オッサンパパ、ときどきムスメ、ところにより嫁

オッサンのパパ。ヤンチャムスメ。破天荒嫁の日常。

食べられるように

2020-08-24 07:33:25 | 思い出
むかーしむかーし

若いころに、今は亡き父親のように慕っていた叔父さんとある日食事に行きました。

叔父は自分の食べたいものを全部注文。

私は私の食べたいものを注文。

叔父は、食べたいものを食べたいだけ食べていました。

こう言うと、叔父は大食漢なのかと思いますが、そうではない。一口二口食べて終わり。

あとは若いんだから入るだろ?と、押し付けてきました。

周りの若い子にもしてたらしく、食事に関しては叔父は煙たがられていました。

バブルの頃のお話です。

そんなバブルも終わり、叔父と食事に行くと食べたいもの選んで食事をするように変わっていました。お金があるって怖いなと思いました。

表題のお話はここからです。

その叔父が食に対してうるさい人(元ホテルのコック)で、味付けがどうとか、質がどうとか、お店の人には言いませんが、私や周りの若い連中にはよく教えてくれました。料理のイロハとか。

私から見れば父のような叔父なので、煙たいながらもウンウンと聞いていましたが、周りの若い人たちは相当面倒くさがっていました。

若かった当時私は、野菜が苦手でメインの料理を食べたら、野菜はよく残していました。

叔父はそれを見かねて、ある日オレンジ色の液体の入った1リットルのコーラのビン(昭和ですな)を渡してきました。

叔父が作った特製ドレッシング。これがすごく美味しくて、これをかけると野菜がすんなり食べられる魔法のドレッシング。

魚ばかりの生活に野菜が加えられました。

元々鶏肉以外の肉が苦手で魚ばかり食べてた私は、骨太ではありましたが、ガリガリで肉をもっと食えと周りに言われてました。

肉はホント苦手でしたが、洋食コックだった叔父さんが当時ステーキやソテーの美味しい店によく連れて行ってくれました。ここで焼き加減や部位での味や硬さの違い、ソースの違い等色々教えてもらいながら、イヤイヤながらも肉を食べ、肉の味を覚えていきました。

今から10年ほど前に、叔父が他界しました。死に目には会うことが出来ましたが

生前の頃は叔父はまだまだ長生きする、死ぬなんてことはないと信じ

ドレッシングやステーキソースなどのレシピは聞いていませんでした。
叔父も多分同じ思いだったんだと思います。


食事に行っていた当時はなんで食べたくないものをくわされてんだ?等失礼なこと何度も思っていて、真意はよくわかりませんでした。

今思えば、叔父なりの甥っ子育てだったんだね。

子育てするようになって、叔父の偉大さに気づきました。

野菜も肉も苦労なく食べられるようになりました。むしろ好きになりました。

食の好みは叔父のおかげで、当時の叔父にそっくりだよ。うんちく言えば若い子には嫌われるだろうけどね、自分は言わないことにしたけど 笑




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