ぬるい!砂糖も多い!

おいしいコーヒーが飲みたい

特別な二人

2017年12月25日 | 日記
何でも昔のものが良かった、と言うつもりはさらさらないけれど、この二人は特別。

初代ウルトラマンを演じた古谷敏さん。最初のウルトラマン以下、「着ぐるみ」のヒーローはたくさん現れたが、古谷さんのウルトラマンはほかとまったく違うのである。初代ウルトラマンはとてつもなく強いだけでなく、とても優しいのだが、その「優しさ」までがにじみ出ているのである。顔は無表情なのに。

しばらく前に、ちょっとしたイベントで古谷さんの話を聞いた。最後に退席する古谷さんが客席に向かって、スペシウム光線のポーズをしてみせてくれて、私はもう涙が出そうに感激した。詰めかけた元祖オタク的なおっさんたちからは、「うおぉ」という叫びがあがった。

ゴジラはじめ数多の怪獣を演じた中島春雄さん。最初のゴジラのすごさは今更いうまでもない。最近「ウルトラマン」第9話「電光石火作戦」を見たところ、中島さんの「ガボラ」が、もう何というのか、「怪獣にしか見えない」のよ。ただごとではない。子ども番組でこういうのものを見せてくれる、日本はそうわるくもないな…。

一極集中を肯定する人もいますが

2017年12月24日 | 日記
鍋にドジョウと豆腐を入れて火にかける。そうするとドジョウが、熱いものだから豆腐に潜り込む、と。

今の東京って、この豆腐みたいなものではないのか?


結局まとめてゆであがるんだが。だれが食べるんでしょうね?オーバーロードみたいなのが、できあがりを待ってたりして。

無知の涙

2017年12月23日 | 日記
高校生のころ、通学に利用していた駅で、チマチョゴリを着た女の子二人組をよく見かけた。朝鮮学校の生徒だったのだろうが、当時はばかなことにあれが民族衣装だということを知らず、(変わったスカートだなあ)と思いながら、まあ、じろじろ見ていました。今思えば、二人のうちの片方はなかなかきれいな人だった。


思い返せば、「愚かにも知らなかった!」ということがいくつもある。たとえば…

・豆ごはんをきらいな人もいるという事実: 今でも、頭では納得しても、心からは信じられない。

・女体の触り方: それじゃなぐっているのと大差ない、というのが長いこと分からなかった。わるいことしたなあ。

・自分が死んでいたということ: 幼いころ車にひかれそうになって、すんでのところで助かったことがある…と、思っていた。実はそのとき死んでいたのだった。みんながその子を偲んで、その子のお気に入りだったクマのぬいぐるみを大切にしてきた。それで、自分がその子であるように思いこんでいた。ぼく、ほんとはぬいぐるみだったんだ。
なんとなく変だとおもってた。

落語のことなど

2017年12月22日 | 日記
これまでに聞いた落語のなかで、いちばんおもしろかったのは、関西テレビの「花王名人劇場」で見た桂米朝「地獄八景亡者戯」。おもしろかったなあ。

名人劇場といえば(落語から話がそれるが)初めてダウンタウンを見たのもこの番組だった。この世のものとは思えない面白さに悶絶したものだった。

一方、おもしろい「落語家」と言えば、笑福亭松鶴。実は私は松鶴の落語を聞いたことがない。かつて、若いころの鶴瓶が出ていた番組に、松鶴の短いコーナーがあり、それをよく見ていたのである(松鶴は鶴瓶の師匠)。5分ほどのコーナーで、内容はただの世間話であった。それがなぜか、滅法おもしろい。落語家松鶴その人が、なんとも言えずおもしろいのだった。ちょっと忘れられない。

ちなみにその番組では、鶴瓶の弟弟子の笑瓶が、無言劇のショートコントを「幕間」にやっていた。これも気が利いていておもしろかった。

鶴瓶といえば、桂ざこばと二人で「らくごのご」という番組を深夜にやっていたが、これが実におもしろかった。客席から題をもらって即興で三題噺をつくる、というシンプルな構成だったが、毎週放送が楽しみでしかたなかった。

以上、懐旧談でした。

「鎖国」じゃあるまいし

2017年12月21日 | 日記
古代のインド文化と西方との交流については、美術や天文学などの領域では研究が進んでいるようだ。しかし、もっと広く、インドへのギリシア哲学なり、新旧ペルシア帝国の宗教なり、イスラム文明なりからの影響について切り込んでいくような研究ってあるのだろうか。

もしも、そういう踏み込みがあまりなされていないとするなら、それは、「インド亜大陸」という、よくインド史などの概説の冒頭に説明される地理概念が邪魔をしているからかもしれない。

「インド世界」は、ヒンドゥークシュ山脈によって西北方面を境界付けられ、カイバル峠が唯一の西方との通路であった、というやつだ。しかし、「アジア歴史地図」的なものを見ればすぐ分かるが、西北インド世界にとってヒンドゥークシュ山脈は外界との「境界線」の役割などたいして果たしてはいない!

インド最古の文献リグヴェーダの研究者たちはアフガニスタンやイランまで視界に収めているようだけれども、それ以外のインド学者はどうなんだろう。歴史地図ぐらいは当然頭に入っているはずだけれど、「知ってる」だけですませているのではなかろうか…。

高校の授業では落ちこぼれたけれど

2017年12月20日 | 日記
ブルーバックスの『新しい高校物理の教科書』を、とても分かりやすい説明に感心しながら読んでいます。

はじめの章で紹介されるニュートンの運動の法則を見て、私はすっかり驚嘆してしまいました。いや、もちろん初めて見たわけではなく、中学以来何度も(大学は文学部だったとはいえ)見てきたものですが、改めて読んでみるとその見事さに驚きますね。

自然界からよくぞこういう法則を抜き取って見せたものです。「動いているものは動き続ける」なんて、地上の物体にまで適用しようなどとふつう考え付くか?…過去に数えきれない人が覚えた驚嘆の念を、学びなおしの手始めに、私もはじめて抱いたところです。驚けるようになっただけ、進歩したんですかね (^ ^;

児童書おそるべし

2017年12月19日 | 日記
児童書には大人が読んでも役に立つもの、読みごたえのあるもの、おもしろいものがたくさんある。図書館の児童コーナーに何度も行って、「児童文学」以外の棚になじんでくると、良い本が次々に見つかる。

福音館書店の「たくさんのふしぎ」というシリーズなど、ほんとうにすばらしい。子ども相手だからこそ、手を抜かないという姿勢で、あらゆるテーマに切り込んでいる。(池上彰の「子どもニュース」にちょっと似たところがある。)

このシリーズで、私が感銘を受けたものとしては…

上里隆史『琉球という国があった』
三輪茂雄『粉がつくった世界』
福家洋介『大きなヤシの木と小さなヤシ工場』
長谷川義和『恐竜はっくつ記』
横溝英一『海べを走る人車鉄道』
柴田昌三『木?それとも草?竹は竹』

などがある。どれも、こどもだけに読ませておくなんてもったいない!読んで絶対に損はないです。


天野祐吉『絵くんとことばくん』も。

水着天国

2017年12月18日 | 日記
この頃の水着グラビアはなんだ。あばら骨が浮き出た貧相な体を見せつけよって、食べるものがありませんとでも言いたいのか。やはり男たるもの、シンクロナイズドスイミングのイタリア代表みたいな女たちに取り囲んでもらいたいな。

 もっと近う寄れ。もっとじゃ。もっと。ぎゅっと。最大限の圧力で。うーむ。そうそう。いいぞ、ハルノート級の圧力じゃ。
「はるノートって、何でございますの?」
 春画帳のことさ。ふふ。見せてやろう。
「うひいっ」
 ほれほれ。これなんかどう?
「あひ。あひ。もう、臨界でございます」
 ふう、ふう、僕ももう臨界だよ。

そろって火星まで飛んでいったそうな。

もともと

2017年12月17日 | 日記
匈奴とか鮮卑とか、よくない意味の字を当てた表記を使い続けるのはやめてはどうか。彼ら自身が自分たちを呼んだ、もともとの名前を使うべきではないか。そう言ったところ、こんなことを言われました。

「匈奴も鮮卑も、結局は中華民族の一員になったのです。だから、中華民族が伝えてきた従来の表記が、正しい、『もともとの名前』と言えるものなのです。」

なるほど。

そこで私がふと思い出したのは、いわゆる北方領土について、かつて年配の人と交わした会話でした。私は、あそこが第二次世界大戦の結果ロシアの領土になったのであり、「二島返還」で上出来だと思う、と言いました。すると、

「君は露探か」とは言いませんでしたが(笑)、「君はロシアの肩をもつのか。あそこはもともとだれのものだ」とのこと。
「もともとはアイヌのものだと思います」そう答えると、
「アイヌは…、アイヌは、…日本人だっ」と言われました。

なるほど。