daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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村の教会でクリスマス礼拝

2024-12-23 | 故郷の話

今月二度目の北海道開拓の歴史村、この日は村の教会で10年振りにクリスマス礼拝に。 

クリスチャンでは無い私ですが、この教会は私の故郷にあったもの。浦河郡荻伏町(現浦河町荻伏)にあった元浦河教会で、献堂が明治27年(1894年)と今年で築130年。ほかには浦河支庁庁舎(上左)もあり、この二つが故郷につながっている感じがし懐かしいのです。

教会の煙突をサンタさんが上っています(上右)。子供の頃「サンタさんは煙突から入って来るのよ」と聞かされ、子供心にもあの細い煙突からどうやって?と心配しましたが、この日ようやく謎が解けました。北海道仕様のサンタさんは妖精サイズだったのですね。

建てたのは「赤心社」の人々。彼らは岡山県人や兵庫県氏族士族などで設立された開拓結社で、北海道殖民状況報文根室国・日高国によると、「同年十四年、 廣嶋兵庫ニ懸ノ士民、五十餘名ヲ募リテ移住セシム」とあるそうです。

開拓を学ぶため招いたエドウィン・ダンやクラーク博士はキリスト教徒。 その教え子内村鑑三や新渡戸稲造も洗礼を受け、そんな縁からか?、キリスト教を信仰する人たちが中心となった開拓団が、浦河、今金、浦臼、北見などに入植したそうです。

その中心となった人々は、メイフラワー号でアメリカに移住したピューリタンに憧れ、わが身を重ね合わせ自身を鼓舞したとも言われます。

気候も異なる北海道の開拓には、精神的な支え=信仰と考え直ちに草小屋を建て、平日は子供の教育に充て、日曜日は安息日学校として講話を開いたとあり、そうして明治19年に教会の前身となる「浦河公会」が完成。

讃美歌の流れる外は開拓地そのもので、まだあちらこちらに立木や切り株が残っており、木の作で囲われた中に農耕のための牛や馬が草を食んでいたとあります。(※浦河百話より) 入植しまだ15年程、住いは掘っ建て小屋にもかかわらず、心と教育を大事にしてきた。

日曜学校を開き、昭和初期には「その辺の小学生はみな通っていた」と言われるくらい、拠り所となっていたそうです。そして子供達の一番の楽しみはクリスマス会。「遠くの子は家族と一緒に馬橇に乗ってやってきた」とも。

夏場の馬車鉄道に代り、降雪期は馬橇が村を走っています。きっと当時の子供達もこんな様子で、胸を弾ませながらやって来たのでしょう。まばゆいクリスマスツリー、サンタに扮した牧師からのプレゼント、さぞ忘れられない思い出になっている事でしょう。

 

さて、クリスマス礼拝は13時より始まり、蝋燭への点火、聖書の一節の朗読と続きますが、話の内容をしたためた大きな紙もあり、目と耳とで確実に伝えてくれるのですね。

賛美(まきびとひつじを)~お話とお祈り~賛美(きよしこのよる)~賛美(もろびとこぞりて)ときて、この程度の曲なら3度や5度のベタなハーモニーなら付けられるか?と、そっと小声で試したのですが… 私はやっぱり、音楽は聞くだけにしておいた方が良さそうです。

そして祝祷~オルガンの後奏で終了。それにしても、かなり古いオルガンと思われるのにいい音がしていました。後で見せていただくと YAMAHA ORGAN HAMAMATSU と古いロゴの入った9ストップの物。

お聞きしてみると、蝋燭立が無いので昭和に入ってのものでは無いか?との事でしたが、リードも風袋もしっかりしているみたい。時々だけど調律も頼んでいるそうだからまだ現役で頑張れそう。頑張れ100歳 (推定) のオルガン。

少しこじつけっぽいのですが、本日のBGMはフォレスターー・シスターズの「森の教会」を。

※入植時の話などは、旧taecupブログ「村の教会でクリスマス礼拝が」をリライトしました。