ザ・ドリフターズと言えば昔「ラストダンスは私に」の日本語カバー (どうぞ踊ってらして…) がヒットした割に、当時の知名度はイマイチだった気が。その後「いかりや長介とドリフターズ」が人気となり、ザ・ドリフターズの話をする時「じゃない方の… 」と前置きが必要でした。
正統派J・カントリーだったドリフターズは、何度ものメンバー交代・リーダー交代を経てコミック・バンドに転身し成功をおさめ、私もその頃は大笑いして見ていました。
頻繁なメンバー・チェンジは、グループである以上よくある事のようで、1950年代に結成され、一時期クライド・マクファーターを擁し、全米R&B部門1位の「マニー・ハニー」(1963年)のヒットなどで人気のあったザ・ドリフターズも同様に色々あったみたいです。なによりアメリカでは徴兵でメンバーが欠けたりしたようですし。
クライドの独立などで人気降下となっていた事に業を煮やしたマネージャーは、まったく違うグループ「ファイブ・クラウンズ」(右下)を連れて来て、このグループをザ・ドリフターズとして丸ごと差替えてしまったそうで。
これが当たり、ベン・E・キングがリードをとった「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」は久々のR&B部門1位を取り、全米チャートも2位の大ヒット。その後も「ダンス・ウィズ・ミー」や「ジス・マジック・モーメント」などのヒットを飛ばし、ついに「ラストダンスは私に」で全米ポップ・チャートの1位に。
その後リードがルディ・ルイスに変わり「アップ・オン・ザ・ルーフ」など、アトランティックのレイバー=ストーラーが作り上げた"風のトンネル"とも呼ばれる流麗なストリングスとも相俟って、ヒットを飛ばします。
64年にはもう一人のリード、ジョニー・ムーアが「渚のボードウォーク」を歌い全米4位に。以後14週チャートに残った大ヒットで、その4位に立ったのが今日8月22日。
Out of the sun We’ll be having some fun We’ll be making love Under the boardwalk…
欧米では海岸に板張りの遊歩道が多いそうで、熱い日差しを避けイイことしない? 愛し合おうよ ボードウォークの下で… と、何とも羨ましい青春賛歌(?)でした。
でも、明るい内容の恋の歌の割には少し翳りがあるような歌声と思ったら、当初のリードはルディ・ルイスだったのが、当日の朝になってルイスがホテルで亡くなっていて、急遽ムーアがリードをとり、そしてメンバーは悲しみにくれながらレコーディングしたそうです。※アトランティック・リズム&ブルース1947-1974 Vol.5より、ロバート・ブルーナー。
そう聞いてからこの曲を聞くと、なにかちょっと切なくも聞こえるのですが。
以上【聞きたい365日】第381話でした。