五十路男の失敗日記

生涯独身男の青春の挽歌

ガーネット伝説

2009年01月12日 | 雑記
最近あまり触れていませんが、こんな私でもネガティブハートに
ロックオンなんです。
1月は私の生まれた月。もっと楽しく過ごせばいいのに、悪い事が
起きやすいのも1月なのは皮肉か。

先週、バスに乗って駅前に用事に行ったんですが…
バスに乗った直後、「あ、何か嫌だな」と思ったら案の定
持病の『パニック障害』の発作を起こしてしまいました。
すぐに服薬しましたが、抑えられず…。

ここに書いていないだけで、私はかなり頻繁にパニック発作を
起こしてます。先週のもそのひとつ。

波状攻撃のように襲う動悸・吐き気、もうこのまま帰宅も出来ない
のではないかという恐怖。仕方なく、駅前広場のベンチに座って
薬が効いてくるのを待ちました。
こういう場合は、人目など気にしないでしゃがんでしまうか、
イスがあれば座るのが一番良いのです。駅のホームでふらついたり
したら非常に危険です。

落ち着けば発作は治まるわけで、とにかく落ち着けと自己暗示…というか
念仏みたいな感じで唱えてました。
自己暗示をかけるアドバイスもいただきましたが、これがなかなか
難しい。試行錯誤の連続です。

もう28年ほどこんな症状に悩まされているのに、いまだに慣れないとは
情けない。。

「そんなの気の持ちようで何とでもなる」
「怠けてんじゃないの?」
「治す気あんの?」
私から去っていった友人たちは皆、こういう捨てゼリフを残した。

悔しくて悲しくて辛くて、心がぼっきりと折れた。
思えば小学生の頃からキ●ガイ扱いされて、両親にも悲しい思いをさせました。

「気の持ちよう」とか言う人も、発病すればとても気の持ちようだ
なんて言っていられないほど苦しみ、慌てるはずだ。
余程理解のある職場でない限り、社会的にはほぼ終わりです。
外見からではこの病気に罹っていることがわからないのが辛いところ。
発作を起こした患者を見た人なら、「この人は本当に病気なんだ」と
理解すると思う。

でも、私がここまで患っているのは、やはり治す努力が足りてないから
なんだろうな…。元友人の捨てゼリフも、完全に間違ってはいないように
思えて、自己嫌悪も激しくなります。

20数年前の初期に、気のせいだと思って適切な治療をしなかったのも
長引いてる原因かも。でも当時は、この病気の研究も進んでいなかった
と思うので、仕方が無い面もあるかと思う。

私の人生って、何だったのだろう。
高校も大学も、その後の生活も全て病気の思い出がついて回ります。
楽しい事も沢山あったけど、そこにも必ず病気の翳が蝕んでる。
私には、生きている価値が無い…絶望の果て、最悪の事態も起きた。

だからといって、落ち込んでばかりもいられないのです。
昨日より今日、今日より明日が大事なんだ。
発作が起きたからって、クヨクヨなんかしていられない。
華の30代を、自分なりに楽しく生きるんだ。

病気とは、上手く付き合って行けば何とかなるなる!
私の人生を死が断ち切るまでの間、なるべく笑顔で過ごしたい、
そう願うばかりなのです。