シアター・オルガンほか、鍵盤楽器の名手バディ・コールの名を聞くと、未だに心拍数が上る…気が。昔バディのオルガンは良いと聞き、輸入盤専門店で探すも無く、ジャズ人名辞典にもその名は無く、手掛かりが見つからず途方に暮れていた頃を思い出すので。
彼は若くして… というか若干14歳にして、ロスアンジェルスでシアターオルガン奏者としてデビューしますが、シアターオルガンは、30年代半ばに無声映画がトーキーに代わった事で廃れ、多くの奏者は失業の身となったそうですが、ここで時代が味方。
1934年のローレンス・ハモンド発明のハモンド・オルガンがそれで、多くの奏者はオルガン奏者などに転進、ハモンド社も一気に奏者が増えwin-winの関係となったようです。
バディ・コールもハリウッドに移り、スタジオ・ミュージシャンとして自らのトリオを結成し、ビング・クロスビーやロズマリー・クルーニーなどの伴奏を務め、また映画関係の仕事でも活躍し、巨匠ヘンリー・マンシーニに重用されたそうです。
左の「SWING AROUND ROSIE」は、ロージーの歌をバディがオルガン伴奏した1959年の盤。キレの良いバディのオルガンと少し鼻にかかった様なロージーの可憐な歌。バディのオルガンが目的で買ったのですが歌も気に入ってます。私はカムバック時のロージーしか知らなかったので、若い頃のジャケットも新鮮。いまさら失礼な話ですが。
中央は58年から60年にかけての4枚のアルバムを収めたCD。先に触れたように、独身時代の「一食抜いてもレコードを」の頃、一生懸命探しても見つからなかった彼のLPがCDの時代となり、手頃な値段で聞けるのはとてもありがたい事です。
仕事の成功からか、元からリッチだったのか?はわかりませんが、60年代に彼は、自宅にシアター・パイプオルガンを建て※ます。他人様の懐を勘ぐるような下衆な話で申し訳ないですが、建てるのに二年を要したといいますから、費用は多分「億」単位でかかったのではないか?と。※オルガンは建築物と一体のため設置では無くビルドと言います。
自宅にオルガンを持つ富豪はアメリカにはそれなりにいるそうですが、雑誌「LIFE」の取材を受けた音楽家は彼くらいでしょうか?そして1963年にワーナーから発売されたこのアルバムが、そのオルガンのお披露目となります。
一般住宅というハンディからか録音に二ヶ月とあり、当時としては珍しく(多分)レコーディング・エンジニアの名前が記されていますので、かなり大変な作業だったのでしょう。
苦労の甲斐がありその音は、まるでヘンリー・マンシーニのオーケストラを聴く様に流麗な、シアターオルガンの魅力がたっぷりと堪能出来る一枚です。その音の見本として、有名なトーチソング、「春はここに」を挙げてみました。
完成したオルガンを前にして、満面の笑みをたたえていたバディ・コールさんですが、このアルバム発売の翌年、1964年の今日11月5日に心臓病で亡くなられたそうです。亡くなられてから今年でもう60年も経つのですね。
愛するオルガンとの日々は短かかったのですが、こうしてアルバムが残され、半世紀も経った今でも、遠く離れた離れた島国のオヤジが、あなたの音楽を愛聴していますよ…と、天国まで伝わると良いですね。
以上は、旧teacpuブログ「バディ・コールとオルガン」(2018/12/15)に加筆し再掲載したものです。