鎌倉と 題する歌の 5番目は
静御前の 悲しみの句よ
若宮堂の 舞の袖 静のおだまき
わかみやどう まい そで しず
くりかえせし ひとをしのびつつ
義経の 子供を産んで 男児だと
引き離されて 悲しみ謡
うたい
北条政子がそれだけは止めてと懇願
頼朝は信頼する部下に男児を預けたよ
武士の子で、負けたときは男児が殺される決まりが
出来たのもこのころだと思うよ。
義経は、平泉には立ち寄っただけで
すぐにアイヌ人と共に北海道へ行ったのである。
函館・帯広・札幌あたりには、
義経神社とか弁慶神社が多数あるよ。
平泉で殺されたのは替え玉でした。
弁慶の服を着た替え玉が立ち往生した。
すぐに火を放ったので骨しか残らなかった。
だから頭を箱に入れて鎌倉殿に差し出した分けよ。
義経は アイヌに農耕を教えた。
弁慶が亡くなったあと
単独でウラジオストックへ行ったよ 。
そこで蒙古人と接触し、日本は
食料も豊富で天国だ と語った。
それが、後の元寇になったよ 。
北条時宗のときよ。
ウラジオストックには、義経の神社と鳥居があるよ。
いまでもあるかと思う。
それらのことが欧州にも伝わって
東方見聞録にも掲載されたことがきっかけで
ジパング目指せ!!が合言葉のようになったよ。