使わないときは、よく目にするし、ある場所もわかってるのに
使うときに限って、目の前から消え、あるはずの場所になくなる
↑割とよくある話です
普段こーゆー時はこーするって、決めていたのに
いざこーゆー時が来ると、どーやるか忘れてしまう
↑割とよくある話です
記憶から忘れたり無くしたり、ホント厄介。
話はここからです
ある日私の母を自宅に呼びました。
腰が悪く杖をついているので、本来こちらから行くべきですが、来てもらいました。
原因は娘。
娘「暑いから外出たくないけど、バァバと遊びたい!おウチに来てって言うから、電話してよー」
とのこと…
電話して娘に変わると、母も孫に会いたいからか、いいよ!と即答 笑
汗かきながら、えっちらおっちらやってきた。
一通り遊んで話して、さぁ帰るとなり
母は帰って行きました。
玄関で娘
「ばいばーい!またきてねー!」
なんて元気に言ってたくせに、ドア閉まった時から泣き出した…
「ホントはバァバともっと遊びたかったー」
だそうだ…
ある日保育園で、みんなで夜までいる日があって(本来はお泊り会なるものが、コロナで泊まりはなくなった)
その日は昼間からいつもの保育とは違い、みんなで買い物行ったり、お料理作ったり、肝試し的なものやったりとイベント盛りだくさん。
で、夜お迎えに行き、友達や親御さん、先生方に挨拶して帰路につき、みんなが見えなくなると娘は泣き出した…
「ホント楽しかったー、もっとみんなといたかったー」とのこと…
妻と娘で前の晩からキャッキャ、キャッキャ遊んだ次の日の朝。
妻が仕事へと、玄関出た途端泣き出した娘。
「おかあさんが心配〜」とのこと…
んー。そもそもおとーさんのことでは泣かないし、むしろ楽しいことから引き剥がす役になってる気がする… 笑
そこはともかく、楽しいこと、一緒にいた人たちとの別れ、感極まるという出来事のハードルが上がるのはいつからなんだろう。
きっとどこかに無くしてしまってるものもある。
娘はまだ生を受けて間もないから、ハードルは低め。ちょっとしたことでも感極まる。
でも、人間としては羨ましく思う。
何にでも全力で、本気でやってる証拠ですから。
いつから手を抜いて生きてきたんだろう…と、考えさせられるな