火曜日の朝、母がデイサービスに行ったあと夫に連絡した。
(夫は8時前に東京に着き、ゴミに間に合いそうだと言っていた)
「今デイサービスの方に引き継いで終わりました。
朝から起きられず、こんな人を置いていくのかと思ったけど、夜に飲んだ薬が切れたからなのかなと送り出しました。
今から帰るね!
おしっこうんち、お疲れのところ大変だけどよろしくお願いします」と送ったら、
夫から
「コワイならずっといていいよ
あたりまえ!
こっちはなんとかやるから」
「自分をつくってくれた人です」と。
前日、薬が効きすぎたのか、食欲がなく、まるで食べなかった。体温も低体温で心配だった。
なので、もう一日様子をみようかなと連絡すると、
「どうぞ〜
1番大事にすることは
後悔を絶対にしないように
生きること
すること」
と。
そうは言っても、夫はこれから1週間休みなく働いて、29.30お休みでまた毎日働いて6日そのまま入院になる。
30日は母を東京駅に迎えにきてもらう。
なので無理をして脳出血とかにならないか心配だった。
10時ごろ、究極の選択で動けないなどLINEしたが返事がないので母が戻ってきてから帰ることに決めた。
すると13時半ごろに
「まずはもう一晩
明日考えればいいよー」
と。
これで、火曜日も泊まることにした。
4時前に帰ってきた母は別人だった。
お昼はおかずを8割くらいたべ、お風呂に自分で入って、好きな点つなぎもやったし、カラオケも口ずさんでたと伺った。
顔色がよくなっていて、これなら安心だ。
もう30日にくる計画はだめじゃないかと思っていたが、これなら行けるかも。
その夜もまただんだん悪くなり、ほとんど食べず。私の気持ちもコロコロ変わる。
翌水曜日の朝も痛い痛いと言い、食べられなかった。
だけど、デイに見送ってから帰ることにした。
夜は見守りカメラで薬を飲んでもらって痛いからと早く寝た。
そしてきのう木曜日もデイサービスに行き、帰ってきてからはスタスタ歩いていた。いい調子。
夜も遅めに薬を飲んで10時ごろ寝た。
そして、あの真夜中の電話だった。
先生から
「月曜日にも寝たきりになるかも知れないから連れて帰ったと思うけど、こんな状態で返すことはできない」と言われ入院をお願いした。
先生からのお話は、
「入院で認知症が進んでベッドから落ちるかも知れないので身体を拘束することもあると了承してほしい」と。
あと、「延命治療はしますか?どうします?」と聞かれ、返答に困った。
「もう90過ぎてたらほとんど延命治療しませんね」と言われ、じゃあそれでと了承した。
もう一つ聞かれたらがちょっと忘れてしまった。
そんな急なことが昨夜あった。
そして、朝夫が「今日行ってきたら」と言ってくれた。
私から「日曜日じゃなく今日行きたい」と言おうと思ったが、手術前だし、なんとなくきのうから具合が悪そうで言いにくかった。
先に言ってくれたのでほっとした。でも、こんなに具合の悪い夫が全身麻酔なんてして大丈夫なのかとかなり不安だ。
けど、夫は身体が痛いとは言いながらも明るく「やるしかない!」と安心させてくれる。
予定では、今から母を退院させてうちに帰ってくる。病院のほうは退院大丈夫といってもらえた。
様子を聞くと、
「私なんでこんなとこにいるの?と言って壁を蹴ってはる。元気です」と笑って教えてくれた。
ああ、ひと安心。
あっ今また京都ですのアナウンスにビクッとした。もうすぐ新横浜だと勘違いしていた。
※ペチコートスイセン