銭函の海の話の続きですが、銭函と言う地名は、その昔ニシンが大量に獲れた場所で、網元には銭の箱がうなっていたところから付いたという話があります。明治のピーク時には小樽周辺で100万トン近い水揚げがあり、祝津の網元では換算すると毎年1億以上の利益があったとも言われます。北原ミレイの「石狩挽歌」で歌われる世界ですが。
そして、古くからの札幌っ子なら銭函=海水浴場を連想するでしょうね、マイカーが普及する以前は国鉄の駅から近く、札幌から一番交通の便が良い海水浴場として賑わったそうですが、後に潮回りが変わり(石狩新港開発のせい?)浮遊物が集まるようになり、又、車社会到来に伴う駐車場の狭さなどで、最近は地域密着の場所となっている様ですが。
ひっそりとした街を歩き、一部看板の壊れた海水浴場入口の所から浜に出てみると、当然ですが夏の賑わいの片鱗も無く、♪冬の浜辺は寂しくて、寄せる波だけが騒いでた…と、ここで日野てる子の「夏の日の思い出」が浮かんで来るのですが。
作詞・作曲は鈴木道明で、昭和40年代にお洒落なシティ歌謡曲(?)を多く書いた人。
この曲はコンピ物でしか持っていないのですが、この「青春歌謡年鑑65」に収録された30曲の半分は洋楽のカバーヒット、残り15曲中、西田佐知子の「赤坂の夜は更けて」など4曲が鈴木道明作品と、選曲はこの年の売上順では無いにせよ、記録より記憶と言うべきか、心に残る歌を書いた人でした。
氏はTBSの編成局次長兼第二演出部長が本業だったそうですが、こうした洒落た曲を書く一方、ナット・キング・コールなど大物外タレのショーを手掛けたり、戦前戦中とクラッシックを勉強し、戦後はジャズに傾倒したという氏だからこその、これらの曲なのでしょう。※この項は音楽評論家、安倍寧さんのオフィシャルブログを参考にしました。
そんな鈴木道明氏の曲で、個人的に好きなのが 「ブルー・ナイト・イン・札幌」という曲で、これは和田弘とマヒナスターズが東芝に移籍してからのシングルですが、ヒットした記憶は無いです。サラリーマン時代に私がカラオケで歌うと珍しがられましたし…音痴を隠すため知られていない曲を歌うと言う作戦は成功した訳ですが。
そもそもが"札幌を歌った歌はヒットしない"という呪いがかかっているようで(?)、その点は長崎の皆さんが羨ましいのですが…鈴木道明さんでも、あの浜口庫之助=石原裕次郎ラインの曲も北海道ローカルヒットの印象ですし。(ハマクラさん自ら歌った「札幌グランドホテル賛歌=ポプラと私」も良い曲だったのですが、これは非売品で)
話を日野てる子、西田佐知子に戻すと、これらのヒット曲は彼女達の歌唱があったればこそで、今のカラオケで歌ってもらう前提の歌い易い歌謡曲と違い(ここは私の偏見)、こうした洒落た曲をスマートに歌い、しかも美人で…と、昭和歌謡曲の良い時代、良い歌い手さんたちでしたね。
日野てるこさんも、鈴木道明さんも今は亡くなられましたが、西田さんにはどうぞ、まだまだお元気で頑張って下さいね、と。
■ 以上、聞きたい365日 第335話でした。