ぬるい!砂糖も多い!

おいしいコーヒーが飲みたい

シンデレラ

2017年10月31日 | 日記
グリム童話に Allerleirauh という話があります(岩波文庫『完訳グリム童話集2』所収「千びき皮」)。金色の髪をした世にも美しい王妃がいたが、亡くなってしまう。王は悲嘆にくれたまま。やがて王女が母親そっくりに成長する。王が娘をめとろうとしたので、娘は逃げ、顔を黒くぬり美しい衣装も隠して、ある王宮の下働きになる。彼女は日の当たらない小部屋に住んでいたが、王宮で祝い事があるたびに、もとの姿になり、太陽の衣装、月の衣装、星の衣装をそれぞれ身に着けて、人々の前に姿をあらわす。そうして、彼女の美しさのとりこになった国王の妃となった。そういう話です。

舞台装置はちがうけれど、話の構造は『古事記』の天岩戸の物語とそっくりではありませんか。してみるとこの民話も、アマテラスの岩屋隠れと同じく、世界各地に伝わる「隠された太陽が解放される神話」の末裔ですよね。

グリムが記録したこの話から、神話の痕跡がうすれてシンプルになったのが、われわれになじみの深い「シンデレラ」のお話。一方、極東ではアマテラスが「女王ヒミコ」に変形しました(このブログのひとつ前の記事を見て下さい)。

結論: シンデレラとヒミコとは同じルーツをもつ(笑)。そういうことで。ははは。

アマテラスとヒミコ

2017年10月30日 | 日記
アマテラスが岩屋に隠れたので世界は闇黒に包まれるが、神々が努力してこの神を連れ戻したので、世界は再び明るくなった。だれもがご存じの、天岩屋の話です。この背景に、魏志倭人伝に記されたヒミコのことがあると考える人たちがいます。アマテラスの岩屋隠れはヒミコが亡くなったことの、世界の闇黒はヒミコ没後の争乱の、アマテラスの復活はトヨの共立の反映とみなすのです。古事記の神話は現実の歴史がもとになっているという考え方です。

しかし、隠れている太陽をさまざまの手段で解放するという神話は、太平洋沿岸など世界各地にひろがっていて、天岩屋の話がそのヴァリエーションであることに疑いはないようです(石田英一郎「隠された太陽」)。もしヒミコとアマテラスとを同一視したいなら、ヒミコのエピソードの方こそアマテラスの神話に基づいてつくられたと考えるべきではないでしょうか。その方が無理がない。

だれがつくったか?魏志倭人伝のもとになった史料を記録した人物です。倭人の神話を、地上の女王をめぐる物語だと解釈したのです。こういう神話解釈の方法をエウヘメリズムというそうで、古代ギリシアにも類例があります(プルタルコスの『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』が岩波文庫に入ってますが、そこで実例を多く見たような気がします)。

魏志倭人伝では邪馬台国への道程や現地の風俗などが詳述されているではないか、と言われるかもしれませんが、これも作り話だったかもしれません。エウヘメリズムという用語に名をのこしたエウヘメロス(前3世紀)は、ギリシア神話の神々が過去の偉人たちのことだったと「証明」するために、架空の旅行記をでっちあげています。それと同じことがなかったとは言えますまい。

というわけで、アマテラスがヒミコなのではなく、ヒミコがアマテラスだったのです(笑)。そういうことにしときましょうよ。

ドラクエ5

2017年10月29日 | 日記
現在プレイ中です。もう何度もやっているのですが、今回はじめてメタルスライムが仲間になりました。それもけっこう早い段階で。

こいつが強い!

あと、「うんのよさ」の数値がやけに高いので、福引を引かせてみたところ、特等かなにかの金色の玉を引き当てて、福引所のばあさんをたまげさせました。

まだ主人公が結婚したところで、先は長いですが、このメタルスライム君がどこまで成長してくれるのか楽しみです。頼りにしてます。

ドラクエが好きな人には周知の話題だったかもしれませんが。

さてまた昨日は

2017年10月28日 | 日記
僕は新入社員で、事務所で何か卓状のものを組み立てようとしているのですが、工具がありません。そばにいた女の先輩社員が教えてくれて、脚にあたるパーツの根もと付近を見ると、顔をくっつけなければわからないような、小さな白い何かがついていて、それを操作すればよいのでした。どんな形の何をつくるのか聞かれて、答えられずに別の先輩に聞かねばならないのが我ながら情けない。白いところをとにかく指先でカチカチといじると、卓球台に似た何かができました。

すると僕はホテルかどこかの一室で、大きなソファーに座って、女の人を後ろから抱いている。この人はずっと以前大好きだった○○ちゃんです。僕はうしろから○○ちゃんの顔に、キスを何度もします。そして彼女の胸に手をのばすと、○○ちゃんはちょっと態度が固くなって「あかん、それはあかん」と言います。さすがに調子に乗りすぎたと反省してはなれました。○○ちゃんはソファーの端に座って、不機嫌な顔をしています。これは○○ちゃんの顔ですらありません。別の女の人が彼女の前にしゃがんで、○○ちゃんをからかっています。○○ちゃんの平らな胸の乳首がぴんと立っているのが、うすいタンクトップ越しにはっきりわかります。

するとソファーには○○ちゃんではなく、会社の男の先輩がいつの間にかいて、前には見知らぬ中年のスーツ男もいます。スーツ男も会社の先輩だそうで、僕はあいさつしました。このスーツの人は、僕がスマッシュを担当するのだと教えてくれます。どうやらさっき組み上げた卓球台的な何かでおこなう競技の話です。ソファーにいる先輩の話では、社員はみんなピッチャーの経験者だそうです。この、失礼ながらスポーツに向かなそうなスーツの中年社員もだというので、ちょっと驚く。僕はピッチャーではないので、スマッシュをがんばる。左右に一所懸命走らなければ。

ホテルを出ました。広島市内の会社まで走って帰らなければならないのですが、先輩たちがもういない。僕は道が分からない。道は三方にのびている。しかたなく、厳島神社経由の道を行くことにしました。広島大学のなにかのクラブの人たちが大勢歩きだしたのについて行きました。

アニメ化切望

2017年10月27日 | 日記
なだいなだ作『おっちょこちょ医』、ジブリかどこかでアニメにしてくれないものでしょうか。ご存じない方も多いかもしれないけれど、これ本当にすばらしい作品です。前半は、タイトルの通り「おっちょこちょいな医者」が、のどかな町にやって来て小さな騒動がまきおこる、というユーモラスな話です。そこから無理を感じさせずに、まともな人間はどうあるべきなのかを深く考えさせる後半部が展開していくのがみごと。最後の集会シーンその他、ユーモア精神を失うことなく、たいせつなことを説いてくれます。

読んだらたぶん一生忘れられません。本を読まない人のために、読んだ人のためにも、映像化してほしい。無国籍なトーンの話なので、実写よりもアニメがよいと思います。世界中の人にみてほしい。

というわけで、ジブリさんよろしく。主演大泉洋希望。

真説巌流島

2017年10月26日 | 日記
 慶長年間、豊前小倉藩は琉球に侵攻しこれを支配下に収めた。この地で小倉藩の勢威を示すためにさまざまな事業が興されたが、それを締めくくるべく催されたのが、剣術試合である。慶長17年、当時最高の剣客二人、すなわち巌流佐々木小次郎、新免(宮本)武蔵による真剣勝負が舟島、一名を魚釣島で行なわれた。

 勝負はきわめて短い時間でついた。上陸用舟艇から下りた武蔵が、波打ち際で待ち構えていた小次郎を木製バットで一撃、小次郎は脳天を割られて絶命した。武蔵はそのまま山を駆け上がって姿を消し、その行方は杳として知れなかった。

 倒れた小次郎の脳から、たくさんの子蟹が生まれた(「佐々木の脳味噌は蟹味噌」という意味の俚諺が琉球に伝わるのはこのためである)。子蟹たちは親の仇を討つことを誓い合い、仲間を集めに台湾に渡った。

 一方、山を駆け上がった武蔵はどこにいったのか。魚釣島を上に上に。行き着いたところは、釣魚台であった。ここで国賓待遇を受けた武蔵は、戦いに明け暮れた半生を顧みながら『五輪書』を著した。のちに、この書にもとづいて北京で五輪大会が華々しく開かれた。このとき台湾(中華台北)代表の野球チームにあの子蟹たちがいたという。

セロ弾きのゴーシュ

2017年10月25日 | 日記
インドのバラモン教の聖典をヴェーダと総称し、その一部門にウパニシャッドという文献群があります。そのうちの古いものは紀元前6世紀あたりに遡るそうです。

最古のウパニシャッドのひとつに「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」というのがあって、そこに「サティヤカーマ・ジャーバーラ」という人のエピソードが入っているのですが、私は宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」が、この話をもとにして書かれたのではないかと思っています。「毎晩、人間以外の何者かがあらわれて主人公を教え、最後に主人公は一人前になる」という構成がおなじなもので。

宮沢賢治は「ウパニシャッド」など知っていたのか、読んだことあるのか、というと、その可能性はあります。大正年間に『ウパニシャット全書』という叢書が出版されて、マイナーなものまで含めて非常に多くのウパニシャッドが和訳されているのです。当然「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」もです。

賢治がチェロ(セロ)を購入したのが1926年(大正15=昭和元年)という情報もあって、年代的にも矛盾がなさそうですが、どうでしょう。

この話をしたところ「ゴーシュという名前もインド風だな」とおもしろがってくれた人もいましたが。

総選挙をAKBから取り戻したわれら

2017年10月24日 | 日記
 国難のときにあたり聖域なき構造改革が叫ばれ、衆議院は解散、新団体乱立を勝ち抜いた「新党御一新」が圧倒的多数議席を占めた。真の保守を掲げるかれらのスローガンは「尊王」。続く参院選にも大勝したかれらは、ついについに日本国憲法の改正に着手した。

 天皇制を何より尊ばねばならない。

 そのためには、明治以降の東京王朝を否定せねばならない。幕末、薩長は孝明天皇を排し、幼帝をかつぎあげて全国支配の道具に利用した。明治から四代続いた東京王朝を終わらせねば、その基本構造は変わらないのだ。

 かくして日本国憲法第一章は、めでたくも破棄された。天皇家は京都御所にやっと帰ることができ、宮中祭祀だけにいそしむことができるようになった。もう天皇は国事行為なんてやらなくていいのだ。祭祀王としてだけ存在できるのだ。ついでながら、7条解散がなくなったので、国会が少しはまともに変わっていく気配も見えてきた。

 明け渡された江戸城の使い道については議論百出でまだ決着を見ない。原子力発電所をここに建設しろと主張した人もいたな、そういえば。

坊やのお守りはどこへ行った

2017年10月23日 | 日記
あの山こえて里へ行った。という話なので、いつも面倒をみてくれた懐かしいねえやに会いに、山のあなたへ行こうと思ったわけです。

屋敷を出て、北の方角にその阿耨多羅(あのくたら)山脈がそびえています。わたしはたった一人で登っていきました。峠越えはそれは険しい道でした。やがて、雪の積もった山道で、弟たちが一人また一人と倒れていきました。かれらが倒れたのは必然だったのです。わたしはかまわず進みました。

峠を越え、ふもとに下りると大きな川が流れています。一切苦厄川という激流です。船を雇い、流れに乗り出すと、川上からわたしのからだが流れ去るのが見えました。向こう岸では、懐かしい弟たちが出迎えてくれました。

里には三菩提寺というお寺がありました。本堂に入ると、それがいました。名前のない「それ」です。目も耳も鼻も口も体も頭もありません。なので、見ず聞かず嗅がず食べず触れず考えません。ただもう「それ」で、いえ、実はそれがわたしです。みなさんはじめまして。

そのころもとの屋敷では、わたしが涙ぐんで帰ってきていたということですよ。どこかで拾ったこどもを連れていて、こどもはでんでん太鼓と笙のふえをもっていたそうです。

海竜めざめちゃったの/ウインダム鴻一郎著

2017年10月22日 | 日記
 わたし、宇宙からきたんです。よその星から。この星の海の底がきもちよくって、住みついちゃったんです。うとうとしていたら、海のうえからなにか音波が。つん、つんって。まさぐってくるんです。つん、つつんってされると、わたしのからだが、びくん、びくくんって、ついつい反応してしまうんです。

 調べてるんだわ、わたしのことを。

 わたし、身をかたくしてじっとしていたんです。そしたら。潜水艇がそばまできて。うちこんでくるんです、魚雷を。「ずん」って。からだに電流がはしったようになって、変な声がでちゃった。そしたら、潜水艇もそのずっとうえにあった何かもばらばらにこわれて。しばらくすると、海のうえのほうからまた魚雷がたくさんたくさん一度に。それが次々にからだにあたるんですもの。もうたまらなくなって…。

 それで人類は滅亡の瀬戸際までいっちゃったんです。わたしが悪いんじゃないんです。