daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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岸千恵子/津軽あいや節

2024-12-09 | 音楽つれづれ

私が社会人デビューした頃はカラオケが無く、宴席の唄は手拍子のアカペラ。「お前も何かやれ」などと言われると、ポップスかフォークしか知らない私は大変困ったのですが、ベテランの皆さんは手拍子に合う民謡などで、上手に場を盛り上げていました。

あの頃はまだ宴会でも耳にし、のど自慢などでも唄われていた民謡ですが、今テレビで目にする事はあるのでしょうか?民謡は心のふるさと… などと昔はやっていましたが。

90年代あたりまではまだ時々やっていたはずで、岸千恵子さんはそれで知りました。今日はその "揺さぶる民謡" で親しまれた岸千恵子さんの命日。70歳を前に亡くなられてから、もう13年も経つのですね。

ワールド・ミュージックの流れに乗り、シェブ・ハレドやジプシー・キングスなど、コブシの回った"血の濃い音楽"を聞き始めた頃、たまたまテレビから流れたのが岸千恵子さん。そこで興味を惹かれ、彼女と浅利みきさんだけはレコードがあるのです。

全身をウェービングさせ、魂を揺さぶる「津軽あいや節」を歌っていた彼女に"シビれ"ると同時に、土の香りのする音楽も血の濃い音楽も、外国に求めるまでも無くすぐ足元にあったのか!… と。でも聞くのは津軽と沖縄・奄美くらいとごく限定的なのですが。

祖父の出身地の岐阜や中部圏の唄では無く、津軽民謡を懐かしく感じるのは、海を隔てても土地も暮らしも近かったし、更に私は北海道の太平洋岸の育ちなので、山脈を隔てた札幌の放送より、海を渡る青森の放送がよく届き、時々聞いていました。

土曜の午後だったと思いますが、おばあちゃん(多分)による生の津軽弁トーク番組があったのを、懐かしく思い出します。昭和30年代終わり頃の話でした。育った土地の浜言葉も東北弁に近く、そのアクセントに土の香りを覚えたのでしょう。

我が家を離れ 深山で炭を焼く 山小屋暮らしも幾月と わが子思えば涙が… と、じわっと滲みる「津軽よされ節」は、前回の炭焼き小屋の話の続きみたいになりましたが。

正月はハレの日、そんな日に歌われたら気分が良いだろう「南部俵積唄」や、畑一面にりんごの花と、雪国の春の喜びが歌われる「津軽じょんがら節」。歌詞はその時代に合せ変ってゆくのだろうけれど、津軽の生活につながる歌詞と歌声が好きです。

最初に興味惹いた「津軽あいや節」を、もう一枚の浅利みきさんと聴き比べると、豪快に塩辛声でぐいぐいと揺さぶる岸さん。少し控えめで可憐な少女のような声の浅利さん。私にはお二人がいてこその津軽民謡でした。

歌謡曲を歌う岸さんは守備範囲外だけれど、津軽民謡を歌う彼女はとても魅力的でした。浅利みきさんはというと、既に岸さんの三年前に亡くなられていて、今は他の歌手に手を出す気も無く、私の津軽民謡体験は大御所二人で終わってしまったのですが。

以上は2011年に旧ブログ、teacupの「津軽あいや節/岸千恵子」に加筆したものです。

 

参考まで:岸千恵子さん「津軽よされ節~千恵っ子よされ」のトーク・ライヴ映像です。