ぬるい!砂糖も多い!

おいしいコーヒーが飲みたい

ちと軽薄では

2021年07月13日 | 日記
白川静、言うまでもなく漢字の研究者としてたいへん有名な人である。字源について画期的な考察を残した。

それはいい。それはいいが、学習塾などの漢字教材で、個々の字の成り立ちを白川説で教えるものがあるのは気になる。

いくら偉大な業績だろうが、白川説はあくまでも仮説である。小学生の教材には、やはり伝統的な説文解字(だよな)由来の説明の方がいいんじゃないのか?

だいじょうぶか俺

2021年07月13日 | 日記

NHK

2021年07月12日 | 日記
大河ドラマをこれからもつくるなら、西行を主役にするのはどうだろう。

崇徳上皇とのかかわりを軸に、いろいろのエピソードがあって、有能な脚本家、演出家なら腕が鳴るだろう(俗世を思い切って離れるため娘を蹴落とした話さえも)。老いた西行法師に、征夷大将軍源頼朝が武家の作法の教えを乞うたというのも、ドラマチックな場面になりそうだ。各話の最後に、その回にゆかりの西行和歌を、字幕と朗読とでみせるといい。

主演の俳優に人を得たら、いい作品にならないかなあ。

2021年07月11日 | 日記
泣いた赤鬼。よくあんな話を考えついたな。幼いころに初めてレコードで聞いたのだが、結末には参った。あれで終わるとはあんまりだ。 レコードで赤鬼役はたしか熊倉一雄で(青鬼は村越伊知郎?)、とにかく鬼らしさ皆無であった。

若い人たちは、おじいさんかおばあさんに「レコードって何?」と訊いてみましょうね。

鬼らしい赤鬼と言って思い出すのは、高校の体育科にいたそういうあだ名の教師である。まさに赤鬼だった。もう相当たつが、今思い出しても緊張する。じつに怖かった。

驚くべきことに、わが高校には青鬼もいた。英語科。こちらは決して怒鳴ったりしないが、とにかく授業が厳しい。昔の進学校のスタイルなんだろうけれど、ついて来られないやつは振り落とすというやり方だった。

体育の赤鬼と英語の青鬼は名字が同じ。昔の高校生はうまいことあだ名をつけたね。

笑うな

2021年07月10日 | 日記
グリコのプッチンプリン。素早くエネルギーを補給するのに重宝する(呼吸器疾患でして)。

そういうわけで最近よく食べるようになって、この前ついに「プッチン」とやってみた。思い描いた通り、お皿の上にきれいにプリンの山ができ、子どものころからの夢がかなったとまでは言わないが、ちょっと感激した。

スプーンで食べても崩れないのな。よくできてる。

笑うなってば。

私は空想する

2021年07月09日 | 日記
東京から女房の実家の人たちが遊びに来たので、半日かけて、わたしの大阪を案内した。

地下鉄で淀屋橋まで移動し、まずは適塾である。どこまで緒方洪庵時代のままなのかよく分からないが、二階のだたっぴろい部屋は、幕末に福沢諭吉などがひしめき合って勉強した部屋そのものだとか。

次に歩いて中之島へ。府立図書館の偉容を仰ぎながら、そのとなり、同じく見事な建築の大阪市中央公会堂に降りて行き、食堂でコーヒーを飲む。さて次がメインイベントである。

公会堂から少し歩いて、東洋陶磁美術館に入る。ここは本当にすばらしい。陶磁器のことなど知らないわたしでも、何度行っても感動し放しである(テレビ東京の「鑑定団」で、焼物の写真にはたいてい「東洋陶磁美術館」というキャプションがついている。と思う)。義父母は大喜びである。

さて、もう一度大阪駅までもどり、JR環状線で鶴橋へ。電車が止まってホームに出ると、そこはもう焼き肉の匂いが立ちこめている。駅のホームなのに。改札を出ると、そこには無数の焼肉屋。焼肉屋以外のものはないのか。それじゃ、鶴一にでも。今度は義弟が大喜び、食うわ食うわ。さすが若者。

こうしてわたしの大阪案内は大好評をもって終わった。明日、東京に帰るのを見送るときには、駅の売店で喜八洲のきんつばを買って持ち帰ってもらおう。

孟子曰く、人は為さざるところありてのち云々

2021年07月08日 | 日記
酒類提供をめぐる昨今の報道を見聞きして、わたくしは逆に、日本の社会がいかに飲酒に寛容なことかとも思う。みんな飲みすぎじゃないですか。

ついでながら、ここまで多くの階層の男女が連夜飲むようになったのは、ほんとうにごくごく最近のことだというのも忘れられているのではなかろうか。「記憶」にもちょっと偏向がかかってないかな。

気に入らんことば

2021年07月07日 | 日記
いまどきの言葉遣いを批判的にあげつらうのは最近流行らないし、新しいのが何でもダメだなどという気はまったくないが、これだけは本当にいただけない。

〇〇してもらっていいですか

である。何なんだあれは。そんな二回転半ひねりみたいな言い方せずに、「〇〇してください」ではいけないのか?

「いまどきの」と書いてしまったが、初めて聞いてからはかなり経つ。最初は病院で看護婦さんがそう言うのを聞いた。当時、友人もやはり病院でこの言い方を聞いて、けっこうなショックを受けていた。さらに、「ジェネラルルージュの凱旋」という映画 (2009) を見ていたら、救急搬送の緊迫した場面で貫地谷しほりの看護婦が「してもらっていいですか」を連発していた。中村義洋監督も、看護婦さんが不思議な言葉遣いをしていると思っていたようだ。

今ではこのことばを聞かない日はない。地域差はあるのかもしれないが、私はそうである。言っている方は、相手に気を使っているつもりなんだろうか。私には、いちいち相手側からの許可を引き出しておきたい、つまり自分は責任を負いたくないという言い方だとしか思えないが。

みんな変態

2021年07月06日 | 日記
胎児は母親のおなかにいて、呼吸ができないのじゃないか、どうしているのかと以前は不思議に思っていた。我々がふだん見て知っている赤ん坊がそのまま母胎のなかにいると思っていたのだな。もしもそうなら、たしかに肺呼吸ができなくて生きていけまい。

実際には胎児は羊水のなかで、我々とはまったくちがう生き方をしているわけだ。我々ははだかで全身水中にいて生きていくことはできない。胎児は「べつのいきもの」だ。

水中に住むヤゴがやがてトンボになったり、長年地中ですごしたセミが飛んだり鳴いたりするのを、ふしぎなこと、おもしろいことに思っていたけれど、なんのことはない、自分自身がおなじようなことを経験してきたのである。

名作パズル

2021年07月05日 | 日記
有名なパズル。12個の、見かけのまったく変わらない分銅のなかに、ひとつだけ重さが違うものが混ざっている。ただし、ほかのものより重いか軽いかはわからない。この「仲間外れ」の分銅を、天秤を3回だけ使って見つけ出せ。

この問題を初めて知ったのはかなり前。まるで歯が立たず、正解を教えてもらうのも拒んで、そのままになっていた。だいぶ経ってから、DSで「レイトン教授とふしぎなまち」をプレイ中に再会した。このときこれが解けて、うれしかったなあ。2手目の大技に、我ながらよく気が付いた。ヒントは少しは見たのだろうか。タッチペンでアイコンを動かしながら考えられるのも助けになったが、それにしてもよくぞ解いたと思う。