。
その中で暮らす私達に向けての神様の思いを、新先生が急遽言葉として書き下ろしてくださいましたので、皆様と共有させていただきます。

ただ書き起こしていて思うのは、やはり私たちの思い、考えについて『改めよ。光へと、神へと迎え。』という内容はずっと一貫していらっしゃるということです。
以前の記事にも書きましたが、私も神様からかれこれ18年間『光の方へ』と言われ続けています。これは太陽の光のように、私達みんなに降り注がれているのだと思います。
ただ言葉として受け取るかどうかの違いで、分かりにくいこともあるかもしれません。また目の前のことに翻弄されて気づかない場合もあるかもしれません。
でもここで一度立ち止まって、新先生の下ろされた神様の言葉を読んでください 。
これは決して不安を煽るものではありません。何故ならすでに世の中は不安になっています 。ですから、世の中の不穏な空気に巻き込まれないようにとの言葉なのです。

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75 公開授業〈5・今〉②


ポイントは以下の三つです。

『あなたが耳を傾けず、無視してきた結果である。真剣に神の言葉を受け止めなかった結果である。』
『 いつでも神は助けの手を差し伸べている。それを掴むのも掴まないのも、あなた方自身である。』
『あなたがその縛りを捨て、晴れ渡る心に変えた時、あなたの世界は光に満ち溢れ、あなたの空間は輝く。我の言葉を信じ、光へと、神へと向かえ。真の豊かな未来があなたの前に現れるであろう 。』

これは日常でも同じような光景に覚えがありませんか?親や先生、先輩方が注意したことを軽んじて、とんでもない失敗をしてしまう。自業自得。
でも反省してアドバイスを受け入れて、やり直す。そして失敗を経験に活かし、成長していく。

こうした成長を、魂は何万年というサイクルでやっていくそうです。肉体を持つか持たないかの違いでしかないので、基本的には私達と同じなんですね。
ただ、今の私達は肉体を持ち、物理的制約の中で有限の時を過ごしています。だからこそ、新先生の言葉の中で神様は、今回の人生で幸せになる方法を教えて下さっています。

この言葉を新先生からお預かりした日の夜寝る時、私は何とも言えない気持ちで、でもすべきことをしようと思いながら床に就くと、神様の言葉が来ました。ご紹介させていただきますね。

『言いたいことはわかる。だがこれは争いではなく、選択である。レインボーイニシエーションを世に託せ。人々が今の精神性でどう選択するのか我も見ておる。我はここにいる』というような内容でした。(朝書き留めましたので正確ではありませんが。 )

人の世は人々の選択なのです。啓示やインスピレーション、自然現象等、いろんな形で人々を促すことはありますが、最後は人の自由意志が尊重されます。それが滅びへ向かうとしても、です。

私はいつも不思議でした。神様が人を我が子だと慈しむのなら、どうして首根っこを捕まえてでも良い方向へと向かわせないのかと。
でもこれは私の勘違いでした。実はそうするのです。神様もまた厳しい一面を持ちなのです。ただ時間の概念が人間とは違うので、何もしないかのように見えるとしても、神様にも見守り育む時期、懲らしめる時期というのはあるようです。

神様は私達人間が、自分で気づき成長するのを待っておられるのです。
なぜなら肉体を持つ持たないにかかわらず、魂の成長を通じて宇宙の成長、完成させていくのが目的なのですから。そういう意味では失敗もまた成長の糧になるため、失敗さえも見守るというわけです。

でも今新先生を通じて、こうして私たちに伝えてくださるのは、選択肢を与えるためだと思います。意識を変えて成長していこうとする人々には、その道筋を示してくださっているのです。

 

いかがでしょうか?私が今回新先生からお預かりした言葉について、精一杯伝えさせていただきました。

実は7月8、9日と私はイライラしていました。10日の午前中に新先生からご連絡をいただき、ようやく落ち着きを取り戻すことが出来ました。新先生が「巻き込まれとるとね~」と言われました。ふう・・・まだまだですね。

『思い一つで自分の日常を光溢れる世界へと変えることができる』という真理をどう捉えるかは、皆様の自由です。疑うも良し、ダメ元で試すも良し。これこそが『あなたが選ぶ未来』です。

パンドラの箱がすでに開いているのだとしたら、私は『希望』を掴み取りたいと思います。

時節柄どうぞご自愛くださいませ。

 


グランハー(57~59)『ある絵画の話』

2022-08-17 10:13:13 | エッセイ

57.ある絵画の話 ①

今回は作品に念がこもるというお話しです。

念のつく言葉はたくさんあります。
「信念」「執念」「思念」「念力」「念仏」「情念」「怨念」等々。

とにかくたくさんありますね。
「念」の意味は「思考や感情をはじめとする、心中に抱いているもの。あるいは心の働きなどを広く指す言葉。」だそうです。
どうりで、いい意味にも悪い意味にも使われる。その人の心持ち次第というわけです。

作り手の思いが作品にこもることがあります。
遠い昔に作られたものが長い時間を経た今でも力強く存在している例はたくさんあります。仏像、文学、絵画、美術品や骨董品、例を挙げればキリがありませんね。
作り手の思いでもあり、それを観賞する側の思いも上乗せされていたりして。

インスピレーションで作ることとはまた別の分野だと思います。
インスピレーションで作る時は、むしろ自分の感情は入りにくい気がします。また、完全な形を表した場合も色褪せることは無いように思います。
創造とは本当に奥深いものだと思います。

ともかく作品に作者の思いがこもる、この事を深く心に刻む出来事がありました。


58.ある絵画の話 ②

それは十数年前、まだセミナーに行っている頃でした。

ある時、友人の家にもう一人の友人と遊びに行きました。
いつもは1階で過ごすのですが、その日は初めて2階を見せてくれました。
彼女の家には2階にお風呂があるというのです。私はどのおうちもお風呂は1階にあると思い込んでいたので、びっくりしました。すると「 2階に行ったことなかったっけ?」と言って 、2階に連れて行ってくれ ました。

階段の途中で 、 夏だというのに 背筋がゾッとしました。 気のせいかと思って いると 、降りる時もやはり同じ場所で背筋がゾッとするのです 。
それを友達に言いました 。私は何度か行ったり来たりして確認しました。 やはり同じ場所でいつも背筋がゾッとするのです 。
その上を見上げると壁に絵がかかっていました。 それは冬景色の風景画でした。教会に雪が降り積もっています。上手ですが、 とても寒々しい絵でした。

友人の好みとはあまりにも違うので、 どうしてこの絵を飾っているのか聞いてみました 。すると数年前に新築のお祝いで 旦那さん側のおばさんがこの絵をくれたと言うのです。 本当はその絵が好きじゃないけど、 おばさんは近所に住んでいるので、 来られた時に飾っていないと気まずいということでした。 それでなるべく気にならない階段の壁に飾っていたのでした。
でもいい感じはしません。 そこで私達はその絵を外して観察してみました。

結局理由はわからないけど、やはり何か良くないという結論になりました。友人もその絵が元々好きではないので、その絵を供養して手放すことに決めました 。供養の場所や日取りが決まるまで 、その絵をどうしようということになりましたが、もう友人も元の場所に飾る気にはなりません。

とにかく何か布で包んでおいたらいいんじゃないということになりました。すると友人が 気に入って買ったのに一度も使ってないテーブルクロスがあると言いました 。まさにその絵のために買ってあったかのようでした。

その日はその絵を包んで解散となりました。
そして数日後、友人から絵の素性がわかったと電話があったのです。

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59.ある絵画の話 ③

あれから数日後、 友人から 絵の素性が分かったと電話がありました 。
その絵について考えていた友人は、額の中に手紙があるのがイメージで見えたそうです。
どうしても確認したくて、思いきって 額を開けてみたそうです 。するとそこには 手紙は無かったものの、キャンバスの裏におばさんの名前宛と 絵を書いた方の署名があったそうです。

色々話を合わせると、なんとおばさんに好意を寄せた男性が おばさんのために描いて贈った絵だったようなのです 。それを受け取ったものの 、おばさんはその方の思いは受け取れず 、でもその絵を処分することもできずに、甥の新築祝いとして友人宅に贈ったのではないかということでした 。

友人は自分がイメージで見た手紙の意味がわかった、当たったと大興奮で話してくれました。
つまりその絵は 言わばその男性がおばさんに宛てたラブレターだったに違いないと。

そして友人はおばさんに事情を話して 返すことになったそうです。
おばさん宛の絵を頂くことはできない、そしてその絵をどうするかはおばさんが決めるべきだと言っていました。

これでようやく新築してから何年もの間、いやいや飾られていた絵は、本来の持ち主の元に戻ることになったのでした 。

そして友人の家に遊びに行くと 、その絵を包みから出してリビングに立て掛けているというのです。もうすぐおばさんに返すということでした。
ところが私はリビングに入っても、あの絵がどこにあるのかわかりませんでした。「ここあるやん」と言われて、私ともう一人の友人はその絵を見て 愕然としました。

私達にはその絵は冬景色に見えていました 。
ところがその絵は本当は全体に黄色い菜の花に包まれたような、とても明るい春の絵だったのです 。私と友人は 狐に化かされたようでした。
変な話、当たり前すぎて何が描かれているかについて話し合ったことがなかったのです。初めて見る絵について、自分の見えている絵が実際の絵と違っているなんて考えるでしょうか?私達はお互いに何度も二人で確認しましたが、やっぱり今まで見えていた絵では冬景色でした。

もちろん、飾っていた友人にも色などを説明して確認しましたが、最初からこの春の絵だと当然のように言いました。

その絵は友人宅に追いやられて悲しかったのかもしれません。だからゾッとするような寒々しい冬景色に見えたのではないでしょうか?
今でもたまに思い出す印象的な出来事でした。