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昭和56年9月の神戸港中突堤(拡張前・被災前の神戸港)デジタル画像化

2024-01-28 22:46:25 | 写真
昭和56年9月の撮影です。
先に投稿した「丸の内仲通り」を撮影した「翌日」に撮影したものです。
引き続きで恐縮ですが、カラーリバーサル(EPR)をデジタル画像で復活するものです。

「丸の内仲通り」を撮影した後に新幹線で新神戸入りしました。
(1)の「ポートタワー」は平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災に耐え、被災から28日後の2月14日に点灯し、復興のシンボルとなりました。
(2)の「メリケン波止場」は被災損壊し、一部の護岸が「神戸港震災メモリアルパーク」となりました。
(3)の「国産波止場」手前の複数の橋脚は、撮影から5年後の昭和61年に開通した「浜手バイパス」の橋脚部分です。
震災で橋脚の多数(58/72)が損壊し、一部が被災構造物として現存し展示されています。

(1)神戸港の中突堤と「ポートタワー」です。

昭和56年の撮影後に突堤東側(左側)のメリケン波止場と突堤西側(右側)の国産波止場、弁天埠頭までが埋め立てられました。
関西汽船の表示がある中突堤旅客ターミナルは現存します。
但し埋め立てに伴いポートタワー先に移転し神戸港のシンボルでもあるメリケンパークオリエンタルホテルと同居します。
現在の中突堤旅客ターミナルは旅客船「飛鳥Ⅱ」も接岸します。

(2)中突堤から東側(左手)の「メリケン波止場」方向を望みます。

多数の屋形船が係留されるあたりは、撮影から2年後の昭和58年から埋立工事が始まり、昭和62年に竣工し、メリケンパークとなりました。
阪神淡路大震災で被災したメリケン波止場の一部の護岸(60m)が保存され「神戸港震災メモリアルパーク」になりました。
中央奥に「ポートアイランド」へ続く赤い「神戸大橋」が遠望されます。
「神戸大橋」は、現在は「ホテルオークラ神戸」に視界を遮られます。
左手には「浜手バイパス」の建設途上の橋脚がみえます。
(次の(3)の記載を参照してください。)

(3)中突堤から西側(右手)の「国産波止場」方向を望みます。

左下に白く灯る「国産波止場」手前の橋脚は「浜手バイパス」の橋脚部分です。
「浜手バイパス」の完成は、撮影から5年後の昭和61年です。
撮影当時は橋脚部分だけが完成していました。
震災で多数(58/72)が損壊し、一部が被災構造物として展示されています。
右下の橙色の照明は「阪神高速3号神戸線」です。
阪神高速は芦屋市から東灘区で倒壊した姿が繰り返しテレビで放送されました。
「国産波止場」の左手には現在は観覧車が設けられています。

これら3枚の画像は当時の「タワーサイドホテル」から撮影したものです。
このホテルは名前が変わりましたが現存します。


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