きみの靴の中の砂

昭和二十年八月十四日





 三式戦闘機から五式戦闘機に機種改編された途端、戦隊は、特攻の護衛を主務として薩摩半島の知覧への移動命令を受けたという。その五月十七日以来、帝都防空の要・調布飛行場は主をなくして、すっかり閑散としていた。残留したのは戦隊本部のうち庶務と経理の一部のほか、私を含め陸軍病院に後送を受けていた数名だけだという。
 庶務班長の川原准尉によると、戦隊が移動したのも知らずに、最近は、アメ公の戦闘機が頻繁に機銃掃射をしていくと言う。

「先週もP公(ノースアメリカンP51戦闘機)の奴等が五、六機来て、13mm(12.8mm航空機関砲)でカラの大格(大型格納庫)をまるでジョウロで水を撒くように掃射して、結果、ご覧のとおりすっかりボロボロです」と人気のない戦闘司令所の前で彼がため息混じりに八月の空を見上げて続けた。
「B29も東京市内にはもう爆撃するところがなくなったようで、爆弾を持って帰っても仕様がないらしく、その翌日は、とうとう調布駅の近くにも落とすと言うか棄てていきましたよ。小島町がだいぶ焼けたようです」
「そうか...。ところで川原准尉、俺の機は誰か乗って行ったのか?」
「いえ、ちょうど整備中だったこともあって、まだ多磨霊園の掩体(掩体壕)にあります。完了してれば誰か乗って行ったのでしょうが、残したところをみると、まだ修理途中のようです。確かニッケル素材の部品がないからとかなんとか整備分隊長が言ってました。いずれにせよ、整備中隊もそっくり移動してしまいましたから、今となっては部品が手に入ってももはやどうにもなりませんが...」
「なぁ川原、俺の機はなぁ、すごいぞ。排気タービン式過給器装備の最新型発動機を載せてる。高度一万メートルで時速六百キロ出る。今、あれが日本に、せめて二百機あったらなぁ、B29に日本の空は飛ばさせないんだが...」

 ふたりにしばらくの沈黙があった。
 突然、准尉が思い出したように言った。
「ところで中尉殿、明日の正午にラジオで重大放送があるので、必ず聴くようにと陸軍省から言ってきてます」
「そうか。ラジオで俺たちに発破でもかけようっていうのか?」
 思わず、ふたりとも苦笑した。

 しばらく雨がないせいか、陽に焼けたコンクリートの滑走路を吹く夏の風は、やけに埃っぽい臭いがした。

 無上の蒼穹 ----- 雲はなく、青い空が、どこまでも続いていた。


 

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