好きな方には申し訳ないですが、演歌が大の苦手であのメリスマや唸り方がどうも…。シェブ・ハレド※とか、ジプシー・キングスなど”血の濃い歌”には、濃いメリスマが付き物だと、頭では理解するのですが。※アルジェリアの歌手です。
でも、昭和の歌謡曲あたりはそう嫌いではなく、一家団欒の中心がテレビだった頃は、歌番組も家族で見ていたので、好きと言うより、その想い出も含め懐かしいのですが。
テレビ以前の曲でも懐かしく思い出す歌があって、それは母が歌っていた歌謡曲。特によく歌っていたのが「港が見える丘」で、これは平野愛子の昭和22年の大ヒット。きっと母の青春時代の想い出につながる曲だったのでしょう。
いつもの中古漁りで、この曲が入っているので買ったのが、「青江三奈ブルースを唄う」というアルバムで、「星の流れに」などの昭和歌謡曲に、彼女の歌唱力がマッチした良い内容でしたが、とりわけ気に入ったのが、ここで初めて知った「白樺の小径」という曲で、これを先日散歩した白樺並木で、ふと思い出しました。
この曲は昭和26年に淡谷のり子が歌ったそうで、私は青江三奈でしか知らないのですが、レコーディングに際し彼女が、「この曲好きだわぁ」とふと漏らしたそうで、そんな思いも詰まってか?のブルージーな快唱で、私にはこのアルバムの白眉でした。
青江三奈は、当時人気のあったグループサウンズ(G・S)に翳りが見えて来た60年代後半にデビュ-し、森進一と共に"ため息路線"として売り出され人気歌手となりましたが、この売り出しは、G・S殺しという使命があったそうで、音楽評論家の小西良太郎氏が、ビクターのIディレクターから聞いた話として、音楽番組の中で語っていました。
アメリカン・ポップス中心の中、英国等欧州勢の活躍に刺激を受けたブルー・コメッツや、ワイルドワンズなどがデビューした当初は、自から曲を書き演奏し、自分達の手で日本発のポップスを!という意気込みが感じられ、ちょっと応援したくなりました。
それがブームとなると、あっと言う間に職業作曲家が書いた曲を歌うだけの楽器を抱えた歌謡アイドル…それがG・Sだよね、と見られる様に。急拡大したマーケットに、質の良いコンテンツを提供できなかった=育てられなかったツケとも言えますが。
同時にレコード会社にとって職業作曲家とは言え、自社の専属作曲家ではないフリーの人達が曲を作る、そしてまだ自分達で曲を書こうとしたがる一部のG・S、そうした構図から主導権を取り戻そうとしたのが、Iディレクターの"悪貨が良貨を駆逐する"作戦で、質の悪いG・S(悪貨)を混ぜ込む事でブームを下火にさせ、そこに本格派の歌謡曲をぶつける。そうしないと歌謡曲の出番がどんどん先延ばしになる…と。
そしてその作戦の狙い通り当たった訳で。
質の悪いグループとはどれを指す?とは思いますが、確かに末期のG・Sは、言っちゃあナンですがイロモノ歌謡曲と言う感じでしたし、飽きられるのも当然とは思うのですが、そうして自壊したG・S界から残ったごく一部の実力派だけが、作曲・編曲等で活躍してゆくのですが、これって何かその前の"日本のロカビリー"崩壊と似ている気がします。ティーンを相手にする商売故なのでしょうが。
ただ、アイドルまがいのグループでも、自分達のライブでは、洋楽のカバーが中心だったそうで、それと折り合いをつけ成長していたら…と、思わなくもないのですが、時代は待ってくれなかった。そこからエイプリルフールなどの"日本のロック"の誕生までには、いささか長い空白が出来てしまうのですが。
■ 以上、歌謡曲とグループサウンズの話で、聞きたい365日 第331話でした。