2回連続で嵐のレヴューを書き、驚くほど沢山の方に訪れていただきました。
Twitterの呟きに引用してくださったり、それがリツイートされたり、掲示板に転載されたり、熱心なファンの方に叩かれたり(苦笑)
私は、嵐の音楽が好きですが、決して熱狂的なファンという訳でもありませんので、的外れと思われるのも致しかたないとは思います。
ただ、自分の文章に酔ってるつもりは毛頭無いんですけどね(笑)
さて、本題。
いつの頃からか、ミュージシャンで曲を聴くコトがなくなりました。
好き嫌いは楽曲単位で。
好きな楽曲が多いミュージシャンのファンになるというイメージかな。
まず聴く。そこからアレンジャーとコンポーザー、プロデューサー、ミュージシャンのクレジットを見る・・・・・・・そんな楽しみ方をする様になりました。
そうすると見えてくるのは、自分の音の好み。
好きな楽曲には共通点が多いことがわかってくる。
同じアレンジャーだったり、プロデューサーだったり、“山本拓夫さんがサックス吹いてるな~”だったり、“弦一徹さんがストリングスなんだ~”だったり(笑)
そうすると、好きな音作りをする人が手掛けた曲に興味が湧く。
聴いたコトが無い人でも聴いてみたくなる。
それで世界が広がっていく。
私がアイドル好きなのは、楽曲によってアレンジャーが変わったり(東京女子流は例外かなww)、コンポーザーが色々だったり、バックのミュージシャンがやけに豪華だったりするからなのかなと思うのです。
セルフプロデュースで、自分で曲を作ってアレンジもやって・・・・・というミュージシャンの場合、曲というよりその世界観が好きというコトになる気がします。
突き詰めると、ある意味宗教的というか(苦笑)
それは、音楽が好きなのではなく、そのミュージシャンが好きというコトなのでしょう。
突然、そのミュージシャンが自分の好みと相容れない音楽を作る様になったら、代替を探すのでしょうか?それとも、それでも“痘痕も靨”と絶賛し続けるのでしょうか?
歌詞や生き様が好きだったり、ルックスや佇まいが好きだったりというなら解らなくもありませんが(笑)
音楽を楽しむ幅を広げるには、固執や拘りを少し捨てる方が良いと思います。
私が、アレンジャーやクレジットをできるだけ詳細に書こうと思うのは、そこから世界が広がることを期待しているから。
自分好みの音を作れる人に注目して欲しいから。
そんな風に思って、素人ながら8年もこんなブログを書いているのです(笑)