今日は、「母の日」だった…。
すっかり忘れていたけれど、今になって思い出しては、何かプレゼントを…と思っても、後の祭り…しまったなぁ…。
私が親元を離れてから、今年で15年になるけれど、その15年前に千葉で一人暮らしを始めて、なんだかんだうるさく躾けてくれた母がいないことに寂しさみたいなものを感じ、同時に、父・母・妹の家族が一緒に生活する事で、色々な面で救われていた事を痛感した。これが初めて「家族のありがたみ」を感じた瞬間だったかなぁ…。
今は、何の因果か、山口で家族を持ったけれど、地元からは凄く離れた遠い土地で生活している。
遠い土地で生活していても、私が元気でいることが「親孝行」なのかもしれないけれど、時々やっぱり思うのは、母のためにも近い将来、埼玉の実家(あるいはその近く)に帰るべきなんだろうな…ということ。
実は、今日を以って、母が外で仕事をすることをやめる事になった。
それはそれで「ご苦労様」と心から労いの言葉をかけてあげたいけれど、そうなると、やっぱり母も色々な意味で寂しいんじゃないかと思うんだよなぁ…。
何とかならないものだろうか…。
すっかり忘れていたけれど、今になって思い出しては、何かプレゼントを…と思っても、後の祭り…しまったなぁ…。
私が親元を離れてから、今年で15年になるけれど、その15年前に千葉で一人暮らしを始めて、なんだかんだうるさく躾けてくれた母がいないことに寂しさみたいなものを感じ、同時に、父・母・妹の家族が一緒に生活する事で、色々な面で救われていた事を痛感した。これが初めて「家族のありがたみ」を感じた瞬間だったかなぁ…。
今は、何の因果か、山口で家族を持ったけれど、地元からは凄く離れた遠い土地で生活している。
遠い土地で生活していても、私が元気でいることが「親孝行」なのかもしれないけれど、時々やっぱり思うのは、母のためにも近い将来、埼玉の実家(あるいはその近く)に帰るべきなんだろうな…ということ。
実は、今日を以って、母が外で仕事をすることをやめる事になった。
それはそれで「ご苦労様」と心から労いの言葉をかけてあげたいけれど、そうなると、やっぱり母も色々な意味で寂しいんじゃないかと思うんだよなぁ…。
何とかならないものだろうか…。