山岳写真や菊さんのつれづれ草


作者の近況・活動メモや作品発表、話題のデジタル写真など、つれづれなる雑感ブログです。

山岳写真展の集中祭典迫る

2011年08月28日 | 写真展


ここ数年、都内では8月末より9月にかけて山岳写真の団体写真展や個人写真展が集中開催される。今年の開催は
1)日本山岳会アルパインフォトクラブ展 8/25-8/31 ポートレートギャラリー
2)日本山岳写真協会写真展 9/2-9/8  フジフォトサロン赤坂ミッドタウン
3)大判写真スイング展 9/1-9/10  九段会館ギャラリイー
4)全日本山岳写真展 9/8-9/20 新宿ヒルトン東京B1 ヒルトピアアートスクエア
5)菊池哲男写真展 8/26-9/8   富士フォトギャラリー新宿
6)鈴木隆志写真展 9/7-9/19   ペンタックスギャラリー新宿
私の所属の日本山岳写真協会写真展もいよいよ9月2日より開幕します。公募入選者の写真展も同時開催されますので是非ご覧下さい。
●北アルプスからヒマラヤへ「山岳写真の鈴木菊雄館」もご覧下さい。

巻機山植生復元ボランテイア作業

2011年08月22日 | 国内撮影
    蘇った竜王ノ池と頂上展望                   裸地化した登山道での緑化ネット作業、雨天の8合目

8月19日夜から21日まで、恒例の巻機山ボランテイア作業に参加した。巻機山は頂上周辺に池塘やお花畑が拡がるたおやかな山頂であるが、山頂付近から8合目にかけて、登山道周辺の自然崩壊や人的崩壊が進み、20年前は無残な景観をさらしていた。
その後に日本ナショナルトラストや巻機山ボランテイアーズなどが毎年崩壊した登山道の整地や植生復元作業を進めて、やっと8合目から山頂にかけて、昔の巻機山らしい景観が蘇ってきた。私も我孫子登山倶楽部と共に毎年参加しているが、今年は2日間雨天で、泥んこになりながらの辛い作業になった。蘇った竜王ノ池や頂上周辺などの景観は、登山者の皆さんにもきっと喜んでいただけるだろう。<登山者の皆さんへのお願い> 登山道以外は絶対に歩かないで下さい! 歩いた跡が低地に、その上が水路になり周辺が剔られて裸地化が進みという悪循環になります。

映画「ヒマラヤ運命の山」公開 原作に作品掲載

2011年08月17日 | 写真家活動
メスナー原作の映画「ヒマラヤ 運命の山」公開

 
原作の「裸の山 ナンガパルバート」  出版 山と溪谷社


メスナー原作の「ヒマラヤ 運命の山」が公開され、昨日有楽町の映画館で鑑賞してきた。この原作本が昨年に山と溪谷社より発売されており、私の撮影したナンガパルバートの写真が、表紙と裏表紙に掲載されている。表紙がメスナー兄弟が挑んだルパール壁、裏表紙の作品が下山した朝焼けのデイアミール側である。
映画ではアルプスの麓で育ったメスナー兄弟の少年時代から、1970年に初登頂したナンガパルバートのアタックシーン、更にパキスタンの村々や人々の登場シーンが印象的であった。8年前に撮影で訪れたベースキャンプやラキオット谷らしいシーンも懐かしかった。驚きは40年前の登山スタイルや、とても8000m峰をアタック出来るとは思えない貧弱な装備、ザイルも無く後方の支援も考えないでの頂上アタックなど、かなり冒険的な行動である。

穂高岳の盛夏撮影

2011年08月14日 | 国内撮影
涸沢風景                   これが一番! 疲れも吹き飛ぶ 
 
     涸沢の最新山スタイル!         未だナナカマドも開花している  

本格的な夏山到来を期待して9日夜に上高地より入山、涸沢・北穂高岳にて3泊4日の撮影をしてきた。10日-11日は晴れ間はのぞくが山頂稜線はガスの中であった。北穂小屋でも槍ヶ岳の穂先が見えるまではと、3連泊を最高に停滞者が目立ったが、私の場合は幸運にも1泊目の翌朝に雲海の上に槍ヶ岳が微笑んでくれた。北穂や涸沢の小屋もシーズンにしては少なめの宿泊者で、子供連れや山ガールの登山者が目立っていた。涸沢周辺では、未だナナカマドの花が満開で、徳沢から上高地にかけても初夏の花々が豊富に開花していた。12日に横尾山荘泊して心地良い冷風の中で上高地の風景が撮影出来たのが大きな成果であった。

山岳写真家 中司茂男氏の遭難死

2011年08月09日 | 写真家活動
 撮影から帰宅して整理している最中の8日、現在山岳写真集団で元山岳写真同人四季会員の中司茂男氏(49)が黒部川源流の上の廊下にて遭難死亡とのショッキングなニュースが飛び込んできた。普段は慎重な行動派であるが、豪雨で増水した源流を徒渉中に流されて溺死したのであろうか。地方公務員の余暇に、渓谷や沢などの山岳風景を積極的に求め続けていた写真家であった。10数年前に山岳写真同人四季時代には、近づき難い黒部下の廊下などをザイルワークで下降し、撮影した十字峡の作品等で周囲に大きな影響を与えていた。山岳写真家としての将来を期待していただけに非常に残念であるが、ご冥福をお祈りします。