山岳写真や菊さんのつれづれ草


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東日本大震災に思う 

2011年04月10日 | つれづれ雑感
未曾有の大地震から1ヶ月経過、伴う大津波と原発事故、被災された方や無くなられた方に心よりお見舞い申し上げます。
地震と津波は天災であるが、原子力発電所の非常事態は想定外ではすまされない人災である。これほどの被害が及ぶとは考えていない、人の心の油断があったのではないか・・・・。天災は忘れた頃にやってくる!

連日のニュースで大津波の惨状を度々見るにつれて、昔々の小学校の国語の教科書を思い出した。はっきりとは覚えていないが、江戸時代?の東北農村を襲った大津波と庄屋さんの話である。これは津波も知らない子供時代、初めて津波の規模と恐怖を知った最初であったと思う。高台に住む庄屋さんが地震後に、収穫前の自分の稲穂に火を付けて、大津波の襲来を村人に知らせて村人の命を救ったという修身的な美談である。堤防の高さも田老地区の大堤防などは、世界に誇れる規模ということで海外からも視察に来るなど、近隣の人々に絶大な安心感を与えてきたようである。しかし今回の大津波は想像を超えていた。歴史的に何度も襲った大津波の規模を想定するのは難しいが、人々の記憶から消えてしまった結果であろう。

津波災害は天災だが原発災害は人災である。原子力発電は枯渇資源と燃料高や環境汚染から国策で進められ、安全対策も万全だといわれてきた。しかしその結果は、想定外では済まされない大悲劇を生んでしまった。高度成長の影で、安全対策のリスクを軽視してきた結果だ。福島原発が出来た1960年代は、日本の戦後復興・高度成長時代であり、リスク的な安全対策の軽視や技術的な問題もあったことは否めない。福島第一原発の1~4号機の原子炉は米国GE社の製品であり設置から管理まで同社の指導で出来た物だ。その当時では大地震や津波対策の想定値も経済力からみて妥協があったかもしれない。しかしその後は日本の経済発展や技術力で、原発の品質や管理技術は向上しているはづだ。重要なのは古い原発施設や原子炉などは、安全性からも新基準で見直すべきである。これは原発だけではない。高速道路や都市構造など、コストがかかっても絶対に必要なことなのだ。

現在の日本の国力・技術力を集中すれば、原発の安全対策・太陽光などの自然エネルギーの実用化は不可能ではない。今回の原発事故で、もの作りと高品質で世界に示した日本の神話も大きく揺らがせてしまった。これから原発の事故処理を迅速に世界の手本となるように、日本の総力で乗り切り復興しなければ、再度の日本の復興は無いのだ。それまで数年数十年間は、電力消費や食料など生活の規模、経済構造も大きく変ってくる。1960年代の過酷な環境の中で青春を送った我々と同じ思いや課題が、現在の若者にも課せられてくるであろう。

頑張れ日本!  がんばれ東北!